六章 隠された『書』
第35話 演説前の夜に
壇上に立つオーギュストへ注目している者は多かった。
金髪碧眼の貴公子だ。少女にも見える線の細い面立ち。すらりと長い脚をきっちりそろえて立つその姿は、生真面目な人柄がうかがえるようではあったが、緊張しているという雰囲気ではない。
水の都に集う人々が、仮面越しに━━今行われている『祭り』では、出歩く時にみな仮面をつけるのがドレスコードとなっている━━見つめるその瞳にあるのは『催し物に対する興味』が大勢を占めている。
昼日中の強い日差しがそこらじゅうにある川面の水をきらきらと輝かせ、この会場の外ではひっきりなしに賑やかな音楽や出店の呼び込み声が聞こえる中、聴衆の興味を留めておくというのも、なかなか難しい。
もちろん、オーギュストは王族だ。
市民はおろか、貴族でさえ、王族を直に見る機会はそうそうあるものではない。
だから、オーギュストはこれから行う演説で、『なかなか見れない第二王子』という物珍しい存在から、『きちんと意見を伴って王位継承を目指すオーギュスト』にまで、人々の認識の解像度を引き上げなければならない。
「みなさん━━」
柔らかい声が、聴衆に呼びかける。
オーギュストは一瞬で圧力を増す大量の視線を感じながら、ここにいたるまでのことを思い出していた。
◆
水の都では王族が広く観光客に向けて演説をする。
それは王家という長い歴史を持つ家からすればまだまだ出来上がって日が浅い『伝統』ではあるけれど、不特定多数の、年齢も身分も住んでいる土地もバラバラな人々に一気に呼びかけられるということで、王位継承権争いにおいて重要な役目を持つものであった。
当初、第一王子リシャールと第二王子オーギュストは、日を分けてこの演説にあたる予定であったが……
第一王子リシャールからの提案で、同日別時刻に行うことになった。
それでもって、すでにその演説の日は翌日に迫っていた。
「とりあえず、僕は昼に演説をすることになりました」
どこか疲れたようにオーギュストは報告する。
オーギュスト陣営用のサロンは、陣営に所属する者にはいつでも開放されている。
とはいえ水の都まで来ている主要人物はオーギュスト本人と、あとはアンジェリーナぐらいのものだ。
もちろん使用人はいるが、方針決定という場だと、やはり『家』を背負う貴族である必要性がどうしても生じるのだ。
演説の順番は後の方が有利とされている。
そして、演説は同日の昼と夜にそれぞれ行われる。
つまるところそれは『いい順番がとれなかった』という宣言に他ならない。
メイドをそばに控えさせながら報告を聞いているアンジェリーナは、順番決めの方法を知らない。
だが、少々ばかり意外だなと感じ、首をかしげた。
「つまるところ、あのリシャールがオーギュストと順番争いをして、よりよい演説時間を確保した、ということなのか」
リシャール第一王子は、愉快犯的というか、弟であるオーギュストとなるべく同等のせめぎあいをしたがっているようなのだ。
そして現在のところ、王位継承権レースにおいてはリシャール陣営が有利とされている。
ならばあの愉快犯第一王子の性格であれば、有利な順番はオーギュストにゆずり、なるべく拮抗した状況を作ろうとするものとアンジェリーナは思っていた。
これにオーギュストは力なく笑って、
「
線の細い面立ちをし、容姿に見合った穏やかな性格をしていたオーギュストではあるが、最近はこうして闘争心を剥き出しにすることが多い。
そういった様子をアンジェリーナはひどく好ましく思っており、オーギュストの言葉に聞いた途端に口の端が上がるのをこらえきれなかった。
「やはり強いか、リシャールは。……して、どのような勝負を行ったのだ?」
「カードです。領主夫妻にシャッフルしてもらい、先に
「なるほど、運の勝負か。『予言者』を相手に」
リシャールはその有能ぶりから様々な二つ名で呼ばれるが……
中でもよく耳にするのが『予言者』という呼び名だ。
未来をあらかじめ知っているかのように動くその卒のない仕事ぶりからついた名前だった。
オーギュストは肩をすくめて、
「一発目で鬼札を引かれたのは参りましたがね。……というか、
「『予言』でカードの位置を知っていたとかではなく、純粋に運で引いたかのようだな……」
「そのようです。まあ、僕は予言については信じていませんけれど。……予言について、というか、そういう不可思議なこと全般について、信じないこととしましたけれど……さすがに向こうに運が味方しすぎていて、ちょっと参りましたよ」
