第30話 あいさつまわり後半へ

 ほとんどを移動に費やしながら長期休暇の前半は終わった。


 二人はあくまでも優雅に最後までパーティーに参加し、領主たちの土地自慢を聞き、二日か三日ほど逗留とうりゅうすると、傍目はためにはのんびりした様子のまま大急ぎで次の目的地へと旅立った。


 おおよそ六十日からなる長期休暇のほぼ三十日はそんなように過ぎていき、参加したパーティーは実に六つ、あいさつに回った家は十七にも及び、街で民の前で演説をすること八回となった。


 このあいまに移動時間もふくみ、あいさつのたびに街のことを調べ上げそれを原稿にまとめたものを暗記し……などもやってのけるのだから、かなり大変な旅路だ。


 もちろん原稿を作り上げたり衣装を決めたりするのは専門の者がいる。

 だが、オーギュストとて用意されたものをただ着てただ暗記して(もちろんそれだけでも大変だが)というわけではない。

 突発的な質問や事態に対処するには上辺だけではない深い知識が必要だし、こちらを試すように唐突に予定を差し込んでくる相手へ応じるためにもあらゆる勉強が必要だった。


「……王を目指すというのは大変ですね」


 相変わらずアンジェリーナとオーギュストが雑談する時間は移動中の馬車内でしかとれない。


 出発前に換えたばかりの車輪がなめらかに大地を転がる振動を感じながら、ボックス席で向かい合う二人の顔には疲労の色が濃かった。


「僕も覚悟はしていましたが、想定は甘かったと言わざるを得ません」


「……人類の権力構造、まことに複雑怪奇よな。もっとも、これは『人類の』というよりも、『戦争のない時代の』と言うべきかもしれんが」


「ああ、まあ、昔の王族は戦場で武功を挙げて王位継承者を選んだ、という話は聞いたことがありますね。……当時のわかりやすさはうらやましくあります。いえ、もちろん、争いが起こることを望んでいるという意味ではないのですが」


「人は槍や剣で殺傷されることはなくなった。王、貴族、民と身分がわかれながら、それぞれにチャンスがある時代となった。これはまさしく、我が夢見た平和なる世の中よ。しかし……」


「なにか?」


「いや。……実感・・の薄さが少々気がかりだなと思ったまでよ」


「実感の薄さ?」


「うむ。戦争があった時代、民は勢力同士のパワーバランスや、自国の王侯貴族がどれだけ自分たちの平和に貢献したか━━『血を流したか』がわかりやすかった。しかし現代、民のもとをまわったところ、どうにも、実感の薄さを感じる」


「今ひとつわかりませんね。……たしかに、民の全員が王族の来訪に熱狂していたわけではないでしょうが、それは普通のことでは?」


「かつて、それは普通ではなかったのだ。……この変化が望ましいものかどうかさえ、我にはわからん。だが、一つだけわかることは、この時代、ちょっとしたことで貴族と民とのすれ違いが起こりやすいだろうなということだ」


「たとえば、先日のようなことがあれば、民の心が貴族から離れる可能性があると?」


 先日。


 平民であるエマがその才覚を認められて学園に転校してきた時のことだ。

 エマを迎えに行ったヴァレリーが、その役割を『なんだか』放棄した。


「……エマはあの性格なので大事だいじにはいたらなかったが、ああいう些細ささいに思える事件が、思わぬ大事おおごとにつながる可能性が高そうだなと、感じた」


「けっきょく、原因もわからず仕舞いですしね。……調査のとっかかりすらなく、再発もないので手のほどこしようがない」


「わかりやすい魔法陣やら魔道具やらが周辺にあればよかったのだがな。あれは闇の魔法のように思えるが、誰が使ったのか、なににより発動したのかがさっぱりわからん。生徒の中に闇の魔力の使い手もいなかったようだしな……」


「まあ、闇の魔法は御伽噺おとぎばなしなので、それはそうですけど……」


「……ともあれ、今はまだ懸念の段階だ。というより、不安であり、妄想、という程度か。だが……我は己の『危機に対する嗅覚』を信じている。具体的にどうせよと言える段階にはないが、オーギュストも心構えだけはしておくといい」


「わかりました。君のそういう直感は、僕も信じるところです。しかし……」


「なんだ?」


「こういう暗い話しか思いつかなくなるということは、今、僕らはきっと、心身が自覚以上に疲労しているのでしょうね」


「違いない」


「次の領地では少し休めますよ。僕のいとこの家なんです」


「そやつには王位継承権はないのか?」


「ええ。なにせ直系の子が僕と兄さんの二人いますから。まあ、僕ら二人が立て続けに死んだら、それはまあ、継承権が発生するのでしょうけれど……それを心配するのは少し、気を張り過ぎだと思いますよ」


「どうであろうな……」


 オーギュストには警戒心がないのが、気がかりだ。


 ……一方でリシャールを思い浮かべれば、なるほど、あの男が暗殺されたりする姿は、どうにも思い描き難い。


 仮にアンジェリーナが王位継承を本気で狙うとしても、リシャールを暗殺するのは分が悪いと感じ、あきらめるかもしれない。


(というより、さすがに、継承権がほしいから暗殺というのは、短慮たんりょにすぎる。継承権獲得まではうまく運んでも、その後が運ばぬだろうな)


(だが……ううん、やはり、というか、なんというか……)


(アンジェリーナは、いざとなれば、そういうことをやれと部下に命じそうではあるな……)


 もちろん今の自分もまごうことなきアンジェリーナではある。

 だが、かつての自分はやはり、色々なものが欠けていたと言わざるを得ない。


(ともあれ、オーギュストの身辺については、我が警戒しておけば問題はなかろう)


(本当は信頼できる専属の近衛がほしいところではあるが、最有力候補であるガブリエルは現在、負う役割が多すぎて、オーギュストに張り付いているわけにもいかんだろう)


(ヴァレリーあたりが実家への根回しを終えたら、護衛役を依頼してみるか……)


(だが、ヴァレリーはなんというか、暗殺警戒には向いた性格ではないな)


「どうしました、難しい顔をして」


 オーギュストが問いかけてくる。


 アンジェリーナは「なんでもない」と述べて目を閉じた。


 がたごと、がたごと。

 馬車が進んでいく。

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