第22話 闇の影響

「……まったく、申し開きもない。すべては俺の人選が悪かった。つつしんでお詫び申し上げる」


 先触れを依頼したらしいガブリエルは、事情を聞くと、深々と謝罪した。


 体育祭直前の生徒会は忙しく、ガブリエルの多忙さは昼に見せられた通りだ。

 しかしオーギュストから事情説明を受けるとガブリエルは時間と部屋をとり、エマを招き、謝罪の場を設けた。


 一日に高い頻度で貴族から謝罪をされることになったエマは申し訳なさから怯えきっていて、さっきから出されたお菓子をモリモリ食べるばかりでなにも言えないでいる。


(というかこの女、ものすごく食うな……)


 エマの世話役の一人として場に同席したアンジェリーナは、リスのように頬をパンパンにしながらお菓子を食べまくる様子を見て、ちょっとあきれつつ、ちょっと面白がっていた。


 エマの周囲からすっかりお菓子がなくなると、アンジェリーナは自分の手もとにあったクッキーをつまみ、エマに差し出す。


 エマは戸惑った様子でクッキーを見ていたが、アンジェリーナがニコリと笑うのを見ると、笑い返して、クッキーにぱくりと食いついた。


「そこ、餌付けしないように」


 オーギュストが苦笑していた。


 ガブリエルも苦笑いし、


「ミス・アンジェリーナは相変わらず、空気を読まないお方だなあ」


「いや、我か? さっきから間合いの内のお菓子の存在は許されないとばかりに食べまくっているミス・エマにも責任の一端はあろう? こうも小動物のようにせわしなく、うまそうに食われては、手ずから菓子の一つも与えてみたくなるというものだ」


「あッ⁉︎ す、すみません、おいしいお菓子で、つい……」


「かまわん。とがめているわけではない。というより、我が許す。存分に食すがいい。若者がうまそうに物を食うというのは、先達にとってなによりの喜びの一つだ」


「アンジェリーナ様、先輩でいらっしゃったんですか?」


「同級生ですよ」


 オーギュストが補足した。


 ガブリエルはため息をついてから力なく笑い、


「ともあれ、仲がよさそうでなによりだ。……返す返す申し訳ない。賓客ひんきゃくたるミス・エマに狼藉ろうぜきを働くような人選はしなかったつもりなのだが……人の内面にはなにが潜むのかわからないものだな」


「狼藉だなんて! ……それはもちろん、知らない場所で突然一人にされて心細かったですけれど……でも、きっと、なんらかの事情があったのだと思います! ほら、お手洗いとか!」


「……貴族にはな、役目の途中でお手洗いに行きたくなった時のための定型文がざっと三十はある。もしも本当にお手洗いで消えたのだとすれば、そのうちどれかを告げてからいなくなると思うぞ」


「そんなにあるのか」「君もそのあたりきちんと覚えてくださいよ」アンジェリーナとオーギュストのやりとりだ。


「オーギュスト殿下、処分は俺に一任ということで頼めるか? 今後、ミス・エマに似たようなことを働こうと考える者が、絶対に・・・出ないようにきちんと処断する」


 ガブリエルが口を引き結び、目を細めて述べた。

 普段童顔な彼がそういう表情をすると、年齢が三つは上になったように見える。

 また、燃えたぎるような赤い瞳が細められると、威圧感と迫力が三倍にも四倍にもふくれあがったように感じられた。


 だからだろう、


「殺すんですか……?」


 エマが『つい』という感じで聞いてしまった。


 さすがにこれには一同きょとんとし、絶句する。


 ガブリエルが一番早く我を取り戻した。


「いや、その、さすがに殺すまでは……ミス・エマがそのぐらいの処分をお望みとあらば、王家にそのように訴え出ることを止められはしないが……」


「ええっ⁉︎ い、いえいえいえいえ! そんな、望んでません! むしろ、こんなことで死なれては、夢に出ます! というかお咎めもいらないぐらいです!」


「さすがに、まったくお咎めなしというわけにはいかん。学内政治においては生徒会からの指示に故意の未了を働いており、学外政治においては第二王子の顔に泥を塗ったということでもある。そいつにとって、それなりに重たい罰にはなるだろう。……だからこそ不自然でもあるのだが」


