第25話 汚れ仕事

「……いや、その、なんというか、もう、あの………………」


 呼び出され、ことの顛末てんまつについて話されたガブリエルは、しばらく眉間のあたりを揉んで、正面に居並ぶ一年生たちを見た。


 すでに夜のとばりは降りきっていて、あたりは暗く、窓の外には銀色に輝くまあるい天体が見えた。


 室内は魔道具のランプで照らされているために暗いというわけではないのだが、ガブリエルとしてはいっそ暗い方がよかったとさえ思えた。


 なにせ、一年生たちが真剣な顔をしているのが、見えてしまう。


 だからこそ、ガブリエルは頭を抱えるしかない。


「話を整理させてくれ。あなたたちが今、俺にした話を、一からだ」


「いいですよ。ガブの気の済むように」


 オーギュストは寛大な笑みを浮かべていた。


 ……ガブリエルとしては、今回のことにかかわる一年生の中で、もっともまともだと信頼していた相手が、オーギュストだ。

 そのオーギュストが他の三人に振り回されている感じでもなく、さもまともなことを言っているようにああして微笑んでいるのには、ひどく頭痛を覚える。


 ようするに。

 アンジェリーナ、オーギュスト、エマ、ヴァレリー。

 この四人がガブリエルに持ちかけた『ヴァレリーの罰をなるべく軽くするための提案』は、あまり正気の沙汰さたには思えなかった。


「ええと、まず……事実関係の確認だ。あなたたち四人は、俺からミス・ヴァレリーに言い渡される罰則を軽くするため、ミス・ヴァレリーの話を聞きに向かった」


「ええ」オーギュストがうなずく。


「話を聞いたところ、ミス・ヴァレリーはたしかに、ミス・エマの道案内を放り出した。ここはいいな?」


「間違いありません」


「……そして、動機について。これが、『わからない』ということだったな? なぜだか急に道案内していることを忘れて、運動部棟でミス・エマの姿を目撃するまで、思い出すことさえできなかった」


「そのようです」


「そして、そのふざけた証言を、あなたたち一年生は満場一致で信じた」


「そうです」


「…………信じた理由については、これも不明。少なくとも、客観的かつ論理的には説明できない。ただ、ミス・ヴァレリーが嘘をつけなさそうだから……という程度のものだ、と」


「はい」


「そして、ミス・ヴァレリーの罰を軽くしたいあなたたちは、ただ俺に『よくわからないが案内中に案内のことを忘れました。嘘ではないと思います』と言っても罰を減じることはできないと判断し━━あー、その、なんだ」


 オーギュストがにこにこしている。


 どうやら、軽い冗談というわけではないらしく、ガブリエルは燃えるような赤毛をガリガリ掻いて、現実を受け入れる心の準備を試みてから、


「……『一緒に、どうすれば罰を減じていいか、考えよう』と持ちかけた」


「そうですね」


「いや、『そうですね』ではなくてな? ……えーっと、オーギュスト殿下。━━俺の説得方法を、俺に聞いてどうする?」


 ガブリエルが頭痛を覚えている原因がそこだ。


 判決を下す立場にいる者に、『どうしたら減刑できますか?』と聞くのが、常識から外れていることは、誰でもわかるはずだ。


 いや、アンジェリーナやエマがわからなくとも、オーギュストやヴァレリーはわかっていてほしい。


 そういう願いを込めた視線を向ければ、オーギュストは肩をすくめて、


「しかし、君も、ミス・ヴァレリーの罪が軽くなることを願っているではありませんか」


「それは、まあ、否定はしないが。……それでもだ。━━いいか、オーギュスト。世には『法』があり、そして人格を持たぬ『法』の代理をせねばならない立ち位置に必ず誰かが置かれる。今回の件にかんして言えば、それは、俺だ。『法』の代理をする俺が、自ら望みを抱いて下す罰の軽重けいちょうを操るなど、あってはならない。そうだろう?」