「競争において運勢が重要であることは、まあ、否定できんゆえにな」
アンジェリーナは楽しげに肩を揺らして笑う。
……すでに夜だ。
黒い薄手の寝巻きに包まれた小柄な体からは石鹸の香りが立ち上っている。
すでに入浴は済ませているのだろう。それはいい。それはいいのだが……
申し訳ないのだが、オーギュストにはやっぱり言わざるを得ないことがあった。
「ねぇアンジェリーナ、君、入浴のあとにその装備で汗をかかないんですか?」
オーギュストは長いことタイミングを見つけられなかった質問をとうとうぶつけることができた。
「な、なんだ? 汗臭いか⁉︎」
「いえ、そうではないんですけどね」
アンジェリーナは黒い薄手のワンピースタイプの寝巻きを身につけている。
それはいい。そよ風にさえ揺れるほどの薄く軽く通気性の優れた生地でできたそれは、黒という色さえ差し引けば涼しげであさえあった。
小柄だがスタイルのいいアンジェリーナに間違いなく似合っているし、銀髪や赤い瞳とも相性がいい。
ただ、やっぱりというか、どうしてもというか、オーギュスト視点で解せないのは、右目の眼帯と、左腕の包帯だ。
アンジェリーナの重傷ファッションにもそろそろ慣れたと思っていたのだが、土地が変わり、気候が変わり、まとう服の生地やデザインが変わり、掛ける椅子がビロードから籐に変わり、それでも変わらない眼帯と包帯は、控えめに申し上げてもめちゃくちゃ気になる。
とはいえそこらへんを突っ込むと、アンジェリーナはまた『右目から闇の力が溢れぬよう封印を』だの『左腕の呪印が……』だの言い出す。
オーギュストは『闇属性』だの『時間遡行』だのを信じないこととした。
けれど、一方で女性のファッションについてとやかく言わないだけのマナーも持っている。
不可思議なことを信じないオーギュストの視点で考えると、眼帯や包帯を外さない時に『闇の……』とか言い出すのは、『あなたには理解し難い理由があって好んでこの格好をしているので、あまり口を挟まないでください』という婉曲表現になるのだ。
詰んでる。
……ともかく、服装の話題に拘泥すると、また闇の話が始まってしまうのだ。
不可思議なことを信じてもいいかなと迷っていたころよりもむしろ、口出しがしにくくなってしまっている。
……そこまで物言いたげな顔で考えて、アンジェリーナは重傷ファッションをやめないことが改めてわかってから、ふと、オーギュストは質問を思いついた。
「ねぇアンジェリーナ。君は、兄さんの発言は信じているんですか?」
「……どれの話だ?」
「いえ、もちろん『時間遡行』……『同じ時間を何度もやり直している』という話ですよ」
「ああ、その話か」
まるでそれ以外にも同列に『信じるかどうか迷うような発言』があるかのような反応だった。
時間遡行。あるいはループ。
これは到底信じられるような話ではない。夢物語とか、与太話とか、創作娯楽とか、そういったたぐいのものだ。
少なくとも王族がそんなことを堂々と言い出したら支持者が減りそうではある。
それはリシャールもわかっているのだろう、オーギュストに自身の『ループ能力』を明かした彼の様子は、『お前を認めたから明かす』というようなもので、大勢に無差別に触れ回る話ではないことを充分に理解している様子であった。
もしもオーギュストがこの点を吹聴してリシャールの支持率を下げようと画策しても、たぶん、オーギュストの方がおかしなことを言っているようにしか受け取られない。冗談としても、そのぐらいには慎重に秘匿しているのではあろう。
だが、あの有能にして
だからオーギュストとしては『そういうのはまとめて信じないものとします』と表明するしかなかったわけだが……
アンジェリーナは闇属性だの魔王だの、そういうのが大好きだし……
自分を『魔王の転生体である』と隠しもせずあちこちで語っている。
その彼女の視点で、リシャールの告白はどういう受け止められ方をしたのか、気になったのだ。
アンジェリーナは悩むそぶりもなく、
「あり得るだろうな」
と、予想通りの回答をした。
ただし、
「その時間遡行は、リシャール自身の能力ではあるまい。なんらかの魔道具か、リシャールではない何者かの意思が介在しているものと見る」
「へぇ。根拠はありますか?」
