第38話 禁足地の『書』

 魔道具。


 それは生活のあらゆるところに密着しているものだ。


 美しい河。

 たやすく点く炎。

 肥沃な土。

 涼やかな風。


 それらは魔道具によりもたらされ、平民から貴族まで広く親しまれている。


 もちろん品質のいいものは高く、高いものは庶民には買えない。

 そういった商業流通している道具としてのどうしようもなさはたしかに有しつつも、『夜に部屋を灯す明かり』から『広い場所に声を届かせる拡声器』まで、日常のあらゆるところに魔道具というものはしっかりと根付いている。


 だが━━


「人を魅了する魔道具、ですか。……それは現在で言われている『魔道具の定義』から、かなり外れます」


 魔道具の定義というのは、ようするに『魔法でできることを、魔法を使うよりも小規模・低品質で行える道具』というものだ。

 ランプに使われている炎属性はどれほど質のいいものを使おうとも部屋を焼き尽くすほどの現象は起こせないし、拡声器に使用される風属性は、どれほど大声を張り上げても声を衝撃波に変えて人を打つようなことはできない。


 仮に戦いに使うのであれば不便だ。

 けれど生活のために使うにはその『弱さ』が便利だ。


 ……もちろん、あらゆる道具がそうであるように、危険に使う方法もあるのかもしれないが。

 それにしたって━━


「『魅了』という魔法は、ない・・んですよ。だから、魅了の魔道具もありえない」


「……」


「━━と、切り捨てて議論を打ち切るべきかもしれませんが」


 オーギュストはそこで柔らかくアンジェリーナを見つめ、


「僕は不可思議をただ否定するばかりでなく、君の感性を不可思議という要素を切り離して理論化したいと思っています。君の言葉を聞かせてください、アンジェリーナ」


 その澄んだ青い瞳に見つめられると、アンジェリーナはつい、上体を引いてしまう。

 今さらながら金髪碧眼の貴公子たるオーギュストが、すぐ目の前に座っているという状況にドキドキしてきた。


 そばに仕えているメイドをちらりと横目で見て、平静を取り戻すため三度呼吸をしてから、再びオーギュストへと視線を戻し、


「言葉、とはいうが……『水の都の領主一族に伝わる仮面が、魅了の効果を持った魔道具かもしれない』というぐらいなのだがな」


「ふむ。たしかに、エミールの一件は振り返れば異常と言えるでしょう。あの場にいた僕は『まあ、エミールは確かにかわいいものな』程度のことしか思いませんでしたが……そこも含めて、異常なのでしょうね」


「いくらなんでも出店が半壊はおかしいであろうに……その場にいなかった者は不自然さを口にしなかったのか?」


「その場にいなかった者は……そうだ。笑って流すだけでしたね」


「不自然すぎて冗談だと思われたか……」


「今思えば、そういう類の反応のように感じます。……さて、アンジェリーナ、質問です」


「なんだ」


「君は魔道具を一目見れば『これは魔道具だ』とわかるんですか?」


「起動中ならばわかる。魔力を発しているからな。だが……起動していないとなるとさっぱりだし、誰かに魔道具の影響が出ていても、効果をかけるのが完了したあとではわからん。終わってしまった魔法の残滓、というのか、そういうものの感知は不得手なのだ」


「では、領主夫妻にお願いして仮面を見せてもらっても、起動中でなければわからない、ということですね」


「うむ。そもそも……仮面が先祖伝来のものであるならば、エミールより前にその仮面を身につけた者はどうだったのだ? やはり接した者が異常に魅了されたというようなことが起こったのであろうか」


「……『水の都』の本来の、と言うのか、今の制度が始まるより前の領主一家は、断絶しています」


「前の領主?」


「現在の『水の都』の領主は、王位継承権争いで敗北した王子がなることになっているんですよ。代々この土地を守っていた一家ではなくね」


「ではエミールは後を継がんのか」


「領主にはなりませんね。敗北した王子の補佐となるため、仕事を叩き込まれているはずですよ。まあ、敗北した王子が野に降るとか、そういうことがあれば領主になるのでしょうが、前例がない。……僕らの祖父の代から、水の都の領主一族は、なんらかの理由で王子がすべて早逝した場合に王位を継いだりするための立ち位置になっていたりと、まあ、なかなか複雑な話です」


「人の権力機構は面倒くさいものな……」


「……複雑とは言いましたが、貴族にはよくあることなので、本当に誰も理解し難いほどに複雑だと受け取られても困るんですよ」


「わかった。学ぶ……」


「……ともあれ、その仮面の最初の持ち主だった家は断絶しています。来歴や『つけた時の周囲の反応』などは記録をあたるしかない、のでしょうが……これが難しい」


「なぜだ?」


「調べることを禁じられているからです」


「ほう」


 アンジェリーナはニヤリと笑った。


 ここに来て急に見えた『禁則事項』。

 これに何者かが作り上げた迷宮と、その向こう側の『真実たからもの』を感じ取れた気がしたからだ。


 オーギュストは苦笑する。


「とりあえず、穏当な手段で仮面について調べましょう。仮に魅了などという効果を発露するものがあるならば、先祖伝来の仮面でしょうからね。……ただし、興味本位の、軽い気持ちの、範疇です。僕らはなにも、禁則事項を破りに来たわけでも、魔道具とその来歴を蒐集するのが目的というわけでもないし、仮面の話はちょっとした雑談に過ぎないのですから」


「……それもそう、だが」


 だが、それはそれとして、やはり、気になるものは気になる。


 その仮面について詳しく調べなければならない理由は、今のところ、たしかに、ない。

 が、その仮面の向こう側にあるものが、現代に闇属性や光属性が伝わっていない理由であり、魔族というものが実在したことのないものと伝わっている理由であり……


 リシャールの『ループ』。

 ヴァレリーの『乱心』。


 そういった、自分たちの暮らしの外周部をなぞる不気味な指先・・をつかむための、きっかけのような気がするのだ。


 アンジェリーナはあごに手を添えて提言するだけしてみる。


「個人的な興味、というのでは『家宝を調べる理由』としては弱いか?」


「入学前の君なら、それだけで突き進んだのでしょう」


「つまり『やってもいいが評判は悪くなる』と」


「…………そうですね」


「ふぅむ、困るな。我の評判はオーギュストの評判にもなろう。我らは世間的に婚約者だし、この長期休暇はずいぶんともに行動し、各所の貴族に顔と名前を売った……」


「けれど、君は調べたい」


「否定はせんよ」


「わかりました。領主夫妻には僕から掛け合いましょう」


「ん? なんだと?」


 アンジェリーナが目をしばたたかせる。


 オーギュストは笑って息をつき、


「争いがないため武功はなく、王位継承権の争奪戦は結果が出るまでしばらくかかるので君に捧げる花もない。そもそも君は、花を求めてもいない」


「ん? お、おお?」


「ならばこれは、僕が度量を示すまたとない機会です。君には花より書のようだ。僕が捧げましょう。禁足地にある『書』を、どうにか、最大限に君の心が咎めないようにね」


 オーギュストは穏やかに笑っていた。


 てっきり否定されるものと思い込んでいたアンジェリーナは、しばらく話を理解できずに「おお? うむ?」となんにもわかっていない顔でとりあえずうなずくしかできなかった。

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