第23話 剣術部のヴァレリー
「あの男の己と身内への厳しさは、風紀の維持を
『先触れ』を求めて廊下を進む途中、ふと思いついてつぶやいた。
あとから追いついてきたオーギュストは、うなずいて、
「たしかにガブは自罰的な面がある。まず、己が悪いのではないかと考える。次に己の親しい者に
「あれもあれで屈折した男だな。ゆえにこそ、我が闇の魔力に
「つまり、ガブが例の蛮行を働いたのは、君の魅力のせいだと、君はゆるぎなく思っているんですね」
「
「なんでしょう?」
「変なやつほど我が魅了の影響を受けやすい。バスティアンとか」
「……ああ、うん。たしかに、ガブもバスティアンも、唐突におかしなことをしましたね。おかしなこと、というか━━バスティアンが僕にさえ秘めていた本音を、あんなにもあっさりと
「貴様がまともで助かるよ、オーギュスト」
「…………さて。こちらとしては、一番最初にやられたのが僕、というような気がしているんですけれどね」
「貴様は我が知り合いの中で、おかしな行動をしておらん少数派であるように思うが」
「まあ、君は知り合いが少ないですけどね……」
統計をとるには、サンプル量が圧倒的に足りていない。
「して、オーギュストよ。我らはどこに向かっている?」
先に部屋を出たのは、アンジェリーナとエマだが……
オーギュストがその脚の長さで追い上げてきて、気付けば先導しているので、今は完全に行き先をオーギュストに任せている状態だった。
オーギュストはなんとも微妙な顔をして、
「……逆にうかがいたいんですが、君、なにも情報を得ずに部屋を飛び出して、どこに向かうつもりだったんですか?」
「クラスメイトなのだから、とりあえず教室だな」
「もう放課後ですよ。それも、体育祭を直後に控えた放課後です。とっくに教室にはいないと思います」
「ということは運動部所属なのか」
「君は鋭いんですが、行き当たりばったりなんですよね……くだんの『ミス・ヴァレリー』は、剣術部に所属する一年生です。
「そやつはガブリエルの事情を知っている者か? 養子という事情を……」
「そうですね。というより、ガブが養子であることを知らない者は、いわゆる『騎士の家系』には少ないですよ。なにせ、現騎士団長の家なので、注目度が他の家とは違います。まさに行動一つ一つが監視されていると言っても過言ではない。あの家がまったくなんの血縁もないガブを引き取った背景についても、そのあたりの相互監視と権力闘争への嫌気……意趣返し、のような面もあったと言われているぐらいです」
「そんなスパイが入り乱れていそうな状況で、あの身内に厳しいガブリエルの信頼を得ていたのか。……やはり我の闇の魔力がなければ、エマの案内を放り出すようなことはしなかったのでは?」
「さて、君の魅力、というか、味、というか……そういうのはよく話してみないとわからないものですから、君との会話を避けているクラスメイトが君に心乱されるのはちょっと考えにくいですが……」
「しかし、我が闇の魔力は、ただそこにいるだけで香るものだからな……」
「そうですね」
オーギュストは優しく笑った。
その話を黙って聞いていたエマが首をかしげて、
「あの、アンジェリーナ様がおっしゃっているのは強い魔力の余波の話ですよね? それは別に、会話しなくても感じられるものなのでは……?」
オーギュストは優しい笑みのまま、
「アンジェリーナの語る『闇の魔力』については、ゆっくりと教科書を読んでいただけると、意味がわかると思います。本来であればもっと授業の補足などに放課後の時間を使いたかったのですが……引き回してしまい、申し訳ない」
「あ、いえ、人命のためなのでそれは……」
「だから死罪にはさすがにならないと……いえ、まあ、そうですね。このあたりの罪の
「はあ。……覚えることがいっぱいですね……がんばります!」
「ええ。……ああ、そろそろ部活棟に入りますよ。この時期ですから、人にぶつからないよう注意してください」
オーギュストに言われて視線を前に戻す。
すると、そこには、今までの廊下とは違う活気があふれていた。
制服、運動服だけではなく、それぞれの部活動のユニフォームと思しきものを身にまとった生徒たちが、せわしなく活動していた。
これまでも耳にとどいていたのだろう
ここは貴族の学園であるからして、普段は
部活棟を一歩出れば、生徒たちは静かに
そういうふうに過ごさないと貴族としての品格を疑われ、野蛮と見られるのだ。
だが、この時期の運動部棟は、そういった暗黙の協定を無視できる治外法権的な場所らしい。
怒号が響き渡り、人々がバタバタと走り回っている。
そう狭くない廊下だというのに
なによりおどろくのが、誰も、こちらを見ていない、ということだ。
オーギュストは王子である。
そしてアンジェリーナは右目に眼帯をつけ、左腕に包帯を巻いた、重傷のような姿をしている。
この組み合わせは否応なく目を
もちろん、金銀の髪の二人が並んで歩くと、その容姿からついつい視線を奪われるというのもあるだろう。
