第33話 格好

 ……そろそろ、明確にしておかねばならないことがあるだろう。


 その日の夜、明日読み上げる原稿をすっかり暗記してしまってから、オーギュストはアンジェリーナの部屋を訪ねた。


 このような時間に婦人の部屋を訪ねるなどというのは本当に礼を失した振る舞いで、当人や側仕えの者から白眼視されても仕方ないほどのことだが……


 どうしてもオーギュストは、早いうちに、二人きりでアンジェリーナに伝えたかった。


 長く美しい黒髪のメイドは少しばかり渋ったけれど、アンジェリーナが気にしないことをわかっているのだろう、最終的には折れて、部屋に通してくれた。


 アンジェリーナはすでに寝支度をしていて、その体を真っ黒い寝巻きに包んでいる。

 薄手のふわりとしたワンピースタイプの寝巻きからは、アンジェリーナの小柄だが豊満な体つきがよくわかった。

 腰まである長い銀髪も今はほどかれていて、みょうななまめかしさがかおっている。

 オーギュストは『先触れを出してなにか羽織っていてもらえばよかった』と少しだけ後悔した。


 ただし、右目の眼帯と左腕の包帯は相変わらずで、もしや寝る時まで外さないのか……とアンジェリーナの『筋金入り』さに笑みがこぼれてしまう。


 アンジェリーナとは話をするつもりだし、変な気を起こすことはない。

 それでも、メイドが主人を気遣って部屋から下がらないのはありがたかった。

 第三者の視線がそこにあるだけで、オーギュストはずいぶんと胸を張って背筋を伸ばして、王子としての自分を維持することができたから。


 それでも、場合によっては、メイドには辞してもらわねばならない。


「確認しますが、ここから先の話は国家機密に相当する可能性があります。それでも構いませんね? 仮に外部に漏れれば、メイドの彼女はただでは済まない可能性がありますが」


「問題ない」


 アンジェリーナは信頼感たっぷりに断言するのだが、当のメイドは表情をちょっとだけ変化させて『えっ?』とでも言いたげだった。


 本当にいいのかなあとは思うものの、とにかくアンジェリーナに信頼されているというのはわかった。

 あのアンジェリーナに信頼されているならば、『こういう話』を聞かれたとしても、王家一同頭がおかしいのだと話を広められる可能性は低かろうと思うことにする。


 オーギュストは用意された来客用椅子に腰掛けたまま、身を乗り出すようにして、


「兄は、同じ時間をなんども繰り返しているそうです」


 リシャールにされた話を、そのまま伝えた。


 とはいえ、それはほんの短い告白でしかなかった。

 冗談のようでもあり、本気のようでもあり……

 この告白への反応次第でこちらをはかっているかのような様子もあるし、ただ単にイタズラを仕掛けて楽しんでいるという様子でもあった。


 兄の内心はさっぱりわからない。


 だからオーギュストは、その時の兄の様子までふまえて、アンジェリーナに語って聞かせた。


 アンジェリーナは包帯でぐるぐる巻きになった左腕を口もとにあてて悩み、


「……確認しよう。オーギュストはその話を信じたのか?」


「いいえ」


「しかし、我に明かすということは、一定の信憑性がある、共有すべき情報だと認識したのであろう?」


「……僕はね、君の闇の魔力についても、兄の時間遡行そこうについても、信じないことにしているんですよ」


「……ふむ? 信じない『ことにしている』とは?」


「そういったものは、あるのかもしれない」


 信じないと断言をしつつ、あるかもしれないと実在の可能性を信じるようなことを述べる。


 アンジェリーナはまだオーギュストの意図がわからず、探るように真っ赤な左目でオーギュストの青い瞳をのぞいた。


 オーギュストは無遠慮すぎる視線に苦笑し、そしてちょっと照れて目を泳がせてから、


「……あるかもしれないけれど、それらの要素を、物事を判断するための勘定かんじょうには入れないと決めたんです」


「しかし、ヴァレリーの件はどうだ? 役割を放棄しエマをほうったことを、謎の力が働いたゆえ、ということにしたではないか」


「僕がスタンスを明確にしようと思ったのが、まさしくその時なんです。……光属性、闇属性。時間遡行。あるかもしれない。個人的には、あった方が夢があっていいとさえ思うし、自分にもそういった特別なものがあればいいという気持ちは、やはり、まだ、ちょっとはあります」


「……」


「でもね、僕は王になる。そういう不思議なものを判断の勘定に入れてしまうわけにはいかない。……そういった不可思議を許すたびに、僕が受け入れた不可思議のぶんだけ、しわ寄せを喰らう人が出る。王としてそれは、よろしくないでしょう?」


 ヴァレリーの件で、ガブリエルには、汚れ仕事をさせてしまった。


 ……もちろん、リシャールの時間遡行……時間繰り返しを認めても、アンジェリーナの語る魔王だの闇属性だのを認めても、あの時のように誰かの仕事を増やすことにならないかもしれない。