「ええ、その通りだと思いますよ」


「で、あれば、俺に、俺がどうすればヴァレリーの罪を軽くできるかを問いかけるのは、なんというか……埒外らちがいだとは思わんか?」


「思います」


「……またミス・アンジェリーナに振り回されているのか?」


 オーギュストはまともな少年だ。


 ガブリエルがオーギュストと初めて出会ったのは、リシャールの側近になることを許された七歳のころであった。

 二人の年齢差は二つ。つまるところ、その当時のオーギュストはまだ五歳。

 だというのに公明正大で平等で、慎ましやかで卒のないその様子に、『王族というのはすごい連中だ』とおどろかされたものだった。


 そのオーギュストが『裁く立場の者に、裁きを軽くする方法を聞く』などという、常識から外れたことをするとは思えない。

 そういう言動はだいたいアンジェリーナのものだ。


 だからきっと今回もそうなのだろう、とガブリエルは判断した。


 しかし、


「違いますよ。君に━━今回の件における『法の代理人』の立場である君に減刑の方法を聞こうと発案したのは、僕です」


「は?」


「僕が発案したんですよ」


 着想はアンジェリーナの意見からですがね━━オーギュストは晴れやかに笑って付け加える。


 ガブリエルは言葉に詰まった。

『裁きを下す立場の者に、裁きの軽重をどうすれば変えられるか聞いてはならない』というのは常識すぎて、いちいち『なぜ』『どうして』を考えたり説明されたりするものではない。

 そういうものだから、そういうものだ。

 うまく言語化して説明するには、思考時間が必要だった。


 その隙に、オーギュストが今回の意見の本質を告げた。


「君にあおがれる殿下プリンスとして命じます。僕のよいと思うように取り計らいなさい」


「……なっ……オーギュスト、それは……それが、どういう意味の命令だか、わかっていような?」


「もちろんです」


「……本当にか? それは……その命令は! 未来の専横せんおうを匂わせるのに充分なのだぞ⁉︎ なんのために法があり、なんのために法の代弁者が当事者の外に置かれ、なんのために法廷が存在するのか、お前がわからないはずがないだろう!」


 独裁を防ぐためだ。


 王権は強い。

 だが、この国において、王より上に法を置く。……実際には王の一声がよく通る場合もあるけれど、建前上は━━願いとしては、法は王より上にある。


 だからこそ、誰かの罪を問う際には、『法の代理人』というポジションに誰かがおかれるのだ。

 それはわざわざ説明するまでもない常識だ。

 だからガブリエルはそこに自分が収まっている今、自分の意思だけで罰の軽重を決めず、あくまでもアンジェリーナの『調査をして減刑を要求したい』という申し出を受け入れるかたちしかとれなかった。


「オーギュスト。お前の一声で、この件を片付けてしまおうというのは、それは……いくらなんでも、示しがつかんだろう。リシャールならそんなことは絶対にしない」


「そもそも、兄なら助けたい誰かが窮地に追い込まれる前になんとかするでしょうね。なにせ『預言者』ですから」


「……今回の件だけではないぞ、オーギュスト。俺は、お前が俺を許したのも、どうかと思っている。俺は━━お前を暗殺しようとしたんだぞ」


 ヴァレリーが「ええ⁉︎」とおどろき、エマがきょとんと首をかしげる。


 オーギュストは相変わらず笑って、


「その件は、罰として僕の派閥に入るということで解決したでしょう?」


「いいや、解決ではない。政治的判断による握り潰しだ。……王族を殺そうとして許されたのは、二度目になる。一度目、俺は六歳のころ、リシャールを殺そうとしているんだ。これも、リシャールによって許されている」


「……その話は、知りませんでした。そういう経緯があったうえで、騎士団長の家に引き取られたんですね」


「そうだ。……なあ、オーギュスト。俺は怖いんだよ。なぜ、お前たちは俺を許す? 俺が助かるようにことを運ぶ? 罰はいつ俺に降るのか、そればかり考えてしまうんだ」


 許されることにより、さいなまれていた。


 ガブリエルは自分がなにをしたのか理解している。おそらく、被害を受けそうになった側よりも、第三者の側よりも、正確に理解している。

 王族に対する暗殺未遂。

 一度目には情状酌量の余地があっただろう。なにせ、それだけを仕込まれて育てられたのだから。

 だが、二度目は違う。自分でもわけのわからない衝動によって、弟のように思っていたオーギュストを殺そうとした。


「わかるだろう? 俺の根底は、ぼろぼろのナイフを持ってリシャールを殺そうとした時からちっとも変わっていない。暗殺という手段が俺の中にはいつだって存在するんだ。もちろん、その手段をとらないようにしてはいるけれど、それは、ふとした気の迷いで選ばれてしまうことがあるんだよ」


