五章 長期休暇前半
第27話 体育祭にて
灼熱の季節がもっとも暑くなるころに体育祭は行われた。
まったくもってひどい日取りだった。
じりじりと照りつける炎の星は地表すべてを干上がらせんばかりに熱し、日陰もない運動場で競技やら演舞やら来賓の接待やらをやらせられる生徒たちの中には倒れる者まで出た。
そんな中で生徒会の仕事はやはり仲裁や折衝であり、この炎天下で腕章を片腕に巻きつけて黒いシャツをまとい、あちこちを動き回らされる羽目になったのだ。
激動の体育祭。
アンジェリーナはオーギュストと組んであちこちを歩き回った。
エマやヴァレリーも補助としてこれに付き添った。
一年生四人は制服の白いシャツの左腕に黒い腕章を身につけてあちらこちらを出歩く。
トラブルの責任を押し付けあう者があらばこれを仲裁し、事前に提出したプログラムを守らず他者を邪魔する者あらばこれを落ち着かせ、高すぎる気温の中でヒートアップして争い合う者あらばこれを折衝した。
競技にも催しにも参加できないまま体育祭は終わり、ようやく閉会式になって一息つける、というありさまだ。
「人手が足らん。業務の効率化がなっておらん。死ぬ。生徒会、そのうち死人が出るぞ」
整列する生徒たちに対面するような位置で、アンジェリーナはこぼしていた。
生徒会用の天幕が彼女たちに日陰を作っていて、そこではオーギュストが気を利かせて水魔法による冷気を周囲にばらまいている。
涼しげな青い瞳を細めて、汗一つかいていない顔に穏やかな笑みを浮かべた線の細い美少年は、しかしどこか憂いを帯びた表情を浮かべていた。
「オーギュスト、どうした?」
アンジェリーナがその顔をのぞきこむ。
もちろん彼女の右目には真っ黒い薔薇の意匠をあしらった眼帯があるのだが、オーギュストが無理をしているならば、今すぐに眼帯の下の
オーギュストは放心から立ち返ったように「え? あ、ああ」と述べ、
「いえ、その……もうすぐ、来賓のあいさつだなと思いまして」
「ふむ? ……そういえば、リシャール王子より締めのお言葉を賜る、というのがプログラムにあったな。やはり、兄とは仲がよろしくないのか?」
「まあ、うーん、仲はどうなんでしょう。なにせまともに会話することもなかったもので、いいとか、悪いとか、そういうところにさえ達していないというか……まあ、最近は、話をしたんですけどね。だいぶ、腹を割って」
「では、なにを案ずる?」
「……それは、その」
オーギュストは歯切れが悪いままだ。
そうこうしているあいだに拡声の魔道具によるナレーションを担当している二年生書記が「続いて、リシャール王子殿下より閉会のごあいさつを賜ります」とプログラムを読み上げた。
オーギュストが警戒したように壇上へ視線を向ける。
リシャール王子は壇をのぼり、その高い位置にある顔が天幕に隠れる一瞬、こちらを見てニヤリと笑った……ような、気がした。
アンジェリーナが首をかしげていると、リシャールのあいさつが始まる。
それはなんとも淀みがなく、聞いていて心地よいあいさつだった。
あらかじめ原稿は用意されていたに決まっているのだが、それにしたって、あまりにも滑らかだ。
なん十、なん百回と練習を重ねてすっかり
なにより声がいい。オーギュストよりだいぶ低いようだが、重苦しくなく、どこか朗らかで親しみがある。
そのくせ腹の底に響くような分厚さもある。
(なるほど、この声だけでも王の資質ありと断ずるに迷いがない)
王というのはことのほか声が重要になる。
弱々しい声の者はなめられよう。かすれた声の者は弱々しく人目に映ろう。
声が高すぎては不快に思われることがあるし、逆に低すぎても他者にむやみな威圧感を与える。
おどおどとした早口ではそもそも話を聞こうという姿勢にさえならない。が、ゆっくりと話し過ぎれば知性を疑われる。
リシャールの声には十代の青年とは思えないほどの威厳と、若者らしい柔らかさが同居していた。
(
アンジェリーナは感心するとともに、笑った。
敵は強大な方がいい。
このリシャールという王子は、オーギュストの敵として申し分ない━━どころか、今のオーギュストにとっては大きすぎる壁であるようにさえ感じられた。
だから、いい。
話し言葉だけでここまでの
「━━さて、諸君は早く戻って涼しいところで休みたかろうが、ここで、私から一つ、私事ではあるが、この場を借りて申し込みたいことがある」
リシャールがそんなことを述べると、オーギュストがびくりと身をすくめた。
なにか心当たりがあるらしい。
だが、アンジェリーナは━━オーギュストから、なにも聞かされてはいない。
聞かされてはいないのに、
「ミス・アンジェリーナ。壇上へ」
リシャールはそのように述べた。
戸惑いつつ、天幕から出て壇上へのぼる。
こちらを見るリシャールと目が合った。
黄金の瞳。長い黒髪。
黒を基調とした衣装は長い脚をより長く、細身だが大きな体をより大きく見せるような効果があるようだった。
いい布を使った上着に長いズボン、仕立てのいい革の靴。おまけに肩からはマントまで垂らしている。
この炎天下ではずいぶん暑苦しい格好━━なのだが、リシャールは汗の一つすらかいておらず、たち振る舞いが涼しげなせいで、彼を見ていると周囲の暑さを一瞬忘れてしまうほどだった。
