第50話 選択
選択をしなければならない時というのは人生になんどかあって、そのすべててじっくり考えるだけの余裕があるとは限らない。
その結果を見た後世の者がさらに良い案を出せたとしても、今、ここに生きている自分は、『今、ここで』見える限りの選択肢の中から、瞬きのあいだに最良と信じるに足るものを選ばなければならないのだ。
◆
部隊前方━━
ウォルフガングは、選択した。
「このまま敵陣深くに突撃! 敵頭目を狙う!」
彼の部隊は緑色の輝きをまといながら一つの
けれどただまっすぐというわけではない。それは、敵陣の比較的薄いところを通り、勢いを落とさずに敵頭目まで迫るよう狙われた、必ず敵の心臓を貫く
一つ二つと敵の隊列を貫いていく中で、ウォルフガングはかつてないほどの『冴え』を感じていた。
直感的に選び取ったものが、もっとも正しい未来へ続いているかのような、そういう感覚だ。
人生において根拠を見つけられず、考慮のための時間もとれない決断をする時、いつでもこういった感覚があった。そして、その決断は、こうして現在まで自分を生かしている。
『輝ける嵐』は進んでいく。
その先に
◆
部隊後方。
土煙をあげながら突撃してくる群れ━━否、敵部隊を前に、兵たちは槍の石突を土の地面にめり込ませ、腰を落とし、穂先を揃えて待ち受けていた。
いわゆる『
……その『最良』の根拠には、『兵たちに号令一発で瞬時に行動を変えられるほどの練度がない場合』というものも、もちろんあった。
兵の練度は低くはないが、バスティアンはこれを手足のように操れるものとは考えていなかった。
指揮官としての己の未熟さと、『騎士』として生きていない己の命令に兵たちがなんのてらいもなく従うことはないだろうという冷静な予想を加味してのことだ。
息もつかせぬ攻防の中で瞬時に兵たちを動かすには、『疑問の余地』が邪魔だ。
バスティアンが命じた時に『いやしかし、あのお坊ちゃんは現場を知らない。そのうえ、騎士になることも嫌がっていた。こんな人に本当に命をあずけていいのか?』という、潜めた疑問がわずかでも噴き出せば動きが鈍る。緊急時にそうやって鈍られて困るような戦術は試せない。
だから、『ただ、穂先をそろえて足を止めていればいい』というだけの戦術がよかった。
……そもそも、考えがうまくはまれば、兵たちに死力を尽くさせる事態にならないはずだし、はまらなければ、きっと、死力を尽くさせたところでどうにもならないだろう。
バスティアンは馬上からすぐ横を見下ろす。
そこではオーギュストが地面に膝をついて、両手をそこにつけていた。
一見して濃厚な敗色を前に絶望し崩れ落ちているようにも見える。
この姿勢をとらなければできないことをお願いしたことも、その姿勢をこうして馬上から見下ろすことも、不敬にあたるかもしれないなとバスティアンは笑った。
ただ、彼のお役に立ちたかった。
そうするしか自分が生きている意味はないのだと思っていた。
ところが今の自分ときたら、仕える主人に死力を振り絞ることをお願いし、それを馬上から見下ろすありさまだ。
(オーギュスト殿下をかばって死ぬ。なんとしても、彼を逃して、自分はここで死ぬ。……以前の私であればきっと、そうしていたのでしょうね)
生き残るためにあがくなどはしなかった。
死なせないためにあがくことは、しただろう。
……領民は、兵もふくめ、自分の命と同じぐらいに大事だと、そういう教育を受けてきた。
バスティアンにとって、その教育だけが腑に落ちるものだった。
自分の命に価値を見出していない。
ならば、領民の命にも同じぐらいの価値しかない。
そう思ってきたのも、もはや遠い過去の話のように思われた。
死に場所を求めるだけの自分はもういない。
『恩を返すことがなにか一つでもできたならば、あとはもう、消えていい』だなんて思わなくなった自分は、生き残ることを望んでいる。
(自分になにができて、なにができないのか)
(自分にどのぐらいの才覚があり、どのぐらいの可能性があるのか)
(萎縮して過小評価するなかれ。慢心して過大評価するなかれ)
(私は、『私』でしかない。騎士でもない。魔術師でさえない。それらは『私』を出し尽くしたすえに貼り付けられるラベルでしかない)
魔術の一撃で敵の大群を蹴散らすことはできない。
自分にも、オーギュストにも不可能だ。
炎を出したり、土の壁を出したりということも、できない。
自分は風の属性であり、オーギュストは水の属性だ。