だが、それ以上に『情報量』とでも言うのか、『輝き』と表現すべきなのか、王子という身分と、その婚約者なのか婚約破棄された人なのかわからない人、という前評判が、オーギュストとアンジェリーナの存在に視線を集める。
だが、体育祭を前にしたこの時期、運動部棟の生徒には、そんなことよりも大事なことがあるらしく、全然、注目されない。
(……人にぶつかられそうになるというのは、なるほど、得難い経験だな)
ぶつかりそうになって相手が避けて、「申し訳ない!」と言いながら走り去っていき、しばらくしてからこちらを二度見しておどろく、というようなことが多い。
「お、っと」
アンジェリーナも人波を避けてはいたのだが、現世の肉体は小さく、のろい。
避けきれずにぶつかって、弾き飛ばされそうになったところを、オーギュストに支えられる。
「大丈夫ですか?」
「問題ない。……どうにも現世の肉体は注意力が散漫で反射神経がにぶいな。すまぬな」
「いえいえ。よければ、手でもつなぎますか?」
「さすがにもう、そこまで子供でもない」
「わかっていますよ。レディをエスコートするのは紳士のつとめですからね。そういう意味です」
「だとしても遠慮しておこう。こんなところで手をつないで歩いたら、ますます人にぶつかられそうだ」
「それもそうですね」
などとやりとりをしているあいだに、剣術部にたどりつく。
ドアは開け放たれていて、ノックをする前に中の様子がわかった。
部活棟にある部室は、物を置いたり、着替えたりするためだけの空間だ。
活動のためのスペースは他にあり、申請することにより学園から許可を得て使用することになる。
ところが壁にあるロッカーのせいで人一人ぶんぐらいしか横幅がない細長いそのスペースで、真剣を持った二人が斬り合いをしていた。
左右に回避できないせいで、二人は前後に行ったり来たりしつつ、相手の剣をかわし、自分の剣を当てようとしていく。
また、高さがあるわけでもないその空間では横薙ぎだけでなく振り下ろしも難しいためか、二人の攻撃はほとんど突きのみだった。
ほとんど突き━━つまり、小さい動作で最短距離を通り目標に向かうだけの動きだというのに、その二人の動きは流麗で、思わず見惚れてしまう。
(これは、演舞だな)
二人の動きがいくつかの動作をループしていることに気付き、アンジェリーナはそう判断した。
「あ」
前後にしか動いていないとはいえ、素早く動く人の顔はなかなか判別しがたいものがある。
まして格子状のフェイスガードつきの
だからエマがおどろいた声を出すタイミングの遅さは、ようやく剣舞を行う二人の動きに目が慣れたのが今、ということなのだろう。
同時、エマの声でドアの外に人がいることに気付いたのか、「あ」と部屋の奥側にいた人物も声をあげて、
「ちょっと! ちょっと止めて!」
剣舞を止める。
勢いのせいでそれから三
剣舞が止まると、その人物は兜をとる。
それは、オレンジ色の髪をした、背の高い女性だった。
瞳の色は髪と同じオレンジだ。属性的には炎の素養がある、と分類されるであろう。
髪は短く、甲冑越しとはいえ体も起伏にはとぼしいのがわかるため、なんとなく男性的に見える。
代わりに引き締まった筋肉が全身についていることが動作からでもわかる。武人として洗練された肉体の持ち主だとアンジェリーナは一目で見抜いた。
髪から汗の雫を垂らしたその人は、しばらくアンジェリーナたちを━━視線の高さからするとエマを━━見て、ぼんやりしたあと、
手にしていた、剣を取り落とした。
「急にどうしたんだよヴァレリー? ━━って、王子様⁉︎」
剣舞のパートナーが振り返り、ようやくオーギュスト一行が入り口で立っていることに気付いた。
慌てて兜を脱いで礼をする。
……学生同士なのでそれほど改まった礼は必要ないはずだが、慌ててしまって、色々と抜けた結果、反射的にもっとも失礼のない動作を選んだのだろう。
ヴァレリーと呼ばれたオレンジ髪の女性は、そんなパートナーの様子を意にも介さず、ふらふらと、近づいて来る。
その顔にはなんら感情が浮かんでおらず、その動作はどこか夢うつつの感があった。
その人はアンジェリーナの目の前まで来て、立ち止まった。
(ずいぶん体格に恵まれているな。これは、よい剣士だ)
アンジェリーナが感心していると、ヴァレリーはだんだんと表情を取り戻し━━
ついに、その顔を蒼白にした。
「あ……
「え、えっと、ご、ごきげんよう?」
エマが対応に困りはてたように、とりあえずあいさつをした。
ヴァレリーは、バッとその場に
「申し訳ございませんミス・エマ! あ、あたしは、
言い訳にしてはあまりにも苦しく、彼女の全身から感じる『取り返しのつかないことをしてしまった』という後悔はあまりにも切実だ。
(ふむ。なにか、人智の及ばぬことが起こっている気配を感じる……)
やはり怪奇現象かもしれない、とアンジェリーナは思った。
オーギュストを見れば、困ったような顔でこちらを見下ろしていた。
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