「そうかもしれませんね」


「……だというのに、なぜ、俺を罰しないんだ? オーギュスト。それが王権継承者候補の気の迷いや気まぐれだというなら、俺は、不安でたまらない。だって、お前の気まぐれで許された者は、ある日、お前の気まぐれで罰せられるかもしれないだろう?」


「……」


「だから俺は、ミス・ヴァレリーは『法』に━━学内規則と前例、そして外の法と客観性に照らし合わせて罰するべきだと思う。色々失うものもあろうが、その方が彼女の未来は安全だと思うんだよ。こんな恐怖と不安の中に立たされるのは、俺だけで充分だと、そう思うんだ」


「……なるほど」


「理由を聞かせてくれ。気まぐれでないなら、なぜ、お前は俺やミス・ヴァレリーを助けようとする?」


「ガブ、扉の外に人はいませんよね?」


「は? あ、ああ。もちろんだ。さすがにこんな話、気配も探らずにはしない」


「では、ここにいる君たちだけに、僕も胸襟きょうきんを開きましょう」


 ヴァレリーが「あたしもいるけどいいんですか?」と自分を指差し、エマが「私もいます」となぜだかヴァレリーに微笑んだ。


「お二人は今回の事件の当事者として聞いていてください。……アンジェリーナも、寝てませんよね?」


 いつもうるさいアンジェリーナが、目を閉じたまま口も開かず大人しくしているのだ。睡眠を疑われるのは仕方なかった。

 だが、起きていたらしい。


「今回、我の出る幕はなかろう。すべて貴様に任すぞ、オーギュスト」


「では。……僕は、君たちの罪を許し、君たちを僕の派閥に引き入れようと思っています。つまるところ、政治的判断による握り潰しを行おうとしているのです。すべては、兄、リシャールに継承権争いで勝つために」


「…………しかし、オーギュスト」ガブリエルが燃えたぎるような赤い瞳を鋭くして、「そんなふうに派閥を拡大したとして、リシャールに勝てるのか?」


「やだなあガブ。もちろん、建前ですよ」


「……」


「そもそも、君らはすでに僕の派閥らしい。これ以上君らを許す政治的なメリットはさほどない」


「では、本音は?」


「兄を見ていると忘れてしまうのでしょうけれど、人は本来、失敗するものです」


「……」


「未来は見えないんですよ。……昨日まで当たり前だと思っていたものは、ある日、唐突に変わることがある。今までの己を改めて、まったく新しい己に生まれ変わる人がいる。失敗を経て、変わっていく人が、いるんです」


 オーギュストが澄んだ青い瞳でちらりと見たのは、アンジェリーナだ。


 しかしそれは一瞬のこと。すぐさま視線はガブリエルに戻り、


「僕の派閥には、一度ぐらい失敗した人にいてほしい」


「それは、罪を許す理由にはならない。あくまでも、罪を犯した者を受け入れる理由であって、罪そのものを許す理由ではない」


「君は厳しいなあ。では、もう少しだけ意見を開陳かいちんしましょう。……いや、これだけは言いたくなかったんですけどね」


 場の緊張感が一気に高まったような気がした。


 ガブリエルすらも気圧されたように上体を下げながら息を呑んでいる。


 全員の視線がオーギュストに釘付けになり、しばらく全員が呼吸さえも忘れて、その女性的な線の細い美貌びぼうに見入った。


 そろそろ緊張が臨界点に達して、誰かが続きを促す声を発するだろうというタイミングで、ようやく、オーギュストが、言う。


「ぐだぐだ悩まれて、そのたびに足を止められると、邪魔なんですよ」


「……なんだと?」ガブリエルがあっけにとられたように言う。


「僕が二十歳になった年の終わり、王位継承権争いは終わり、次期王が選出されます。僕にはあと六年ほどしか時間がないのです」


「……」


「兄はすでに学園を卒業して、次期王のすべき執務をこなしている。一方で僕は、学園を卒業してから二年しか『外』で活動する期間がない。祖父も、父も、弟たちを下して王になっている。つまり、早く生まれるというだけでも、ひどく有利なんです」


