第26話 兄弟

「オーギュスト、お前の在学中に、直接会って話すことはないと思っていた」


 なぜなら、王族が『里帰り』するというのには、さまざまな意味が付随ふずいする。


 長期休暇の最中とはわけが違う。

 体育祭目前の時期に、見習いとはいえ生徒会に所属している王族の里帰りだ。


 しかもたんに帰ってきたというだけではなく、王位継承権を争う相手であるところの兄と、一対一で会話をするという里帰りだ。


 会話内容がなんであれ、二人をとりまく派閥はざわつく。

 そのざわつき・・・・は、今のところ小さな揺らぎにしかすぎない。だが、多くの人を巻き込み、大きなうねりになりかねないものだ。


 あえて光量の低いランプをテーブルに乗せて、窓のない部屋で二人の王族が向かい合っている。


 一人は長い黒髪に黄金の瞳を持つ青年。

 第一王子にして王位継承権獲得者筆頭と名高い、リシャール。


 もう一人は輝ける金髪に澄んだ青い瞳を持つ少年。

 第二王子のオーギュスト。


 二人のあいだには王宮とは思えないほど簡素なテーブルがあって、二人のかける椅子はクッションもない、硬い、木製のものだ。


 この部屋は外部に話を漏らさぬようにするためのものだ。


 ……だが、今日、この部屋を会話の場に指定した者は━━

 ━━オーギュストは、機密保持を目的にしてこの部屋を指定したわけではない。


「誰にも邪魔されず、水入らずで、兄弟の話、というのをしたくなりましてね」


 人好きのする穏やかな笑みを浮かべる。

 ただし、その目には、これまでのオーギュストになかった、意思の力、とでも言うべきものが宿っていた。


 リシャールは背もたれに体をあずけ、脚を組むと膝を両手で包み込むように持つ。


「俺たちはあまり、兄弟として接していなかった。兄らしいことをしてやった記憶はないし、いざ『兄弟の話』と言われても、どうすればいいかわからん。……税率の話題でも振ればいいか?」


「僕もね、なにか具体的に話したいことがあって、場を設けたわけじゃないんです。ただこうやって向かい合ってみれば、なにか浮かぶかなと思っただけで」


「なるほど。で、浮かんだか?」


「いやあ、なにも浮かばないものですね。兄さんよりむしろ、ガブの方が僕を気にかけてくれていた。『兄』と言われて浮かぶのは、兄さんよりも、ガブの方、という始末で」


「あいつめ、人のかわいい弟を奪いやがって。今度会ったらシメてやる」


「お手柔らかにお願いしますよ。もう、僕の臣下なんですから」


「……へえ?」


「兄さんにゆずられたわけではありません。ガブが、ガブの意思で、僕にくだりました」


「…………」


 リシャール王子は、口もとを楽しげに歪めた。

 その笑みはどこか邪悪さと、妖しい魅力を感じさせる。


 オーギュストは対照的に凪いだ湖面のように穏やかに頬を上げて、


「僕はなに一つ、兄さんに勝てなかった。僕と兄さんが同じものに興味を示したら、必ず兄さんが獲得してきた。……そして僕も、兄さんと争ってまでほしいものはなかった。勝てない勝負をするほどの熱意がなかったですしね」


「じゃあ、どうだ? ガブリエルの心をつかんで、嬉しかったか?」


「ええ、とても。……ガブは物じゃない。それは重々わかっています。それでも、兄さんのもとにいたガブが僕のところに来たというのは、いわく言い難い満足感があります」


「お前、変わったな」


「嫌なやつになったでしょう?」


「『かわいい弟』から『争うべき敵』になった」


「それは、嫌われたということですか?」


「いいや。大好きになった。どうでもいい、そつもないが夢もない、死んでいるのか生きているのかもわからない、クソつまらなさそうに笑う、顔が綺麗なだけの雑草・・じゃなくなった。今のお前には見る価値がある」