 けれど……


「僕はどうにも、案外、流されやすい。だから僕は、たとえ闇属性だの時間繰り返しだのが本当にあったとしても、そういうオカルトなトリックを、現実的なロジックに変換して受け入れなければならないと考えているんですよ」


「ふーむ……我には理解し難いものではあるが、貴様の信念は尊重しよう。とはいえ、我は実際に闇属性も光属性も知る魔王の転生体である。オーギュストに合わせてそれらを『ないもの』と扱うのはいささか難しい」


「君はそのままでいい」


「闇属性を信じぬ貴様の前で、闇属性を語ってもいいと?」


「僕の信じるものを君も信じなければならない決まりはない。同じように、僕の疑うものを、君も疑わなければならない決まりはないんですよ」


「なるほど、しかり。……『王として』のスタンスはわかったが、王になったあとはどうする? それとも、王位を得たあと、王としてその後の人生を過ごすつもりになったか?」


 アンジェリーナの問いかけは『思いついたから』という程度の何気なさで、オーギュストついつい笑い声を漏らしてしまう。


 王を続けるか、王を辞するか。

 ……そもそも王位自体がまだ遠く、そんなことを論じていい段階にはない。


 実際に勝利を目指して真剣になってみると、やはり、リシャールはとてもとても大きな壁だ。

 方法、天運、モチベーション。すべてそろっていないと、とても太刀打ちできないだろう。


 だが、モチベーションについては、まだまだ、欠けている。

 今になってもなお、さほど玉座に興味を持つことができないでいる。

 だというのに、あの強敵を前に、格好をつけてしまった。


 思い返すだに後悔する。やらなきゃよかったと思っている。

 今から時間を巻き戻して、格好つけて勝負を続行する自分に『冷静になれ』と忠告してやりたい。


 でも。


 きっと、いくら同じ場面に直面しても、格好つけて兄との勝負を続行するのだろう。

 今の後悔を持って時間遡行したって、きっと、なんどだって、格好つけてしまうのだろう。


「王になったあとのことは、王になったあとに決めましょう」


 オーギュストは苦笑を浮かべながら言った。


「……それもそうか。さすがに気が早かった」


 アンジェリーナは、オーギュストの苦笑の意図を読んで、すまなそうに言った。


 けれど、それはたぶん、勘違いだ。


「アンジェリーナ。僕が笑ってしまったのはね、自分という人間が、今まで思ってきたようなものではないと気付いてしまったからなんですよ」


「と、言うと?」


「……僕は、自分のことを大人だと思ってきました。言われたことは完璧にこなす。負けても悔しがらない。勝ってもおごらない。身の程を知り、分不相応なことなど決してしない……そういう、大人だと思ってきたのです」


「今は違うと?」


「ええ。僕はどうにも、まだまだ子供だ」


「……まあ、十四歳だからな」


「そうなんですよ。兄にも失念されていましたが、僕はまだその程度の年齢なんです。……ああ、うん。ミス・エマなど見ていると思ってしまうのですが、平民の十四歳は本来、ああいう感じなのでしょう。貴族や王族はあそこまで素直でもありませんが、それでも、中身はまだまだ、子供でしょう」


「であろうな」


「ところが僕は、自分が中身まで大人なのだと勘違いしてしまっていた。僕はすべてを見通せない。兄じゃないから。僕はすべてを知っていることであるかのように受け入れられない。兄じゃないから。……だから、王になったあとのことは、王になったあとにしか、わからないし、決められないんですよ」


「……」


「兄がその完璧さで迷いなく王道を歩むなら、僕は、意地を張って、格好をつけて、転びそうになりながら王道を歩みましょう。なんていうか……理想と現実にはギャップがあって、僕は僕の理想より、ずいぶん不足していたようだから」


「そうか」


「幻滅しましたか?」


「愚か者め」


 アンジェリーナが足を組み替える。


 そばにいたメイドが『お嬢様、スカート』と言いたげに視線を走らせるが、残念なことに、メイドのいる位置は、アンジェリーナからすると死角だった。なにせ右目には眼帯がつけられているから。


 アンジェリーナは王子よりもよほど王らしい様子で椅子の肘掛けに肘を置き、頬杖をついて、


「我は貴様に幻想など重ねておらん。幻想を見ていないのに、幻滅もなにもなかろう」


「……最初から、君には僕の本当の大きさがわかっていたんですか?」


「そんなもの見ればわかる」


「それでもなお、僕は王位をとれると?」


「『大きさ』というものは、見た目でしかないぞ、オーギュスト」


「……」


「人の才覚や寛容かんようさを指して『大きい』『小さい』と述べることはあろうが、そんなものは比喩ひゆにしかすぎぬのだ。言葉遊びにあまり真剣になるな。貴様は背が高い。貴様はやや細く、しかし貴様は、我より大きい。それが『大きさ』という基準で語れるすべてだ」