「ええと……」


「君を校舎まで案内するように頼んだ者にとって、君に嫌がらせをするために生徒会からの指示を無視するのは、一時の気の迷いで済ませられるほど軽いことではない、ということだ。未来をかなぐり捨てる蛮行━━と言うと少々言葉が強いが、まあ感覚的にはそのぐらいの大勝負だな。にしては得られるものがなさすぎる」


(しかし、魔王として目覚める前の我であれば、普通にやりそうだな……)


 前世を思い出す前のアンジェリーナは、いっときの気分で動く。

 なるほどそれは、王国の七分の一もの領土を持っていれば、さもありなん、という感じだ。


 誰も表立っていさめる者がおらず、両親にも甘やかされ━━

 それゆえにきっと、破滅するまで、自分が悪いことをしたとさえ、気付かないまま生きていくのだろう。


(身につまされる思いだ。もしも魔王としての自覚に目覚めなければ、我もまたこのように、ほんの出来心でやった『意地悪』が、己の自覚せぬところで大問題となり、裏でどんどん話が進み、処罰を受けていたことだろう……)


(もちろん、こんな大問題になるとわからぬ想像力の欠如は本人の瑕疵かしと言われよう。だが……一度ぐらいの失敗は許されてよいのではないか?)


「ちなみに」アンジェリーナが問いかける。「その者というのは、どこの誰なのだ? 秘密か?」


 ガブリエルはその問いかけにしばしなにかを思案するような沈黙を挟んで、


「……隠してもばれるか。あなたのクラスメイトだよ、ミス・アンジェリーナ。ヴァレリーという女性だ。あなたも交友があるかもしれない」


(…………………………ダメだ。思い出せん)


 人間に興味を抱くよう、日々努めている。

 だがそれは、交流を持った相手の特徴や、その背後にある人間関係を努力して記憶するようにしているという話で、交友のない相手については、まだまだ、そこまで回せる注意力がないのが現状だった。


「ともあれ、同級生であれば、我のせいかもしれん……我が闇の力がその者の心を乱した可能性はなきにしもあらずよ」


「また始まった……あのなミス・アンジェリーナ……あなたの慈悲深さには本当に感じ入るし、俺とてそれに救われた。間違いなくあなたの美点だ。だがな、なんでもかんでもそれで済ませるわけにもいかんのだ。それで済まされた俺が言うべきではないだろうが……」


「我が魔王の魂からあふれ出す闇の魔力は、魔法という形式に当てはめずとも他者の精神を乱す魅了チャームの効果を発するというのは、隠さずつまびらかにしている通りだ。つまり、我の周囲の者が常態じょうたいから想像もつかん行動をしたならば、その心には『魔が差して』いる。魔というか、魔王だが……」


「俺は、結果的にあなたの慈悲にすがっている。オーギュスト殿下も、リシャール殿下……ではなく、リシャール様も、お許しをくださったが……」


 ここでアンジェリーナが今さら「そういえば『殿下プリンス』と『ミスター』はどういう基準で使い分けるのだ?」と問いかけた。

 すると横にいたオーギュストから「基本的に、将来、王になるべきと望む方を『殿下』と呼称する通例があるんですよ。つまり呼称で派閥を明確にしているんです」と補足があった。なるほどね。


 ガブリエルがせき払いをして、


「ともかく、俺は、お仕えすべきお二人がお許しくださった結果、こうして生き恥を忍んでいるが、すべてをそれで済ませてしまっては、法の意味がなくなってしまう。俺は今でも、自身はさばかれるべきだと考えているし、これからそうして法をゆるがせにする事態に直面し、『まずはお前が裁かれるべきだ』と言われたならば、迷わずこの首を断頭台ギロチンに乗せる覚悟だ」


「断頭台……とは?」


「…………ええと……まあ、そういう処刑の道具があるのだ。効率よく斬首するための……長らく死刑になるような者が出ておらず、使われてはいないが……」


「しかしだなミスター・ガブリエル。貴様の首をねても、誰も得をせんぞ」


「損得ではない。責任の問題だ」


「責任などというのは、けっきょくのところ『損得』の格好いい言い回しでしかない。いかに法が整備されようが、いかに法文の明確化が進み判例が積み重なろうが、それらを行使するのは人である。人が法を操る以上、そこには願いが必ず混ざり込む。解釈の余地が必然的に発生するのであれば、解釈する者にとっての損得の押し付け合いになることは必定よ。そうして損を押し付けたい側に対して問うものが『責任』という名で呼ばれるにすぎん」


