第34話 王子orお嬢様
これは、『水の都』でオーギュストがリシャールに『奇襲』を受けた夜にあった、もう一つの会話だ。
夜も遅い時間だというのに唐突にたずねてきたリシャールに、アンジェリーナ付きメイドであるララはぎょっとした。
なにせ貴族の界隈において『紳士が淑女の部屋に、なんの連絡もなくいきなり訪れる』というのはずいぶんと
まして成人した男性が女性の部屋を訪れるなど、それは『都合のいい情婦扱いをしている』と受け取られかねない蛮行だ。
ララはアンジェリーナの側付きであるからして、その直属の主人はアンジェリーナにあたる。
一方で夜半すぎにいきなり訪れた相手は第一王子であり、国民としては貴族令嬢アンジェリーナよりもよほど逆らい難い相手である。
冷静で理知的で度胸があって重圧に強いと評判のララではあったが、この状況にはさすがに一瞬で胃が痛くなるほどのストレスを覚えた。
王子と、主人。
どちらを優先すべきか?
目の前に王子がいるというありえない状況だ。長く考え込むことは許されない。
だからララは永遠にも思える一瞬のあいだに、判断を下した。
「お嬢様はお疲れです。どうぞ、お引き取りください」
もう少し、言葉を選ぶことはできた。
けれどララは、あえて、すげなく対応した。
世間におけるリシャールの評判は高い。
が、弟の婚約者であるアンジェリーナに横から婚約を申し込んだり、こうして夜にいきなり訪れてみたりと、ララから見るリシャールは『
その『遊び人』に丁寧に接して振る舞いが無礼であることをわからせないと、そのままずるずるとアンジェリーナがよからぬ『遊び』に巻き込まれかねないと危惧したわけである。
するとリシャールは黄金の瞳を細めて、口もとに笑みを浮かべた。
その表情を見てララは打ち首を覚悟した。
不敬罪も断頭台も長いこと使われてはいないが、そういう法律があって、そういう処刑方法があることは事実だ。
自分がしばらくぶりにそれを適用されるかもしれないと、リシャールの
だいたい、世間で評判がいい貴人なんて、裏ではなにをしているかわかったものではない。
よくあるゴシップネタだ。……普段はそういう不確かな情報で騒ぐ同僚を眉をひそめて見ているララではあったが、今この瞬間、リシャールがどんな卑怯な手段で深夜の面会を遮った自分に報復をしてきても不思議ではないだろうと感じた。
しかし、
「いや、失礼。おっしゃる通りだ」
「……?」
「このような時間に先触れも出さず面会を求めたことは、たしかに不埒な振る舞いと思われても仕方がない。ミス・アンジェリーナは、勇気があり、忠誠心のある従者に仕えられている。ご本人の人柄がうかがえるようだ」
「……で、でしたら、お引き取りを」
「仰せの通りに。けれど一つ、
「内容によります」
「はははは。これは機嫌を損ねてしまったようだ! ……ミス・ララ、そう嫌わないでくれ」
「え?」
まさか王子が自分の名を知っているとは思わず、つい、変な声を出してしまった。
そもそもメイドは貴人との会話のさいにいちいち名乗ったりはしないので、名を知られている方が不自然だ。
……実家ではいちおう『令嬢』だったし、その時に接したことがあるのかなとも思ったが、自分のような下級の貴族の家のことを王子が認識しているとも思えない。
名前を呼ばれた理由がわからなくてララは引っ込みかけた恐怖がまた戻ってくる心地だった。
リシャールは「ああ」と気まずそうに声を漏らし、
「どのようなことがあろうとも━━たとえ主人が破滅しようとも、最後まで付き従う従者というのは、ほとんどの貴族が得ようと思っても得られないものだ。当然ながら、そういった従者のことは頭に残る。あなたがそういう従者だから、私は記憶していた。それだけの話だよ」
「…………?」
「言伝をいいかな?」
「は? はい」
「『王位という花束を捧げれば、あなたを喜ばせることができるか?』と伝えてほしい。回答はいらない」
「……承りました」
「ありがとう。ところで、髪は伸ばしたのかな?」
「……ええと……お嬢様が、その、おっしゃる、ので……長い方がいい、と」
「そうか、そうか。……似合っているよ。今のあなたは楽しく仕えられているようで、なによりだ」
リシャールは背を向けて去っていく。
完全にその背中が見えなくなってから、ララは大きく息をついた。
メイドとしての
(……今のは……なに? 結婚しないと破滅させるという脅し……?)
リシャールの意味深な言葉の数々が、頭の中でぐるぐる回っている。
……これは、オーギュストの部屋を訪れる前にあった一幕だ。
このあと、オーギュストは苦悩し眠ることもできない有様になるが……
もう一人、同じようにリシャールに
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