「ひどいなあ」


「お前はきっと大輪の花を咲かすだろう。まだつぼみだが、ようやく己が花であることを自覚して、咲こうとしている。……なにが、お前を変えた?」


「言ってもいいけど、恥ずかしいので、人には秘密にしてくれますか?」


「もちろんだとも」


「アンジェリーナ」


「……ふふっ」


「笑うなんてひどいなあ」


「いやいや。すまない。あまりにも予想通りで、それがおかしかった。……『予想通り』なことなんか、笑えないぐらいつまらんはずなのに、おかしかったんだ」


「ふぅん? ……まあ、とにかくですね。僕は王位になんか興味がなかったし、兄さんに勝てるなんて思っていなかった。でも、まあ、とりあえずやってみるか、となりましてね」


「軽いな!」


「ええ、そうなんですよ。軽い気持ちで始めたんです。ところが、具体的にどうすればいいかを考えていって、計画なんぞ練ってみるとですね、せっかくだから、勝ちたくなるじゃないですか」


「まだ軽いな」


「ええ。本当に参ってしまいます。僕は軽い気持ちのままなんですよ。だって、すべてが僕の差配するままに動けば、兄さんに勝てるという感覚があるから」


 リシャールの口角がだんだん上がっていく。

 喜色満面のその表情は、ほんのわずかな明かりに照らされて、伝説に残る『魔王』を思わせるほど邪悪にも見えた。

 邪悪で、けれど、どこか人をき寄せる━━狂わせるような、凄艶せいえんな、笑み。


 敵対者として正面から見てみれば、身震いするほど恐ろしい、この世ならざる美しさの笑みを前に、オーギュストは穏やかな表情を崩さない。

 絶対に勝てない相手だと思い込み続けてきた兄を前に、余裕を持って微笑んだまま、


「軽い気持ちだけれど、絶対に負けたくないんです」


「そいつは、なんとも共感しにくい心境だな」


「いや、だって、僕の切望するものは、王位の向こうにありますから。その前の『王位継承』だなんていうもの、軽くクリアしたいし、クリアできなければ困るでしょう? だから━━絶対に負けたくないというよりは、勝つ前提で予定を組んでいるので邪魔されたくない、というのが正しいところかな?」


「聞かせてくれよ。王位の向こう側にあるっていうもののこと」


「アンジェリーナ」


「またそれか!」


「きっと僕は、彼女の『闇の魔力』とやらで狂わされてしまったのでしょう。……彼女が僕の婚約破棄を許して、僕を友と呼んだあの日。……僕を支えてくれるのだと誓ってくれたあの日。僕が━━僕が、王でなくなったとき、支えてくれるのだと言った、あの日」


 目を閉じれば湖面に浮かぶ一そうのボートを思い出す。

 その日、すべてが変わった。


 ……オーギュストはずっと、王になれと言われてきた。

 王になれないと言われて、それでも王を目指せと言われてきた。


 ━━勝てないけれど勝て。


 誰もお前になんか期待はしていない。きっとリシャールが王となる。それはみんなわかっているけれど、それでも、大穴があるかもしれない。

 だから勝て。

 誰もお前には期待していない。誰もお前には希望をかけていない。でも、お前は王を夢見ることをやめるのは許さないし、お前が希望を捨てることは許されない。


 多くの人に被せられた将来ゆめがあった。

 そこに向かう以外を許されない目標地点があった。

 自分には、背を向けるか、目標地点を目指すかしかないのだと━━


 人生は一本道で、目標地点が終着なのだと、思い込んでいた時期があった。


 この道から少しでもはみ出てはいけないのだと、そう思っていた。


 でも、


「彼女が、この人生は僕には狭すぎるらしいと気付かせてくれたあの日から、王位の向こうには彼女がいる。用意された僕の人生という一本道の向こう、立ち塞がる『王位』という、終着地点だと思い込まされてきた壁の向こうに、彼女がいる。だから僕は、そこを目指すんですよ」