「あなたの言い回しは、大きな文脈を我らとことにしているような、不可思議なわかりにくさがあるな」


「我に報恩せんと貴様が望むならば、果たすべき至上の責務はただ一つ、『オーギュストを王にすること』のみ、ということだ。その目的を果たせぬうちに責任を問う者あらば、苦しい言い逃れでも、その場しのぎの嘘でも、なんでも積み重ねて責任逃れをし、至上の責務を果たせ。楽で格好いいものに逃げようとすることは、それこそ責任の放棄である」


「……王位という目標にオーギュスト殿下をたどり着かせて、あなたはなにを得るのだ?」


「まず、訂正だ。王位は目標ではなく通過点である」


「……」


「オーギュストは、一度王にならねば、己の夢を追うことさえ許されぬのだからな。それはあまりにも、ひどい話だ。そうだろう? ゆえにこそ、我はこやつが『とりあえず』王になり、夢を追うに足る資格を得られるよう補助するのよ。これまでかけた迷惑の埋め合わせとしてな」


「……しかし」


「……話が逸れたな。ミス・エマの案内を放り出した者の話題に戻ろう。そやつはおそらく、我が魅了してしまった。ゆえにこそ、その処分について、我に任されよ。我が魔王眼まおうがんにより、その本質を見極め、これが闇の魔力による一時の気の迷いであれば、寛大なる対応を要求する」


「……俺はなあ。……俺は、信頼できる者を、オーギュスト殿下の先触れとしてつかわせた。わかるか? そいつの蛮行に対し、誰より衝撃を受け、苦悶くもんしているのは、俺なんだ。だからこそ、きちんと処断すべきと……」


「ふむ。で?」


「……そいつがもし、またあなたの慈悲で救われたなら、俺はこれ以上、あなたになにを返せばいいのか、想像もつかん」


「貴様はすぐに報恩を考えるが、我は我の責任による悪影響の事後処理をしているにすぎんので、返礼を求めてはおらん。というか、返礼されても困るというのが正直なところだが……まあ、好きにするがよい。貴様がなにかせねば納得いかんというなら、我はそれを尊重しよう」


「だが……」


「オーギュスト、いいか? ミス・エマの問題については、我らがその対応を一任されているのだろう? これは他ならぬ生徒会の決定だ。違ったか?」


 アンジェリーナはガブリエルの言葉を遮るように、横を見た。


 問いかけられたオーギュストは、穏やかに笑ってうなずき、


「もちろんです。これは僕らの任された僕らの仕事だ。……わくわくしますね。君の意思で行動を起こし、それに付き合うのは、なんとも言い難い楽しさがある。━━ガブ、君は、僕からこの楽しみを取り上げたりはしないでしょう?」


 ガブリエルは顔を両手で覆ったまま、しばらく停止し……

 がくりと肩を落として、両手のひらをテーブルにつけるようにした。


「降参だ。……よろしくお願いいたします、我があるじ。事件の真相の究明を、どうか」


「決まりだ」アンジェリーナが立ち上がり、「我ら三人に任せておけ。行くぞ、オーギュスト、エマ」


「…………えっ」エマはもきゅもきゅ、ごくん、とお菓子を飲み込み「私もですか⁉︎」


「我らは貴様の世話役なのだ。貴様を見える場所に置いておかんとな。そういうわけで付き合え。貴様が付き合えば、人が死なずに済むかもしれん」


「やります」


 エマも立ち上がった。


 ガブリエルは「だから殺すまではしないと……」と言いつのったが、それが耳にとどく前に、アンジェリーナとエマが部屋を出て行く。


 残されたオーギュストは肩をすくめて、


「ガブ、君も認識を改めた方がいい。アンジェリーナは評判通りわがままで勝手ではありますが━━今の彼女のそれは、昔の彼女とは方向性が全然違うのです」


「……ああ。そうだな。ともすれば……王の器さえ感じるよ」


 オーギュストは笑っただけで、肯定も否定もせず、


「それで、彼女らが遠くに行ってしまう前に、教えてください」


「……なにをだ?」


「君が先触れを頼んだ者の、今現在いそうな場所ですよ」


「……」


「彼女ら、なにも聞かずに飛び出して行きましたから。そういう粗忽そこつなところを、僕がフォローしないとね」


 オーギュストは仕方なさそうに肩をすくめる。


 その口もとには、楽しさをこらえきれないような笑みが浮かんでいた。

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