第46話 『魔に魅入られた』

 その人物が部屋に現れると同時、和やかな茶会の場が戦場に変化したようにさえ思われた。


 ウォルフガング・ラ・ロシェルがまとう空気があまりにも『戦場』というものを色濃くにおわせるのは、未だぬぐいきれていない血臭だけが要因ではないだろう。

 その大柄の男の視線には敵に向けるような鋭さがあり、全身にこもった力には臨戦の気配があった。

 鎧をまとってはいないものの『その男は紛れもなくつい先程まで戦場にいたのだ』というのを空気だけで知らしめる彼は、顔のパーツ一つひとつを見ればたしかに息子に似たところがありつつも、その組み合わせの妙で苛烈な印象を他者に与えていた。


「お出迎えに間に合わず申し訳ない。戦場帰りゆえ、どうぞご容赦を」


 ウォルフガングが謝罪するその動作は、彼の姿を見た時に感じた荒々しさからは想像も及ばぬほど流麗であった。

 太い腕、分厚い拳。シャツの下に発達した筋肉とそれを支える大きな骨格の存在をたしかに示しながらも、どこか女性的とさえ錯覚してしまうほど、彼の動作は柔らかかった。


 息子のバスティアンと同じ深い青の髪。息子とは少々異なる灰色の混じった緑色の瞳。

 眼光にかんしては比べるべくもない。ウォルフガングは今もなお戦場にいるのだとわからされる目の鋭さは、その場にいるすべての者の背筋を伸ばさせた。


 ウォルフガングが『王家の者を招いた家の長』としての礼節にのっとった動きで席に着くまで、全員が呼吸を止めていた。


 その異様な緊張感から最初に立ち直ったのは、オーギュストだった。


「許しましょう。領地の安寧はすべての貴族にとってもっとも優先すべき責務ですからね」


「寛大なお言葉、感謝いたします。ですが、もう一つ、オーギュスト様の寛大さにすがらねばならないことがございます」


 オーギュスト様。

 当たり前だが、ウォルフガングはオーギュストのことを殿下プリンスとは呼ばなかった。


 ミスター殿下プリンス。自分が支持する王候補には殿下をつける。

 すなわちウォルフガングはオーギュストを招くことを決めつつ、オーギュスト派ではない。

 わかっていたことではある。……だからこそ、親が派閥替えをしたわけでもないのにオーギュストを招かせることに成功したバスティアンの苦労が思い知らされた。


 ここからはオーギュストが力を尽くすべきところで、そのための手土産はいくらか用意してはいる。が……


 どうにも、それらを用いたアピールができる状況でもなさそうだ。

 オーギュストは真剣さを顔ににじませ、


「なにかあるのですか? 言いなさい」


「バスティアンを連れ、戦場に戻ることをお許し願いたい」


 すでに名代である長男さえ戦場に連れ出しているというのに、これに加えてバスティアンまで。

 しかも戦場に戻るということは、『輝ける嵐』という二つ名で語られるウォルフガングもまた赴くのだ。

 そうすれば当然、屋敷にはラ・ロシェル家の血統は誰もいなくなる。

 もちろんウォルフガングの奥方や長男の奥方はいるものの、とてもではないが王家の者と話をする状態とは言えなくなるだろう。


「……そこまでの事態なのですか?」


 たしかに獣の討伐は領主の責務だ。

 ただの獣は平民よりよほど強い。これをのさばらせては、民に被害が出る。


 しかし軍隊を率いた貴族は獣よりよほど強い。

 まして二つ名で呼ばれるほどのウォルフガングが、長男を連れ、部隊を率いて出向いているのだ。並の獣など、群れをなしてもひと薙ぎで終わりそうなものだ。


 つまり、これは、政治的な判断でないのなら、領地の危急存亡の時と言える。


 ウォルフガングは、隠し立てする様子もなく、うなずいた。


「別な領地に婿にやった息子も召集しております。……正直に申し上げれば、これは危機的事態というよりは、未知の事態なのです。しかし我らが油断し敗北すれば、あとに残るは蹂躙されるのみの民草となります。我らは領民の生命と生活をあずかる身として、この事態に総力をもって挑む所存なのです」


「説明を受けている時間も惜しそうですね。いいでしょう。ただ、事情を詳しく知りたい。僕も同行します。道すがら説明を」


「……急ぎ戻るゆえ、振り切ってしまうかもしれませんが」


「その時はその時です」


「……かしこまりました」


 ウォルフガングがあっさりと了承したのは、『王家に逆らえない』などというのが理由ではなさそうだった。

 本当に時間を惜しく思っているのだろう。説き伏せる手間を嫌ったのだ。


 ウォルフガングは着座したばかりというのに立ち上がる。


「バスティアン、急ぎ戦支度をせよ。……魔術師として戦ってもかまわん。領民を守るため力を尽くせ」


「⁉︎ ……は、はい、父上」


 バスティアンはおどろきを隠せなかった。

 彼の事情をかんがみれば、みっともなく大きな声を出さなかったことを褒めるべきではあろう。


 騎士系の家と魔術師系の家の不仲は有名な話であり、魔術師の家が騎士を、騎士の家が魔術師を輩出するのは恥とされている。

 中でもウォルフガング・ラ・ロシェルは今や次期騎士団長の座も狙えるほどの者だ。それが『魔術師としての息子』に期待をするというのは、事態の危険性……あるいは不可解さを予測させるに充分だった。


「礼を失するところではありますが、茶会はこれまで。……者ども、聞いていたな。バスティアンに戦支度を。それとオーギュスト様に馬を用意せよ。戦馬いくさうまでなければ怯えてしまって戦場に辿り着けぬ」


 通常の馬と戦馬との違いは、品種ではなく生育環境だ。

 戦馬は大きな音や魔法に慣らす訓練なども行うが、中でも普通の馬との大きな違いは、普通の馬が馬丁ばていに世話をさせるのに対し、戦馬は乗り手自らが世話をすることだろう。

 これは戦場において馬が乗り手を信頼しているかどうかがもっとも明暗を分けるとされているからだ。

 実際、自分を世話した者を乗せる馬は、乗り手が退かぬ限り決して退かず、乗り手が落ちれば自らそのそばに戻って乗り手が鞍にまたがるのを待つなどの行動をする。


 貴族の当主などは複数の戦馬をてずから世話しており、今回、オーギュストに貸し出されるのはウォルフガングの戦馬なのだろう。


「敵はイノシシなのですよね。それほど大規模な群れなのですか」


 オーギュストが立ち上がりこぼした言葉は、『質問』というよりも、予想以上の恐ろしい事態が起こっている気配に、ついついこぼれてしまった不安、と言うべきであろう。


 これを聞きつけたウォルフガングは、


「いいえ」


 とがめる様子でもなく、オーギュストを見て、


「群れの規模はさほどでもありませぬ。……ご説明申し上げるにあたり、くれぐれも、私が『魔に魅入られた』などと思っていただきたくはないのですが……」


 魔に魅入られた、というのは、アンジェリーナのような人を指して使う言葉だ。

 妄想に取り憑かれた、とか、頭がおかしくなってしまった、とかの意味を持つ。


 だからオーギュストはうなずいて、


「大丈夫です。多少の発言で僕がそのように思うことはありません」


「……敵は、『軍隊』なのです」


「……ええと、それは……」


「群れの頭目を中心に、戦術を用い、こちらに『理性的な殺意』とでも呼ぶべきものを秘めていることが動きから窺える、『動物の軍隊』というような、不可解なものらなのです」

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