「では、君はなにをして、僕に王位を期待したのですか?」


「わからん。たぶん、思い込みだ」


「思い込み⁉︎」


「いやほら、目覚めたばかりの我はアンジェリーナの思い込みをかなりの部分で引き継いでいたから。アンジェリーナの中で貴様は王になることが確定していたゆえに、我にもそう思えただけかもしれん」


「……」


「そもそも、我は期待をかけたか? 貴様に王になってほしいと言ったことが人生で一度でもあったか?」


「まあ、それは……」


 人生で、本当に、一度もない。

『王になるのですから』と言われたことは数知れないが、『王になってほしい』とは言われていない。

 そして、アンジェリーナがこう・・なって以降もまた、王になってほしいとは、言われていない。


 そもそも━━


「……そういえば、『僕が王以外になるためには、まず、王になるしかない』ということで目指し始めた王位でしたね」


「であろう。……で、実際のところ、しばらくやってみて、どうなのだ? 我は貴様の周辺環境を全然知らんかったが、ミスター・リシャールなどに頼めば、王位獲得レースを辞して市井に混じることも不可能ではなさそうだが? あれは案外、話のわかる男だ」


「参ったな。僕は『君に王位を捧げます』とさえ言えないのか」


「貴様らは本当になんというか……大輪の花束はおおよその貴婦人にとって素敵な贈り物ではあろうが、我はそのようなものはいらんぞ。王位が欲しければ自分でるし……」


「逆に君は、あの兄を相手にして王位をれるつもりなんですか?」


「本当に欲しければやりようはある。ただし、それは犠牲をいとわぬ方法であり、我にとって王位とは、その過程で犠牲になる者らより重いものではない」


 ……アンジェリーナの言葉は、自分のように格好つけているわけではないと感じられた。

 本当に手段はあるのだろう。ただ、やる気がないだけだ……そう信じさせるのに充分なほどに、等身大の言葉に感じられた。


「で?」


 アンジェリーナが首をかしげる。


 なにを問われているかわからなくて、オーギュストも鏡写しのように首をかしげた。


「オーギュスト、王位の話であっただろうに。我に捧げると言ってくれるのは嬉しいがな、そのようなもの捧げられても困るぞ。だいたい、そういうたいそうな花束は本当に伴侶とすべき相手に……ああいや。ともかく、我を理由にするのはよした方がいい。貴様の努力に見合う報酬を支払うことはできぬ」


「報酬だなんて、そんなことは……」


「金を払うという話ではない。ねぎらいと言い換えてもいい。商品には金銭を。努力には達成感を。贈り物にはお返しを。……有形無形にかかわらず、報酬というのは必要だ。報酬を送ることをいとうと、その関係は対等ではなくなってしまう」


「……」


「王位という返すもののないほど大きな花束で我を縛ろうというのなら、それもそれで構わんがな。そのようなことをせずとも、我らの友情は永遠不変だ。『自由のために王位を獲る』というのが目標だったはずだが、それはどうにも他の方法でも達成されるかもしれない。その場合、貴様はなぜ王位を目指すのかぐらいは、考えておいた方がよかろう」


 明日、兄との演説合戦があるのだが、その直前となるこのタイミングで、オーギュストは梯子はしごを外されてしまった。


 ただ。

 たしかに、王位という花束を贈りたいというのは、オーギュストがそう思っていただけで……

 アンジェリーナは最初から、王位が欲しければ自分で獲ると言っていた。


 だから、アンジェリーナにプレゼント予定だったものを贈る前からつき返されて、それでも自分が王位を目指すかどうかを考えた場合━━


「僕の意思に揺らぎはありませんよ」


 ━━王位という花束ならば、アンジェリーナに真剣さを示せるということに変わりはないのだと、やはり、そう思う。


(返すことのできないほどのものを贈ろう。その代わりに、僕は君に、僕の言葉を本気なのだと信じさせる)


 それは、アンジェリーナとの関係性が手詰まりの現状でオーギュストがようやく見出した、関係進展のための方法だった。


 あと、


「やはり途中で投げ出すのは、逃げたみたいで格好悪いですからね」


 口に出したこちらも、本音。


 格好いいとか、格好悪いとか、そんなことは、大人になれば『くだらない』と思うようなものなのだろう。

 少なくとも王位を目指すモチベーションとして正しくはないだろう。


 でも、今の自分にとっては、とてもとても、大事なものだ。


 ……ただ、一つだけ不安もあって、


「ねぇ、アンジェリーナ、格好つけている僕は、格好悪かったりします?」


 やはり格好つけたい相手からどう見られているかは、気になる。


 するとアンジェリーナは視線を逸らして、


「いや、まあ、なんだ。……格好つけているのだから、格好いいに決まっているだろう?」


 なあ、ララ━━とそばにいるメイドに声をかける。


 その様子がなんとなく逃げているようで、かわいらしくて、おかしくて、オーギュストはつい、笑ってしまった。

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