(……存在感が強い。夜そのもののような男だ)
(そんな男が、我にいったいなんの用があるのだろう……)
よくわからないままアンジェリーナがリシャールの横に立つと、まず、リシャールは「おお」と声を漏らし、
「近場で見ると本当に重傷者のようだな」
「む、案ずることはない。我が眼帯は魔眼の力が外に漏れ出さぬようにするためのモノ。そして左腕の封印は
「はっはっはっはっは!」
リシャールが笑い、会場がどよめいた。
……王国に住まう貴族なら、誰もが知っている。
リシャールが、あんなふうに人前で高らかに笑うような者ではない、ということを。
冷徹にして伶俐。
すべてを予め知る『予言者』。
なにごとにも心乱さず常に冷静に状況を見据える『黄金の瞳持つ者』。
そのリシャールがこんなにも多くの聴衆の前で大笑したことは、多くの者の動揺を誘った。
だが、リシャールの振りまく動揺も困惑も、こんなものでは終わらない。
リシャールは言う。
「ミス・アンジェリーナ。あなたに婚約を申し込む」
するとアンジェリーナは首をかしげてこう応じた。
「いや、無理であろう」
ざわめきが大きくなる。
それは若い生徒たちのみならず、今までどうにか落ち着きを維持していた教職員たちにも広がっていった。
リシャールは楽しそうに口の端を上げて、
「なぜ、無理と?」
「我が婚約者は第二王子オーギュストである。これはオーギュストが望まぬ限り、破棄されることはない。加えて、我が使命はオーギュストに王位を獲らせること。さすがに継承権を争う第一王子の婚約の申し出は受けられん」
「それもそうだ! では、こうしよう。━━俺がオーギュストを打ち破り、王位を手にしたならば、俺の第一夫人となれ」
「それならば従おう」
「成立だ。よろしく頼む、ミス・アンジェリーナ。今度ご実家にうかがうよ」
リシャールが手を差し出す。
アンジェリーナがそれをとる。
微笑みあう二人とは裏腹に、会場の雰囲気は完全にホラーだった。
誰もがわけのわからない奇妙で不気味なものを見る目を壇上の二人に向けている。
なにもかも、異例すぎた。
まず、弟と婚約中のアンジェリーナに、兄であるリシャールから婚約の申し出があったこと……
それをアンジェリーナがよりにもよって『無理』とかいう無礼千万の言い回しできっぱり断ったこと……
しかも第一王子は食い下がり、『王位を得たあとに結婚することでいい』と譲歩し、アンジェリーナがこれを承諾したこと……
なにより最後にリシャールの口から『今度、あいさつにうかがうよ』という言葉が飛び出したこと……
婚約の横入りが埒外なのは、誰もが思うところだ。
王子からの申し出を『無理』と断るのは、もっと断り方があるだろうと、これも貴族なら誰もが思う。
そして無理と言われたのに食い下がるのも異例なら……
譲歩して『王位を得たあとに第一夫人になれ』と述べるのも、ありえない。
それは、王位継承権争いにアンジェリーナの実家という後ろ盾を得ようということではなく、リシャールがアンジェリーナ自身に興味を抱き、継承権争いとは別な理由でアンジェリーナそのものを欲しているという意味に他ならないからだ。
ご実家にうかがう、というのは、そういう意味もはらむ。
後ろ盾ほしさにアンジェリーナに婚約を申し込むならば、後ろ盾たるその両親へのあいさつに出向くのもわかる。
しかし明らかに後ろ盾目的ではないのに『自分から出向く』というのは、それほどリシャールからアンジェリーナに対する想いが強いのだということだ。
しかもこの条件ならいいとアンジェリーナ側も承諾した。
これでは二人の継承権保持者のどちらが王になっても、アンジェリーナが王妃になることが確定してしまう。
そんな恥知らずな行為、普通の貴族ならば、絶対にしない。
だが、人々は思い出した。
最近の別方向で奇矯な振る舞いのせいですっかり忘れていたが……
もともと、アンジェリーナはそういう女だ。
わがままで高飛車、権力指向が強く、自分がいい思いをするためなら他者をゴミ同然に扱う……
そのうえ気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こし、奇矯な振る舞いとかんだかいわめき声ですべてを思い通りにしてしまう。
国土の七分の一を領地に持つ、わがままが許される、並ぶ者のない大貴族……
それがアンジェリーナだと、人々は思い出したのだ。
……だが、ならば、なぜ、そんな厄介な女を、第一王子は婚約の横入りまでして第一夫人にすると約束したのか?
困惑が憶測を生み、憶測が恐怖を生む。
……長期休暇が迫り、貴族たちは実家に帰ることになる。
そうしてこの光景を生で見た貴族の子女からその実家に口頭で今日のことが伝わり、あらゆる貴族たちが混乱と憶測と恐怖を抱き、恐怖を御するためにあらゆる情報を集め━━あるいは情報など集めず━━推理を始めるだろう。
継承権争いがもっとも激化する長期休暇を前に、こうして火種は落とされた。
夕刻とはいえまだまだ暑い閉会式は、一種の寒気に覆われて、生徒たちはぽかんとした顔で壇上を見上げるしかできなかったのである。
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