第45話 魔物?
さすがに、王子を呼びつけておいて家を留守にするのは、対立派閥かどうかは関係なく、この上なく無礼だ。
たしかに『呼びつけた』と言えるかは、微妙なところではある。
バスティアンの説得により、親リシャール派だったこの家は、オーギュストのあいさつも
が、それで試されるのはオーギュストの方なのだ。
バスティアンの実家であるラ・ロシェル家が『なんとしてもウチに来てほしい』と思って招待状を出したというわけではない。
貴族的なルールゆえに『招待した』という形式をとりはするものの、実質的には『招待していただいた』とか『お願いして招待状を送っていただいた』とか述べるべき状況なのである。
それにしても、呼び出しておいて家中の中心人物が家を空けるというのは、さすがに礼を失すること甚だしいが……
これには、武門ならではの『特例的理由』があった。
「近隣の村でイノシシの群れが出たそうなのです」
武門がなによりも優先してよいのは、自領の治安維持である。
これは王家からの命令よりも優先してよいことになっている。
……とはいえ、それはあくまで明文化されたルール上のものだ。
人と人との付き合いには『印象』というものが無視できないほどかかわってくる。『自領の治安維持』を名目にあまり王家をないがしろにするのは、得策ではない。
たとえば王子を家に招いた場合、当主かその名代ぐらいは残っているべきであり、当主名代がそろって家を空けるというのは『よほどの事態』か『ルールにかこつけた嫌がらせ』かのどちらかなのは間違いない。
そして、この場合は……
「ああ、イノシシですか……それは仕方ないですね」
オーギュストは前者だと判断した。
……場所はすでに客間に移り、オーギュスト、アンジェリーナ、バスティアンは茶会をしながら状況の確認をしていた。
武門の家とはいえ、たいていの貴族家は王都風の調度品をそろえているものだ。
まして王子の来訪が予期されているのである。ならば、相手の文化に合わせて茶や菓子、家具を用意するのは貴族として当然の心得と言えよう。
しかしラ・ロシェル家はそうではなかった。
どこまでも『我が家風』を崩さない。
たとえば王都ではテーブルやテーブルクロス、椅子などは『白』の『木製』が多い。
しかし、この家は『黒』の『石材』が調度品の多くに使われていた。
石材というのは重く、高級なものはそこに『割れやすい』という性質が加わる。
つまり遠くまで運びにくい。そういった特性から石材産地ではない王都などではアクセント的に一部で使われるマーブル模様の石材を、この家では豪華にテーブル全体に用いたり、椅子に用いたりしている。
座り心地にかんしては、述べるまでもないだろう。……いいはずがない。
クッションは敷いてあるが、ごまかすのにも限度があるほど硬い。それに、座る前に椅子を引く動作だけでも、その重さのせいで、力のある護衛の男性を二人は呼ばねばならないほどだった。
どうにも武門一辺倒の家はこういう『硬さ』『重さ』を好む傾向にあるのだ。
ついでに述べるならば色は白より黒を好むし、形状は曲面が多いものより角ばっているものを好む。
バスティアンの家はそういう『武門風』の最先鋒といった様子が、家のあちこちから無言のまま伝わってきた。
用意されている茶葉も香りは閉じていて、濃く渋い淹れ方をしている。
……きちんと香りを開かせる方が絶対にいいと、この場でテーブルを囲む三人は思っているのだが、この家はそうではなく、また、『我が家風』を貫くよう、メイドなども指示されているらしかった。
アンジェリーナは眉根を寄せてティーカップをソーサーに置き、
「イノシシというのは、なんだ、そこまでの脅威なのか?」
お茶を飲まないために切り出した話題、というのみではなく、実際に気になるところではあった。
アンジェリーナは魔王として目覚めて以来……というよりも生まれてから今まで、小鳥や虫、魚以外の野生動物を見ていない。
が、知識はある。イノシシは危険だ。危険には違いないのだけれど、当主と次期当主が私兵を率いて出陣するほどかと言われると、首をかしげざるを得ない。
というか貴族は平民よりだいぶ強い。さすがに身分があるので一人でさっと行って魔法で倒してさっと帰ってくるというわけにはいかなかろうが、一つの家の主戦力が二人そろって出るほどとは、とうてい思えないのだが……
「ああ、そうか。教本だと大きさがわかりにくいですね、たしかに」
オーギュストが朗らかに笑う。