 ずっと感じてきた、自分の人生を生きているのに、自分の人生を生きていないような、感覚。

 それは自分というものが、王道なんかにはおさまりきらないものを持っているからだと━━

『王を目指す』だけが自分に許された生き方ではないのだと、彼女が気付かせてくれた。


 世界がひらけたようだった。


 生まれて初めて、夕暮れの湖面を美しいと感じた。


 その美しい景色の中に、彼女がいた。


 ……思えばそんな程度の理由で、彼女は心に焼き付いて、離れなくなった。

 誰にも焦がれたことはなく、心が燃えたこともなかった自分が、初めて痛いほどの感動を覚えたのは、彼女の言葉で、彼女の姿で、彼女がいる景色だったのだ。


 だから、彼女が欲しい。


 ……将来振り返ったらそれは恋ではないと思うのかもしれないけれど。


 湖面にボートを浮かべて話をしたあの時から今までずっと、自分はたしかに彼女に焦がれている。


 それだけは、将来の自分にさえ、否定させない。


「支えがほしいから、友がほしいから、彼女をそばに置くのではなく。支えもいらない。友だって絶対には必要ではない。それでも彼女を隣に置くのだと、あの、にぶい彼女に気付かせるために、『王位』という手土産が必要だと、僕は考えています」


「……ぶわっはっはっはっは!」


「やっぱり、おかしいですか?」


「いや。……立派になったな、オーギュスト。『空虚』の周りに有能さを貼っつけたお人形が、いつの間にか人間になってる」


「……」


「だが、人間止まり・・・・・だ。まだ『王』には足りない。そもそも、一対一でこの俺に挑んで勝てるというのは、思い上がりもはなはだだしいぞ?」


「僕は一人では王にならない」


「ふむ? だが、『支え』も『友』もいらんのだろう?」


「ええ。人は連携してこそ力を発揮する。だから僕は、連携する人を差配する王になる。僕が求めるのは、僕を理解し、僕とこころざしを分かち合う臣下です。それは『友』でも『支え』でもない」


「どう違う?」


「友情であれば、相手に能力を求めない。だが、僕は相手に能力を求め、自分もまた能力を示す。そして、情のみによってつながる気はない」


「……」


「支えについては、少し、答えるのが難しいですね。おそらく、それは『杖』にたとえられる相手だ。けれど、足が弱くなった時に手にする杖と、王杖や元帥杖では、用途が違う」


「実用品と、装飾品」


「ええ。僕はたしかに、ある意味で『支え』は欲する。けれど、僕が求めるのは、装飾品です。手放しても立っていられる『支え』だ。そいつに体重をかける気はないんですよ」


「……お前」


「はい?」


「腹黒いな」


「あっはっは」


 オーギュストはわざとらしく声を立てて笑う。


 リシャールも肩を揺らして笑いつつ、


「能力を示し合い、情がなくてもつながり、そいつに体重をあずけることなく、あくまでも自分をいろどる装飾品として扱う。それが、お前の差配する『臣下』ということか」


「ええ。けれどね兄さん。その上で友情をはぐくめたら、素晴らしいとは思いませんか?」


「……」


「友情は必要ではない。必要だから友情をはぐくむのではなく、あくまでも僕を王にしようというその過程、僕の歩む王道とは関係のないところで友情が生まれたならば、その関係は、きっと僕が王でなくなっても続くでしょう」


「ふふっ」


「楽しそうだなあ、兄さん。……そしてね。僕は、体重をあずける、折れたり転がっていったりしたら歩けなくなるような支えは、いらない。そんなふうに臣下に負担をかけるつもりはない。ただ、いざという時に杖として役立てたら嬉しいと思ってもらえるような、主になりたい」