「リシャールは土属性だ。『時間』にまつわる分野は光属性のものだ。ゆえに、リシャールの素養で時間をどうこうはできん」
たしかに兄は土属性だ。それは瞳の色でわかる。
ただしアンジェリーナの発言は、根拠、と言えるかはちょっと判断に迷う。
通常、魔力というのは見えるものではない。
また現代において光属性というのは、闇属性同様『歴史上そう標榜される者はいたが、実際には存在しない属性』とされている。
まして光属性が時間を操る属性だというのは神話研究者でさえ誰も提唱していない。
一般的に『光属性』は『体力、腕力自慢の偉人の特殊性を表現するために脚色でつけられる属性』であり、身体強化系の魔法を得意とする属性だと言われている。
……もちろん、神話や史書の中でそういう文脈で使われているだけであり、魔法学としては『光属性は存在しない』という説が支配的だ。
アンジェリーナが『普通、視覚で捉えることができない』とされる魔力を見て、ありえない光属性をありえるものとして扱う根拠として語るのが『自分は魔王の転生体だから』であり、ちょっと法廷にも論文にも提出できない感じなのは否めない。
だが、一方でオーギュストは、アンジェリーナのこの感性に絶大な信頼をおいてもいる。
あとから彼女の説を現実的なロジックで補強する必要はあるけれど、アンジェリーナは物事の本質を大掴みするのに長けているのだろうと評価しているのだ。
「……つまり、兄さんをループさせている……兄さんを『予言者』たらしめようとする、兄さん以外の意思がどこかにあると、そういうことを言いたいわけですね」
「そうかもしれぬ。が、『そいつ』に意思があるかどうかは、わからん」
「……それはたとえば、ミス・ヴァレリーの時のような? 犯人のいない、現象としての、というのか……」
「あの件に『犯人はいない』かはまだ議論の余地はあろうが、意思なき自然現象のようなものの可能性はあると、我は見ている」
本人でさえわからない理由で、破滅の道に進みかけた少女がいた。
彼女は許されたし、今ではオーギュスト陣営を彩る派閥構成員の一人ではあるが、その彼女の行動理由については、『不思議な力が介在した』としか言えない、いわく言い難い不気味さがあった。
まさしく法廷にも学会にも提唱し難い理由での乱心であり、これを許すために派閥の者に汚れ仕事をさせざるを得なかったという、オーギュストにとっては苦い記憶である。
……オーギュストは、王位のためならある程度の『濁り』を受け入れる覚悟はしている。
だが、それはそれとして、自分の派閥に属する者にあまり汚いことをさせたくない願望もある。
不可思議さを否定すると宣言したオーギュストの心にあるのは、あのヴァレリーの件のようなことを、きちんと現実に即した、誰の目にも明らかなロジックで許したいという衝動だった。
……そうだ。リシャールがループをしているというのを、百歩ゆずって信じたとしても……
その『ループをさせているもの』がリシャールの意思でないのなら、それに対し、どうしたって、いい印象は抱けない。
「ねぇ、アンジェリーナ。兄さんを『ループと彼が表現する現象』から解き放つというのを、僕の目標の一つに据えてもいいですか?」
すべての『不思議』に理屈をつけられるとは思っていない。
それでも、不思議なことを現実的なロジックで捉えて、どうにかできる状態まで持っていけるように努力するのは悪いことではないと考えている。
アンジェリーナは首をかしげる。
「それは、我に許可を求めるようなことではなかろう」
「君の力がいります。僕の培ってきたものだけではきっと、解決できない」
「だから、許可はいらぬ。オーギュストが取り組むならば、我はそれを補助する……我らはそういう関係性のはずだ」
「それでも、君の意思を確認しておきたい。君は僕の装飾品ではなく、意思を持って動く僕の友なのだから」
アンジェリーナは肩をすくめ、
「わかった。とはいえ……そう力になれるとも思わんがな。ヴァレリーをおかしくしたものについても、その影さえ踏めぬ現状だ。頼ってくれるのは嬉しいが、我も万能ではない」
「万能の人などいませんよ。いないものは、求めません。僕は現実的に生きていくことにしたのですから」
「そうであったな」
アンジェリーナは柔らかく笑う。
その時━━
コンコン、と控えめにドアがノックされる音が響いた。
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