第21話 事情聴取

 バスティアンはあらかじめ整理していおいたのだろう、よどみなく事情を語った。


 まず、昼食後に彼がいつもする行動として、厨房ちゅうぼうで弁当箱などを洗っていた。


 オーギュストはバスティアンを『実質従者』という扱いはしていないが、バスティアンはあきらかに貴人に奉仕するための訓練を積んでおり、これはオーギュストのためであった。

 なので主の食事の用意や片付けも自分の仕事として行っているわけである。


 そんなことを毎日繰り返していたもので、厨房に詰める学園の料理人とも親しい間柄になっており、『頼み事』をされることだってあるというわけだ。


 バスティアンが午後の授業も間近に迫った時間帯に校舎の外にいたのはその『頼み事』のためであり、これは倉庫で麦の量を見てくるというものであった。

 倉庫は校舎と学園敷地入り口である正門とのちょうど真ん中ぐらいにあるので、それなりの移動時間がかかる。

 けれどバスティアンの長い脚であれば充分に午後の授業に間に合う。快く引き受けた。


 そうして在庫の確認を終え、戻ろうとしたところで……


 さまようエマを発見した。


「彼女の様子と、瞳の色から、彼女が噂の『転校生』ではないか、と思いましてね。これは道に迷っているのではないかと判断し、声をかけたというわけです」


「バスティアン、貴様、まさか噂話に興じる学友が存在したのか……⁉︎」


「え? それはまあ、おりますけれど…………あっ、ええと、その、申し訳ありません、ミス・アンジェリーナ」


「なんの謝罪だ」


「私はあなたについつい子供っぽい対応をしてしまいますが、あなたを傷つけるのは本意ではないのです。それを……」


「いい、いい。話の腰を折って悪かった。続けろ」


「とはいえ、彼女に声をかけ、校舎まで案内し、そのあとは殿下とミス・アンジェリーナも知る通り、というわけです」


「…………つまり、迷っていたミス・エマを発見しただけか? それでなぜ、貴様はそんなにも不機嫌なのだ?」


「それはそうでしょう。いいですか、ミス・アンジェリーナ。学園は広いのです。そして、オーギュスト殿下は校舎入り口で待つように指示されていた。学園の敷地入り口にあたる正門ではなく、校舎入り口で。そうでしょう?」


 たしかに、アンジェリーナが目を通した『生徒会から命じられた転校生迎え入れの手筈てはず』では、そのようになっている。


 だが……


「よく、書類を見ずにわかるな? それともオーギュストからなにか言われていたのか?」


「……そういえば、ミス・アンジェリーナは、あまりこういう通例にお詳しくないのでしたね」


 バスティアンは翡翠ひすい色の目を細めて優しく笑い、


「よろしいですか、ミス。王族が誰かを出迎える際には、必ず先触れを出します。王族であるオーギュスト殿下がミス・エマを出迎えるという場合には、オーギュスト殿下より先に、ミス・エマを殿下のもとまでお連れする、よりふさわしい役割を負った者が必ずいるのです。生徒会長のミスター・ガブリエルであれば、必ず手配していたことでしょう」


「ふむ。しかし、ミス・エマはたった一人で正門から校舎までのあいだをうろうろしていた、と。……なるほど」


 つまり━━『先触れ』にあたる者が、その役割を放棄したのだ。

 ……とも、考えられるが……


「しかし、この学園内ではあまり王族だのなんだのと言わぬのが、いちおうの建前なのであろう? そもそも、先触れなど手配していなかったという可能性はないのか?」


「ミスター・ガブリエルがそのような不手際を? ありえません」


「しかし……まあ、そうだな。━━ミス・エマ」


 アンジェリーナが呼びかける。


 エマは急に名前を呼ばれて、カチンコチンになって「は、はい!」とうわずった声で応じた。

 たぶん、学園の景色やお茶、お菓子などに圧倒されて、話はちっとも耳に入っていないものと思われる。


 だからアンジェリーナはことさらわかりやすさを心がけて言葉を選び、


「ミス・エマ。忖度そんたくなどはいらぬゆえ、正直に答えよ。貴様は学園の正門で、誰かに迎えに来てもらうという話になっていたのか?」


「ええと……」


 その時、エマが気まずそうに視線を逸らしたのを、その場の誰もが見逃さなかった。


 アンジェリーナは目配せをし、オーギュストがうなずき、言葉を引き継ぐ。


「どのような証言をしたとして、あなたの身の安全が保障されることは、僕が王家の名誉に誓って保証しましょう」


「不安ならば上級貴族令嬢の名も懸ける」


「僕は第二王子ですし、こちらのアンジェリーナは王国の国土の七分の一を領地に持つ家の令嬢です。僕らの名には相応の価値があるものと思っていただいて大丈夫ですよ」


「我が家は王国国土の七分の一を領地に持っていたのか⁉︎」


「……あの……学園には船で来たでしょう? 大陸から少し離れた場所にあるあの島は、すべて君の家の持ち物なんですよ……」


「なんと」


「自分の領地のことぐらいは把握しておいてください……」


 そのやりとりを見て、バスティアンは笑いをどうにかこらえていた。


 だが、エマは笑ってしまった。


 笑ってしまってから、ハッとして、視線を落とし、


「あ、す、すみません……ええと、王子様とご令嬢様の会話に笑ってしまうなんて……ええっ⁉︎ 王子様なんですか⁉︎」


「この学園において、いちおう、家名とは離れて過ごすということになっているので、家名を名乗ったり、家名で呼ばないしきたりがあるのですよ。……けれどまあ、そこは名乗っておくべきでしたね」