いくらかの親愛の情もあるその笑みは、『知ってて当然のこと』を知らなかった時のものだ、とアンジェリーナは学習していた。
「アンジェリーナ、ちなみに君は、どのぐらいの大きさを想定しているんですか?」
「どのぐらい……いや、もう間違えていることがわかっているので、述べるのに気が進まぬのだが」
「そうですか? では正解を述べましょう。四つ足をついた状態で、高さが君の身長の三倍はあります」
「はあ?」
「……あの、興味本位なんですが、どのような大きさを想定していたか、やっぱりたずねても?」
「我の腰ぐらいではないのか?」
「……まあ、生まれたてならそのぐらいでしょうか? 君の背は人としての器に比するとあまりにも小さいですからね」
「いや……三倍?」
アンジェリーナは眼帯に隠れていない方の目を上に向けた。
今は席に着いているが、三倍……この家はどこもかしこも『槍を持ったまま移動する』ことが想定されている高さなのだが、それでも天井を突き破りそうな気がする。
「……むう、それは動物というより、魔獣と呼ぶべきのような……」
「まあしかし、イノシシといえばその大きさですからね。そうだバスティアン、今回の群れはどの程度の規模で━━」
「そんな生き物が群れで活動するのか⁉︎」
「━━ええ、まあ、それは。そういう生態なので」
「魔物ではないか!」
「大げさな表現では『魔物』と呼ぶこともあるようですが……物語の中で用いられる表現、になりますかね……? ともあれ、そういったものを討伐するのが、領地に私兵を持つ武門の家の役割の一つなんですよ。これは、王家の訪問より優先されるべきものです」
「いやいや……そんなものが唐突に現れるのか?」
「唐突に……まあ、唐突ですかね。基本的には貴族が土地を調査して、早期の発見をしているのですが、時おりこういう事態も起きます。イノシシの例だと、どうにも地下に穴を掘って潜むらしく、風雨などで巣の出入り口を見逃してしまうと、このような事態に」
「大丈夫なのか、バスティアンの家の者は」
「そうそう。それで群れの規模をたずねておきたかったのです。あまりに多いようなら、僕もしかるべき応援を呼ばなければなりませんから。……まあ、嫌がられるとは思いますが」
武門の家の特徴、というのか。
助力されるのを嫌がる。
どうにも『自分の縄張りは自分で面倒を見る』という意地があるらしい。
もちろんただの意地ではなく、武門が戦闘において他家や王家の助力を請うと、武門としての沽券にかかわるらしい。沽券を問われればそのまま資格を問われ、それにより民衆や他家の信頼を損ねると家の存続にかかわる。
武門を名乗るのだから武力がそのまま信頼に直結しているという話は理解できるのだけれど、ちょっと討伐対象が予想外にデカくてアンジェリーナはついつい心配になってしまった。
……そもそも、現代の人間は、『魔王』がいたころよりだいぶ弱いという印象がある。
それは知識の失伝もそう思う要因の一つだが……
(……そういえば、我は学園でしか他の貴族を見ておらんな)
あそこは牧歌的な雰囲気がある、というのか。
やっていることがあくまでも『授業』であるせいか、殺意が薄いというか、本気度が低いというか……
殺し合いに放り込んだらおたおたしてなにもできずに死にそうな感じがぬぐえない。
が、バスティアンの家は武の専門だ。学生を基準に心配するのは失礼にあたるだろう。
と頭では思いつつも、まあ、ぬぐいきれないわけだけれど。
アンジェリーナが思い悩む様子を見せたせいか、会話が止まっている。
ちょうどその時、応接に使われている部屋の分厚い扉がノックされた。
ゴンゴン、という音にアンジェリーナは視線をやらないよう気をつける。
ノックにはメイドや執事が対応するものなので、貴人はこれを気にするそぶりを見せてはいけない。それは『対応が遅くない?』という意図を読み取られてしまう行為なのだった。
半開きにされた扉。ドアの内と外でされるやりとり。対応したメイドから、部屋にいる使用人の中でもっとも身分が高い者までの伝言ゲーム。
そんなものを経て、ようやく、アンジェリーナたちまで報告が上がる。
「ウォルフガング様がお戻りになられました」
一瞬『誰?』という顔をしそうになったが、アンジェリーナはこらえた。
どうにか記憶の片隅に引っかかっていたその名前は、『親リシャール派』にしてこの家を治める武闘派の貴族……バスティアンの父の名だった。
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