……アンジェリーナが炎の属性のはずなのだけれど、彼女は色々とおかしなところがあるので、炎属性の魔術を使えるものとは勘定しない。
バスティアンはアンジェリーナを『環境』だと考えている。昔からそう考えていた。今もまた、そう考えているが、その意味合いは、全然変わっているだろう。
(昔のあなたは『逆風』で、今のあなたは『追い風』です、ミス・アンジェリーナ)
風は吹いている。
ここに、吹いている。
ゆえにバスティアンは選択した。
「獣狩りの時間です。総員、震動に注意」
……命懸けの号令をする時、重苦しさのあまり胸がふさがるような気持ちだった。
けれど声はあくまでも涼やかに、イノシシどもの立てる震動音に負けず、響いた。
◆
馬上にあった方が遠くまで見える。
それだけの理由でアンジェリーナはそこにいた。
だから、ここから逃げるような事態に陥った場合は馬上で立ち往生するだろうし、そもそも制御を離れた馬が自分を振り落としてどこかに逃げるだろうと考えると、むしろ地面に足を下ろしていた方が安全でさえあった。
(魔獣はいない。魔族もいない。それが、現代)
アンジェリーナは右眼を隠す眼帯に手をかけ、それを外した。
あらわれたのは黒い瞳だ。燃え上がるような赤い左眼と比べると、あきらかに温度に乏しい瞳。
……けれど、この右眼でさえ、余人には赤く見えるのだという。
それは現代の者が魔力を視認できないことと深く関係していた。
アンジェリーナの眼はもともと赤く、魔王として目覚めてからその魔力の影響で片目だけが黒くなった。
ゆえに瞳の黒は肉体の色ではなく、魔力の色だ。魔力が見えない余人には赤いままに見えるのも、まあ、説明はつく。
これは魔力が見える自分からすると不思議なことだが、現代はそうらしい。
だからこそ、アンジェリーナにしかわからないこともあるようだ。
(あの、獣どもを包む、濃厚な闇の魔力)
獣どもが放っているわけではない。
それは
(『
……もちろん、自分がこの領地に来てからイノシシどもに片っ端から魅了をかけた、ということではない。
自分ではない誰か。あるいは、『なにか』。
それがイノシシどもを操っている。
それが者なのか物なのかはわからないが、少なくとも意思があり、思考ができる。
そして敵意を持っている。
人類に対する、冷静で確固たる敵意。
あるいは。
……もしも学園での出来事と、今、目の前で起こっていることに関連性を見出すのならば━━
(我、か。王家、か。……あるいは、貴族か。そういった者どもに対する敵意。これらを殺し尽くさんとする冷徹な意思を感じる)
冷静に考えればきっと、自分はこの事態とかかわりがない。
そして王家という狭い範囲でもないように思えた。
つまり、貴族……あるいは貴族社会に対する、敵意だ。アンジェリーナにはそのように思われた。
(何者が背後にいるかはわからんが……闇属性でこの我と勝負しようとはな。まったく━━)
発現してしまった闇の右眼に魔力を込めていく。
その漆黒の瞳はますます黒々とし、わずかに光を写す瞳孔が、まるで夜中にまたたく一粒の星のように白く輝く。
(━━楽しませてくれることだ)
すぐそこまで迫ったイノシシどもを見る。
視線から放たれた魔力が、連中を包む魔力を貫き、心を侵す。
すると最前列のイノシシが急に足を止め、反転を開始した。
もちろん最前列だけでイノシシの軍隊全部を止めたり蹴散らしたりはできない。それに、いったん足を止めて反転した都合上、勢いも後続に比べ落ちているだろう。
だが、一瞬だけ敵の前進が乱れた。
アンジェリーナはがくんと馬上に倒れ込む。
(……やはり、この肉体は脆い……)
すでに目覚めている『右眼』を通した魔術の行使だというのに、体が魔力の放出に耐えきれない。
すでにかかっている魅了を貫いて、十体ほどのイノシシに再魅了を行使しただけだというのに、その反動に肉体の方がまいってしまった。
(魔力の行使に体力が必要だというのを実感させられるぐらいに、この肉体は脆弱だ……礼儀作法やらダンスやらの前にやることがあったであろうが)
体を鍛えて反動に備える。
魔術の行使になれて
それらの戦闘訓練のいっさいをやってこなかった弱い体。
……魔王がかかわるのは、ここまでだ。
あとはきっと━━
愛すべきヒトどもが、なんとかするだろう。
それがアンジェリーナの選択した事態の推移。
逃亡でも闘争でもなく、『信じ、任せる』という選択だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます