第28話 魔王封印

「……やりそうだな、とは思ったんです。けれど、まさか、本当にやるとは」


 オーギュストはそのように弁明した。


 すべてが終わり、体育祭の様々な事後処理はとりあえず翌日以降に回した放課後だ。


 生徒会室ではメンバーを集めてささやかな慰労会が行われることになっていた……

 の、だけれど。


 さすがにあんな重大事件があったあとでは慰労会という雰囲気にもならない。

 もちろん生徒会所属者に選ばれるような者たちは、オーギュストに遠慮なくことの真相を問いただしたりしない自制心がある。


 が、それでも気になるものは気になる。

 それが態度に出てしまうのまで抑えつけるには、今回のことはあまりにも重大すぎた。


 なのでオーギュストがガブリエルよりホスト席を引き継ぎ、生徒会メンバーからのみ、質問を受け付けているのだ。


 ……この場に生徒会の全員がいないのは、デバガメを行う生徒や教師が近寄ってこないよう見張りに出されているからだ。


 リシャール第一王子による婚約の申し込みはそれほどの重大事であり、大人も子供もなく耳をそばだてるようなものなのである。


 が、生徒会室という特等席にいながら、事態の重大さを呑み込めていな者が二人ほどいる。


 一人は平民出身で、さきほどから慰労会のお菓子を口に詰め込んでいるエマであり……


 もう一人は、婚約を申し込まれたアンジェリーナ本人だ。


「ということは、オーギュストはミスター・リシャールが我に婚約を申し込むことは知っていたのか」


 当事者意識の薄さゆえに出てくる意見は冷静だ。

 真っ白いシャツの胸の下あたりで腕を組み、脚を組み、背もたれにたっぷり背中をあずけ、赤い左目でオーギュストを見ている。

 そこには責めるような色はない。ただただ純粋な知的好奇心だけがある。が……


「……実は、そうなんです」


 応じるオーギュストはおびえているようだった。


 アンジェリーナは首をかしげる。


「なぜ言わなかった? 今日の婚約申し込みに対する返答は我の偽らざる本音ではあるが、事前に協議できれば、もう少しふさわしい対応も可能だったであろう」


「……言えなかったんですよ。僕は……僕はね、王位継承権争いは勝つつもりでいる。けれど、なんというか……兄さんと君を取り合って、勝てるかどうかは、わからない」


「なぜ。我はミスター・リシャールのことをなにも知らんのだぞ。いや、知っていて然るべき立場なのは否定せぬが、これがびっくりするぐらいなにも知らんのだ」


「本当にどうかという話ですね……ええと、まあ、その……質問に質問で返すようで恐縮ですが、君は、兄さんと話してみて、どう思いました?」


「質問が曖昧あいまいで答えにきゅうする」


「……相性がいいとは、思いませんでしたか?」


 オーギュストの発言にまっさきに反応したのは、岩のように黙りこくっているガブリエルだった。


 だが、ピクリと眉を上げただけで、ガブリエルは発言を差し控えた。

 ただし燃えるような赤い瞳が答えを急かすように鋭くなり、アンジェリーナを捉えている。


 アンジェリーナは数秒だけ思考時間を経てから、


「相性については、わからん。考えたこともない」


「では、なぜ、第一夫人になれという申し出を受けたんですか?」


「王になったあと第一夫人になれということは、王命であろう。王命に逆らうとあらば両親に迷惑がかかる」


「そんなまともな理由で⁉︎」


「我をなんだと思っているのだ……加えてだな。ミスター・リシャールが我に王命を下すことはない。なぜなら、王になるのはオーギュストだからだ」


「…………」


「あ、待て。オーギュストが王位を退いたあと、リシャールが王になるか……? そうするとどうなる? まずいな、そこまで考えておらんかった……」


「君は」


「ん?」


 アンジェリーナが首をかしげる。


 オーギュストは長く長く沈黙し……


 笑顔を見せた。


「……君は本当に、揺るぎないんですね。僕は……僕は、だめでした。不安で。君に兄の目論見もくろみを伝えることさえできなかった」


「なにを不安に思う?」


「君が、兄のもとへ行きたがるんじゃないかって」


「……初対面ではないかもしれないが、初対面のようなものだぞ? そもそも、なぜ、リシャールは我に婚約など持ちかけた? 継承権争いの布石と考えるのが妥当ではないか?」


「それはないと思います」


「しかしだな、利の面から述べれば、王位がどちらのものになろうが、我が領地のバックアップは受けられるということになる。すなわち、オーギュストのアドバンテージが消え失せたということであろう。……ハッ⁉︎ やらかした!」


「まあ、その、やらかしたのは、そうかもしれません。……君への風当たりは強くなるでしょう。兄なら、その風当たりから君を守れる。僕は……不安ですよ。君を守れるか」


「なぜ我への風当たりの話が出てくる?」


「……いやもう、本当に、君は……ええ、ええ、いいでしょう。弱々しいことを言ってすみませんでした。君は『こう』だから、僕がそちら方面で強くあらねばならない。覚悟が決まりましたよ」


「そうか? なんだかわからんが、吹っ切れたならよい」


「とりあえず兄には正式に抗議文を送ります。ガブ、手配を頼みますよ」


おおせの通りに」


 ガブリエルが少年っぽい幼さをたたえた笑みを浮かべる。


 場にあった重苦しい雰囲気がどこかへ消え去り、生徒会室を照らすランプの灯りがその輝きを増したようだった。


 オーギュストはりきみの抜けた笑みを浮かべ、


「ともあれ、兄の心中しんちゅうはわかりません。君に婚約を持ちかけた意図は、君に興味があったからでしょう。あの応対では君を尻軽とそしる者も出ましょうが、そういった風聞からは僕が守ります。そしてなにより━━君の心が揺るぎなくここにあることを、僕は確認しました。僕ももう、迷いません」


「そうか?」


 アンジェリーナはわかっていない顔をしている。

 オーギュストは大きくため息をついた。


「それでですね、次の長期休暇なのですが、アンジェリーナ、君には旅支度をしておいてもらいたいのですよ」


「旅行か?」


「まあ、ある意味」


 オーギュストとガブリエルが視線を交わす。

 ガブリエルが仕方なさそうに肩をすくめて、言葉を引き継ぐ。


「ミス・アンジェリーナ。長期休暇というのはな、学生であるオーギュスト殿下にとって、数少ない『外』に干渉するチャンスなのだ。つまるところ、地盤固めと派閥拡大のために、貴族たちの領地を回って話をすることになる」


「……なるほど」


「そしてだ。先ほど少し話したところ、リシャールも、どうにも、学園の長期休暇に合わせてあいさつまわりを始めるらしい。つまり━━学生であるオーギュスト殿下と同じ条件で、派閥拡大、地盤固めを始めるようだ」


「……ふむ」


「全然なにもわかっていない顔をするんじゃあない」


「しかし、全然なにもわかっていないのに、なにかをわかっている顔をするわけにもいくまいよ」


 ガブリエルは頭を抱えた。


 オーギュストが言葉を引き継ぐ。


「つまりですね、アンジェリーナ。兄さんは、僕となるべく条件をそろえて、正々堂々と継承権争いをするつもりでいるんです。……同じ条件で僕に勝つつもりなんですよ」


「ほう」


「もちろん、年齢差による差異は……というよりも、僕を競争相手とみなしていなかったゆえに普通に・・・王位を取るために重ねてきた準備のぶん、兄にアドバンテージがあることは否定できない事実ではありますが。それでも、今後はなるべく僕と対等を志してやっていくというつもりのようです」


「ようやく呑み込めたぞ。ようするに━━リシャールは『試し合い』がお望みか。王位継承を競技と見立てているわけだな」


 殺し合いと試し合い。


 その二つの表現は使った者によりさまざまな意味をはらむ。

 だが、多くの者が『殺し合い』を『手段を選ばず勝ちにいくべき、反則の存在しないもの』というように受け取るのではなかろうか?

 負ければ死ぬならば、生きるために全力を尽くすのは必至だろう……と、思うであろう。

 

 ならば、そうではない━━『手段を選び、反則の存在する、負けても死なない試し合い』は、失うものや覚悟の量において、殺し合いに劣るのか?


 そうではない。


 オーギュストが肩をすくめ、苦笑して述べる。


「兄は、僕の誇りを折るつもりなのでしょう。条件をそろえて同じ目標を目指して競い合うというのは、そういうことです。手段を選ばない戦いよりもむしろ、優劣がハッキリつきます。つまり兄は本気になったんですよ。王位にも、君にもね、アンジェリーナ」


「そして王位継承権争いという試合・・の第一フェイズが、きたる『炎の季節の長期休暇』というわけだな。……面白いではないか」


「ええ。そして、その長期休暇に僕がすべきことは、回れる限りの派閥貴族の領地を回り、パーティーに参加し、地元の名士と顔をつなぐことです。そして婚約者である君にも同席してもらわねばならない」


「よかろう。我は貴様を手伝うと述べた身。思えば遠征のようなものよな。心躍る……我の前世においてもそのような遠征はあり、我は魔族の長たる魔王として━━」


「それ」


 オーギュストが、アンジェリーナの言葉を遮るように言葉を発する。


 アンジェリーナは首をかしげ、


「『それ』?」


「アンジェリーナ、落ち着いて聞いてください。僕は……君のそういうところも素敵だと思います。けれどね……多くの貴族は、そうではないでしょう」


「ふむ……?」


「だからね、なんというか……貴族の領地にあいさつ回りをする時には、その……」


 ひとしきり悩むように唸ってから、


「魔王を、封印してほしいんです」


 アンジェリーナはしばらく絶句してから、「なん……だと……」とこぼすだけで精一杯だった。

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