第43話 リシャールの演説

「弟がやらかしたようで」


 夜半。


 宵闇を照らす灯りの中に、真っ黒な人影が浮かび上がっている。


 黒い長髪。黒い服装。手袋までした完全防備でこの蒸し暑い夜の中にいながら、一筋の汗さえ流してないその人物は、黄金の瞳で聴衆たちを見る。


 その視線を受けた聴衆たちは我知らず姿勢を正し、押し黙る。

 するとあたりには響き渡るような静寂だけがあった。……未だに音楽や喧騒が鳴り止まない周囲の音さえかき消すほどの、それはそれは重厚な静寂だった。


 壇上の者━━リシャールは引き結んでいた口をふっと緩めると、


「実のところ、弟とは二つほど獲り合いをしておりましてね。一つはもちろん王位ですが、もう一つは、いや、これがお恥ずかしいことに、女なのです。特にやんごとなき方々はご存知でしょう。悪名高き『離島のアンジェリーナ』。かの大領地の次の持ち主たる彼女です」


 口調は飄々ひょうひょうとしていて、語り口は軽やかだ。

 けれど笑いの一つも起こらない。重々しい、というほどではないのだが、リシャールの話を聞く者たちは、一様に訓練された騎士団のように、きちんと立って姿勢を正し、ただ壇上の王子を見上げている。


「そういうわけで、私もあらかじめ用意していた原稿があったのですが、弟が政治公約だの実績の羅列だのを放り出したという話を聞きまして、『これは兄として負けていられないぞ』と思い、原稿を放り投げ、即興でのお話をさせていただいている、ということです。条件は揃えなければ面白くありません。公平に判断をお願いするためにもね。なにせ、我らの競走の結末は、みなさんの人生にも関わるのですから」


 場の緊張感が一段高くなったようだった。

 これほど軽やかに、柔らかい表情を心がけて話しているのに、空気はあまりに張り詰めている。


 ……だからこそ、こうやって飄々と語る必要がある。

 リシャールは己の言葉の重さを自覚している。これが堅苦しく話しては、場の聴衆を呼吸困難にしかねない。


「弟は『夢の肯定』を掲げたと聞きます。さすがに私がその場にいては緊張して話どころではなくなっただろうと気を遣って、様子だけあとから聞いたわけですが、いや、その場にいなかったことを後悔しております。なにせ、弟ほど『夢』という言葉から縁遠い者もなかった。それが、夢を語るまでになった。その場にいたら、感動のあまり泣いてしまっていたかもしれません。……本当に大きくなった。本当に、あいつの兄でよかった」


 最後の方の言葉はしみじみとした本物の感動があって、それが聴衆の困惑を誘った。

 王位継承権を持つ者同士、険悪とまではいかないだろうが、そこまで仲がいいというほどでもなく、少なくとも相手の成長を素直に喜べはしないだろう━━という認識が一般的だったからだ。

 しかしリシャールの言葉はあまりにも『真』がこもりすぎていて、そのギャップが人々を混乱させたのだ。


 リシャールは本当に涙でも浮かべかねないような切ない顔のまま、


「ようやく抱いた弟の夢を叩き潰すのは、心苦しいものです」


 鼻詰まりさえわずかに感じるような、感動に打ち震えた声で、述べる。


「弟のことならいくらでも語れます。それに、通り一遍の演説も……政治公約、思想信条、生い立ち、実績、王位継承に懸ける熱意……そういったものを語ろうとするならば、一昼夜でも足りないでしょう。ですから原稿を投げ捨てた今、私が将来の王としてみなさんにかける言葉は、一つきりしかありません」


 リシャールはニッと笑い、指を一本だけ立てる。


 そして、拡声の魔道具にささやきかけるように、


「私に従え。さすればすべて、うまくいく」


 ……それは。

 それは魅了の魔法でも使ったのかと疑ってしまうほどに、聴衆の言葉に突き刺さる一言だった。


 黙って話を聞いていた聴衆たちは、堪えきれないという様子で叫び始め、『リシャール王!』と号令を始めた。


 この場にアンジェリーナがいたならば、リシャールが魔法もなしにこの現象を引き起こしたことに目を剥いていただろう。


 リシャールは笑顔を浮かべて、スッと片手を上げる。

 すると聴衆たちは一斉に鎮まった。……あらかじめハンドサインごとの対応を定めらていたかのようだったけれど、そんな前説など、少しもなかった。


「私は王位継承と同時に『離島のアンジェリーナ』を妻に迎える予定です。オーギュストと私と、あのアンジェリーナを妻にできる器がどちらか、そこも加味してご判断いただければ幸いです。……では、つまらない話はここまでということで。祭りの夜を、どうぞ、お楽しみください」


 リシャールは大仰に優雅に一礼をして、壇上を降りていく。


 王族が聴衆に礼をする━━というのはマナーの面からすればよろしくはない。

 だが、マントの裾を持ちながら大きな動作でお辞儀をするリシャールは、舞台役者のようにさま・・になっていて、その場にいたマナーにうるさい貴人でさえもが、見入ってしまってその行儀悪さについて思い至ることができなかった。


 聴衆は解放されてもなお、リシャールの演説について語り合っている。

 かの王子の演説は、この祭りのどんな出し物、どんな料理よりも人々を熱狂させているようだった。


 言って欲しい言葉を、言って欲しい場で、言って欲しいタイミングで、言って欲しい声音で言う。


 リシャールがしたのは、ただそれだけだった。

 そこに『予言者』たる前評判と、低く心地よい声音が加わると、ここまでの威力を発揮する。


 ……祭りの夜は、こうして更けていく。


 平等に夜はすぎ、ただ平等に、朝は来るのだ。 

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