「それは、まあ、そうだが」


「しかも、僕の相手は、あのリシャール兄さんだ。『預言者』『もとより王として生を受けし者』『智勇兼備』『黄金の瞳持つ者』……その高い能力を表すあだ名を挙げればキリのない、あの、リシャール王子だ」


「……ええ、まあ、そうですが」


「勝てるわけないでしょ、こんな勝負」


「……」


「でも、僕は勝つんですよ。……絶対に勝つんです。負ける想定はしないんです」


「……」


「だから、君たちに立ち止まって悩まれるのは、うっとおしいんですよ。僕が許す。だから僕を王にしろ。……言いたいことは、それだけです。なりふり構ってなんかいられないんです。法の遵守、客観性の担保。王権と法の関係。暗殺。すべては瑣事さじです。あのリシャール兄さんに勝利することを思えばね」


「しかし、そんなふうにぶくぶく・・・・と派閥を太らせた程度では、とてもリシャールには勝てんぞ」


「だから人は選びます。僕が許すのは、僕が認めた者だけです」


「……なんという、専横だ」


「ご安心を。これは、王になるまでのこと。王になればこんなわがままは言いません。そもそも、放棄予定ですからね、王位」


「しかしだな……」


「仮に僕が王になって、その座にしがみつき、専横をしたら、その時はガブ、君に任せます」


「任せる?」


「僕を殺しなさい」


「……」


「その時にはきっと、君の望む罰が降るでしょう。法に照らし合わせた罰が」


 オーギュストは微笑んでいる。


 だが、その青い瞳には、激しい輝きがあった。


 ガブリエルは顔を覆って天井をあおぎ、


「俺が、あなたからもたらされる甘い汁に骨抜きにされて、あなたを殺す刃を捨てたら、どうするのですか」


「君は自分と身内に厳しい。そうはならないと思っています」


「……ミス・ヴァレリーの罪を減じてもらおうというだけだったのに、なんだか予想以上の大事を打ち明けられて、さすがの俺も参っています」


「すみませんね。もう少し頭をひねってどうにか減刑の言い訳を捻り出すこともできたのですが、ちょうどいい機会だと思いまして」


「オーギュスト、ちなみにだが」


「?」


「あなたがそこまで王を志すようになった動機について、うかがっても?」


「すみません、今は秘密です。望むならあとで、二人きりの時に」


 オーギュストは、ちらり、と、ある人物を見る。


 ガブリエルはその視線の動きを指の隙間から見て、


「……理解しました。ああ、くそ。悪い冗談だなあ本当に!」


「すみませんね」


「謝罪はいりませんよ、殿下」


 ガブリエルは顔を覆う手をどけて、左手を胸に、もう片方の手を、手のひらを下にしてテーブルにつけ、頭をわずかに下げ、


「ミス・ヴァレリーの罪の握り潰し。あなたの暗殺。それら汚れ仕事、この俺がうけたまわりました。あなたにつくのが、リシャール様の命令だからではなく……なにを捨てても不可能に挑み、打ち勝とうというあなたの危なっかしい王道を、俺が支えねばならないと感じてしまった。つまり、俺は、俺の意思であなたの杖となる」


「君、苦労する性格ですよね」


「お前たち兄弟は本当に俺を狂わせる。……そして、その狂気に身を委ねるのが、どうにも俺は好きらしい」


「であれば、僕らはきっとうまくやっていけるでしょう」


 オーギュストは肩をすくめて、苦笑を浮かべ、


「僕もどうやら、狂わされる感覚がたまらなく好きなようですから」

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