「お前さ」


「なんです?」


「めちゃめちゃ強いじゃないかよ」


「……恐縮です、と言うべきですか?」


「いや。お前のこと主体性もなく自分の意思にも乏しく信念もない流され系王子だと思ってた。どうして、その強さを今まで一度も見せてくれなかった?」


「目覚めたのが最近なもので」


「もし、ここで、俺がお前に、『争いはやめよう。王位はゆずる』と言ったら、お前はどうする?」


「魅力的ですね。お断りしますけど」


「はっはっはあ! ……理由、聞いておくか」


「立ち向かって王位を獲ると、約束してしまいましたから」


「誰に?」


 と、リシャールが問いかけると、兄弟は互いの目を見て、いたずらっぽく笑う。


 そして呼吸を合わせて、同時に、


「「アンジェリーナ!」」


「わっはっはっは! アンジェリーナは、そこまでの女になっているのか! 傲慢で、わがままで、高飛車で、思慮の浅い、あのアンジェリーナが! うっかり・・・・で妙なものに取り憑かれてみたり、思いつきの嫌がらせで家を断絶させるほどの罪を犯してみたりする、あの、アンジェリーナが! 死体みたいだったお前をここまでにしてしまう淑女になっているのか!」


「うーん、淑女かと言われると、ちょっと言葉に詰まりますね」


「いやあ、大した淑女だと思うぜ! 話を聞いているだけで、俺まで惚れそうになっている!」


「……」


「俺は、本気で王位を獲りにいって、いいんだな?」


 リシャールの黄金の瞳が、うすく照らされた暗闇の中で輝いている。


 オーギュストはその鋭い輝きに気圧されて、笑みを消しそうになるが━━


 ことさら、柔らかさを意識して、笑う。


「どうぞ。僕はあなたに立ち向かい、勝利します」


「素敵だ。最高だ。愛してる。人生がいろどられていく。どのような結末になろうとも、きっと俺はこの周回を忘れないだろう」


「兄さんの発言に、アンジェリーナを感じますよ」


「体育祭、俺も来賓らいひんとして見に行くことになっているんだ」


「え? ええ、まあ、卒業生ですし、王族ですし、それはそうでしょうけれど」


「その時、アンジェリーナにあいさつをしに行く」


「……」


「『弟がお世話になっています』っていうあいさつじゃあ、ないぜ。婚約を申し込む」


「……僕の婚約者なのは、おわかりですよね?」


「だから時間をやってる。今すぐに会いに行くと言わないだけ、理性的だろう?」


「……兄さんに四歳も下の、しかも弟の婚約者を奪う趣味があるとは、意外でしたよ」


「おいおい、年齢差を持ち出すなら、十歳下だって貴族界隈じゃあ珍しいってほどじゃないんだぜ。……あいつは俺の人生の希望だ。今日、お前と話して、それを確信した」


 薄くしか周囲を照らさないランプのみがまたたく部屋で、リシャールの黄金の瞳は輝きを増しているようだった。

 暗闇に溶け込むような黒い長髪に黒い衣服をまとった彼は、瞳だけが爛々らんらんと存在感を大きくしていく。


 吸い込まれそうな、光。

 そして、吸い込まれたが最後、焼き尽くされそうな━━世界を照らす陽光にも似た、黄金のきらめき。


「かつて」リシャールは笑いながら、「俺とお前のあいだにいたのは、エマだった」


「……はあ? ミス・エマ? なぜ急に? どういう話ですか?」


「戯言だと思って聞き流していい。……たまらなく、言いたいだけだ。お前との争いが、ただの女の奪い合いが、こんなに心沸き立つのは、初めてだ。終了条件・・・・の確認のための作業じゃない。俺は今━━たしかに、生きてる。終わらせるために作業をしているんじゃない。生きて、未来を志している」


「……」


「ようするに、めちゃくちゃ楽しいってことだよ。最高だな、生きるって」


「やれやれですね、なにを言っているのだか」


 オーギュストは肩をすくめる。


 ……この感じ・・


 アンジェリーナと相性がよさそうだな、とかすかな危機感を抱いたのを悟らせないように、微笑を浮かべて。

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