第42話 オーギュストの演説

 だから、この王位はようやく捧げる先の見つかった花束だ。


 高い高い崖の上にあるこれを、誰よりも早くつかみとり、誰よりも早く捧げる。


 ……まあ、たしかに、ベルトランが危惧するのもわかるぐらいの熱の入れようで、こうして自分の心情を客観的にながめてみれば、不自然さも不可思議さも十二分にある。


 冷静ではないのだろう。


 でも。


 冷静でないのは、楽しい。


「みなさん━━」


 昼日中のまばゆさの中で聴衆に呼び掛ければ、ざわめいていた人々がしんと静まりかえって、一斉に視線をオーギュストに向けた。


 一段高い壇上で受け取る仮面越しの視線は、なるほど、あの中に魔物が潜んでいると言われても納得してしまうぐらいに、突き上げるような重圧があった。


 足から力が抜けるかのような緊張。

 喉が渇いて咳払いをしたくなるがこらえる。


 笑みが固くならないようにほぐして、聴衆を見返す。


 ……仮面をつけた人々は、誰が誰かわからないのに、みな、個性的だ。


『大勢の聴衆』ではないのだった。

『王子の演説を聞こうとしている、一人一人が、たくさんいる』のだった。


 ……そうだ。昼の水の都は、まだまだ、祭りでにぎわっている。


 オーギュストの立っているここは王族の演説用の場所で、もちろん広いし、人でごった返しているけれど、ここに来ないで出店や音楽を楽しんでいる人たちだって、大勢いる。


 その証拠に耳をすませば遠くに音楽と喧騒がある。


 ……ああ、まずい。

 緊張が解けてきたのはいいけれど、事前に用意しておいた原稿の内容が飛んでしまった。


 自分が王位を継承したあかつきには行う政治公約とか、自分に支援を約束してくれている家の名前とか、自分が今までしてきたこととか、そういうアピールポイントがすっかり頭から消えてしまった。


 けれど手もとに原稿はないし今から壇上を降りて取りに戻ることもできない。

 頭の中になにが残っているだろうと探って━━


 自分のことしかないな、と笑った。


「みなさん」オーギュストはにこりと笑う。もちろん仮面はつけていないその笑顔を、しっかりと聴衆一人一人に向けた。「祭りは楽しんでくださっていますか?」


 少し待てば、きょとんとした空気があった。

 否定するような様子がなかったのに安堵して、「それはよかった」と続ける。


「実のところ、僕も『水の都』の祭りには何度か参加したことがあります。たくさんの出店があり、音楽が流れ、大きな動物たちが往来し、サーカスまで来ている。水路に目を移せば、船頭たちがお客さんを乗せて、歌声を高らかに上げながら行き来していますね。にぎやかで、きらびやかで、これほど素晴らしい祭りを行える都市は、他にないでしょう」


 少し誇らしげに胸を張ったのは、現地の者だろうか。

 なににせよ否定する空気はなかった。当たり前だ。みな、仮面を被り、仮装をして、年に一度の祭りを楽しんでいる。楽しむつもりがないなら、そもそも、ここに来ていない。


 オーギュストは聴衆に微笑みかけたまま、


「僕は、この祭りを楽しいと感じたことが、一度もありませんでした」


 場を凍りつかせた。


「すべて、どうでもよいものとしか思えなかったのです。ここでお忍びで出店を回ったこともありました。けれどそれは父に言い渡された役目だから、そうしていただけでした。出店の料理も、そこらじゅうから流れる音楽も、歌声も、人いきれも、なに一つ、僕の心に届くものはなかったのです」


 批判的な空気はまだない。


 だが、視界の端にいる従者などは顔を青ざめさせていたし、原稿を担当した者などは頭を抱えていた。

 それはすごく申し訳ないと思う。まさか原稿の内容が飛んでしまうとは思わなかった。間違いなく落ち度なので、あとであつく謝罪をしておかないといけない。


 ……そうやって。

 この舞台に多くのものを懸けてきたが故に、激しく一喜一憂する人々を見て。

 オーギュストは、心から、思っていた。


「僕はただ、みなさんのことが、うらやましかった」


 出店も音楽も船頭もサーカスも、今日、この祭りのために練習を重ね、準備を重ねてきたのだろう。

 観光客もそうだ。年に一度のハレの日を目指して、こつこつ貯蓄をしてきた者も多かろう。


 だから、この日を精一杯、『いい日』にしようとする。

 なんて━━当事者的・・・・で、うらやましいのだろう。


「祭りの日、水の都には人生を懸けて精一杯過ごしている人たちであふれています。必死に生きることができる人でにぎわっています。僕はいつも、それをどこか遠くにいるような気持ちで見ていました。……憧れはありませんでした。どうせ、僕には彼らのように心の底から、命懸けで成したいことなど、なにもないし、これから先もなにもできないのだろうと、そう思っていたのです」