「あッ、そういえば見たことがあるような……パレードとかで黒髪の王子様の隣にいらっしゃったお方ですか⁉︎」


「そうです。黒髪の方は兄のリシャールですよ」


「うわあ……うわあ……本物だ……」


「ですからご心配なく。どうぞ、正直におっしゃってください」


 笑いで緊張が解かれたのか、オーギュストの真摯しんしな態度が心を開いたのか……


 エマは膝の上に乗せた拳を握りしめて、意を決したように、オーギュストをまっすぐに見る。


「……実は、その、言ってはまずいのかなと思ったのですが……校門のところまで、迎えに来てくださった方はいらっしゃったのです」


「ふむ。それで? その人は、どこに行きました?」


「わかりません」


「……」


「生垣でできた迷路みたいなところで、急に消えてしまって、それっきりです。私は遅刻してはいけないと思って、どうにか、校舎の方向に進んでいき……バスティアン様に見つけていただいたのです」


 その話を聞いて、アンジェリーナがうなずく。


「オーギュスト、これは……」


「ええ。まったく、困りますね」


「うむ。……人が消えるなどと……怪奇現象だな」


「そう、怪奇━━…………えっ、その発想は本気ですか?」


「違うのか?」


「……違います。つまり、事態はこういうことです。━━平民である彼女を気に入らない者が、彼女に意地悪をした。怪奇現象ではなく、身分差別からくる問題行動なのですよ、これは」


「なにより許せないのは、案内役の者が、オーギュスト殿下の先触れという栄誉ある役割を放棄し、殿下に恥をかかせたことです」


 ここでようやく、バスティアンは先ほどからのいらだちの理由を明確にし、


「たんなる身分の低い者への差別、というだけではありません。これは、殿下への敵対行動です。リシャール派の者の仕業、ということでしょう」


「まあ、派閥に属しているのであれば、少なくともオーギュストぼくの方ではないでしょうけれど……」


「派閥に属さないなどという者が、貴族のみの、この学園にいるわけがないでしょう……」


「だとしても、兄の指示ではないと思いますよ。兄は、そんな卑吝ひりん真似まねをするような人物ではない」


 オーギュストの『先触れ』への評価が、穏やかな彼にしては珍しいぐらいに辛辣しんらつだった。


 自分に恥をかかせた者への怒り━━ということでは、ないらしく、


「ミス・エマ。不安にさせて申し訳ない。貴族というのはたしかに、平民を見下しているところもあるし、それを表立って見せてくるような者もいる。けれど、多くの貴族は、君たちとのうまい付き合い方がわからなくて、不安なだけなのです。どうか、貴族すべてに絶望なさらないでください」


 一部の貴族の態度が、貴族全体の評価をおとしめ、平民と貴族のあいだに溝を作ることになる。

 その可能性さえ思慮に入れない━━いや、入れていても、それでもやる精神の未熟さ。あるいは対立する派閥の者に害を与えられればなんでもするという紳士淑女の分をわきまえぬ貴族たる品格の低さに、怒っているのだ。


 エマはおどろき、立ち上がる。


「い、いえいえいえいえいえ! そんな、滅相めっそうもござらん!」口調が妙だ。「お、王子様に謝罪などされては、末代までたたられてしまいます!」


「王家は祟るのか」「祟りません」アンジェリーナとバスティアンの会話だ。


 オーギュストは婚約者と側近のやりとりを聞こえなかったことにして、


「ともあれ、あなたが楽しい学園生活を送れるように、僕たちは全力でサポートをしていくつもりです。それはあなたが稀代の才覚を持っているから━━というのも、まあ、もちろんありますが。あなた個人に、貴族やその学園に対して、悪いイメージを持ったままここを出てほしくないからです」


「……」


「だから、なにか困ったことがあれば、僕たちを助けると思って、なんでも相談してください。異性に話しにくいことはアンジェ…………まあその、生徒会の先輩を紹介しましょう」


「なぜ我ではだめなのだ?」「ミス・アンジェリーナは一般的な女性的感性が欠落しておいでですから」アンジェリーナとバスティアンの会話だ。


「まずは目前の体育祭をお楽しみください。……何度改めたかわかりませんが、改めまして。ようこそ、僕らの学舎まなびやに。我ら一同、あなたを歓迎いたします、ミス・エマ」


 オーギュストも立ち上がり、エマに近づくと、握手を求めた。


 エマはびっくりしつつ、右手に持っていたお茶菓子のクッキーを見て、オーギュストから視線を逸らさないままそれを口に運び、よく噛んで、飲み込んで、


「……よ、よろしくお願いします」


 差し出された手を取った。

 オーギュストはにこりと微笑んで、「ええ」と述べる。


 その様子を見て……


「変な女だな」「あなたに言われては、ミス・エマも立つがないかと」


 王子の婚約者と側近は、そんな会話をしていた。

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