 オーギュスト自身の培った知識・常識が、先ほどから『今の発言はまずい』と警鐘を鳴らしっぱなしだった。


 祭りを楽しむ人たちの前で祭りに批判的なことを述べた。

 王族である自分が平民たちも混じるこの場所で『精一杯必死に生きている人たちの気持ちはわからない』だなんて言ったら、それは文意がどうであれ『自分は何不自由なく過ごしているので働かなきゃいけない人たちの苦労なんかわからない』と受け取られるだろう。


 支持者を増やすための演説で支持者を減らすようなことばかりしている。


 けれど不思議なことに、あらかじめ用意されていた原稿より、すらすらと言葉が出てくるのだ。


「けれど、今年から、僕もこの祭りに混じることができそうです」


 とうに取り返しがつかない空気が流れている。

 聴衆は凍りついていて視線は冷ややかだった。怒気をはらんでいる者もいた。


 オーギュストは笑みを浮かべない。

 代わりに目を伏せて、お願い申し上げる。


「初めて、心の底から得たいものができました。それは王位では、ないのです。王位のさらに先にあるものなのです。たった一人のための、『書』なのです。そして……みなさんの中にはご存知の方もいらっしゃいますでしょう。僕には婚約者がいます。僕が得たい『王位の先にあるもの』とは、その婚約者のためのもの━━では・・ない・・のです」


 アンジェリーナの求める知識が、王位の先にあるとして。


 それをアンジェリーナのためにとろうという意思は、もちろん、あるとして。


 でも、けっきょくのところ、一番ほしいものは、


「僕は、人生で初めて自分で目標を抱くことができました。この、初の目標を達成したいのです。それがもっとも強い、僕の望みなのです」


 人からかけられた望みばかりを叶えてきた。


 優秀であれと言われたからそうした。いい子であれと言われたのでそうした。

 正答のあるすべてのことに正解を出してきた。


 ……おそらく、水の都領主であるベルトランの思い描く王とは、そういった『期待されたものに対し正解を出し続ける』というあり方を、国家という単位でやり続ける、『民のための機構』なのだろう。


 では、自分は『王』をどのようなものと描くのか?


「王とは、夢を肯定する者と、僕は考えています」


 夢の抱き方は今もってわからない。

 きっと、『自分なりの目標』とか、『お前だけの夢』とか、そういうものを問われてまごつく人も少なくないはずだ。


 それは、それでいい。

 オーギュストは自分を肯定する。かつての、夢も希望もない、卒がないだけの理想の王子としての自分も。女のために王位を目指すのかとベルトランに危惧されるような、今の自分も。


「夢の肯定とは、努力の成就を後押しし、夢破れたあとに再び挑戦するチャンスを与えることです。そして、今はまだ夢と言われてもなにも思い浮かべることのできないすべての人が、ある日夢に目覚めた時に、挑戦してもいいのだと思える世の中を作ることです」


 何歳でもいい。

 どの身分でもいい。


 ……もちろん、身分が低い者には低い者の、高い者には高い者の、それぞれの苦労はあるだろう。

 資産だってそうだ。あればあっただけ、夢は叶いやすい。

 そこを平等にするなどとは言わない。


 目指すのは、誰が誰であろうと、何が何であろうと関係なく、夢を追ってもいい国家。

 それはすなわち、


「挑戦の肯定。失敗した際にそっと支えられる『手』にあふれた国。僕が思い描く王は、たくさんの手でみなさんの背中を支える王であり、国家です。だって、失敗を恐れて挑戦もできないなんて、あまりにも、夢がない話じゃありませんか」


 王子らしからぬ笑みを浮かべるころ、聴衆からの敵意が薄れていた。

 オーギュストは聴衆たち一人一人を見回して、


「どうか、僕もこの祭りに混ぜていただきたい。懸命に準備し、入念に練習し、丹念に計算し、心臓が張り裂けそうなほどの緊張と期待を胸に、一世一代の舞台に立ってもいいのだと、許していただきたい。……人生で初めて抱いた僕の夢を、『そういうのもアリかもな』と、そう思っていただけたのなら、こんなに嬉しいことはありません」


 オーギュストは一礼して壇上から降りた。


 しばらくあと、進行役の者が慌てて「あ、お、オーギュスト殿下からのご挨拶でした!」と告げる。


 拍手は、なかった。

 ざわめきも、なかった。


 ただ、人々はオーギュストのいた壇上をながめて、なにごとかを考えている様子だった。


 ただ━━


 そう悪い雰囲気ではなかったと、オーギュストには感じられた。

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