第10話 閑話 リシャールとガブリエル

 これはもう十年も前の話だ。


「お前の生きる意味は、あの、黒髪に黄金の瞳のガキを殺すことだ」


 そう言われて育った。

 だからそうして役割を果たすためだけに生きていたのだと本気で信じていた。


 それが六歳のある日、王族に向けて放たれた暗殺者のすべてだった。


 とある真夏の暑い日だ。それも、並大抵の暑さじゃない。

 うだるような熱気。あたりは湿地帯で、虫も多くて、ねばっこい熱が体中にまとわりつくようだった。


 精強せいきょうで知られた近衛このえ隊も、この日ばかりは兜のフェイスガードを上げて、サーコートをはためかせて風を送るのを止められなかった。


 そもそも近衛隊の役割は『美しく、勇壮そう・・』であることだ。

 この、人のいない湿地帯は誰が見ているわけでもない。王族が許せばある程度のだらしなさをとがめる者は誰もいなかった。


 そうしてできた心理的な隙間を縫って、王族の第一子たる男に近付き、その命を奪うのが暗殺者の役割だ。


 ところが、先に近衛隊の心理的な間隙かんげきを突いて、その包囲を抜けた者が存在した。


 それは、暗殺対象ターゲットだった。


「よお。俺を殺しに来たんだろ?」


 自分より二つ年上の、八歳の少年でしかないターゲットは、もうなん十年も生きたかのように疲れた目をしながら、そんなことを述べた。


 暗殺者は困惑する。


 自分が作ろうと思っていた二人きりのシチュエーションを、相手に作られた。

 ━━低い植物がうっそうと生い茂り、背の低い子供の姿を周囲から覆い隠す場所。

 ━━浅い沼地は柔らかい泥で足をとり、獲物の逃走を許さないだろう。


 自分が油断を誘うために声をかけるはずだったのに、相手から声をかけられた。


 だが、目的は変わらない。


 都合よくこと・・が運び過ぎているのは不気味に思えたけれど、ターゲットが近衛隊から離れてのこのこ自分の前に現れた事実には変わりがない。

 ならば、自分は役割を果たすだけだ。


 燃えるような赤毛の暗殺者は、殺意に濁った赤い瞳をターゲットに向けて、懐に納めていたナイフを抜いた。

 だが、


「それじゃあ、あまりにも頼りないだろう。これを使うといい」


 ターゲットは、腰にびた剣を抜くと、それを投げてよこした。


 暗殺者はおどろきに目を見開いて、ターゲットと投げよこされた剣とを見比べる。


 ターゲットは肩をすくめ、口のを上げて、


「どうぞ? 拾ってる最中に襲いかかるだなんて、そんな、結末のわかりきったことはしないよ。つまらないからな」


 不気味すぎた。


 だが、やはりこれもまた、自分にとって都合のいいことではある。


 暗殺者は投げよこされた立派な剣を手に取った。

 ずしりと重く、けれど八歳の王子用の剣は六歳の自分にも握りやすく、振りやすい。


 確実に殺せるという実感がふつふつと湧き上がってくる。

 ……ターゲットの行動の意味はわからないけれど、運命全てが自分に味方していることは事実だ。


 殺すために生きてきた。

 その人生の目的が叶う瞬間に、神が微笑んでいる。


 暗殺者はターゲットに飛びかかった。


 ターゲットはすっと片足を下げただけで、暗殺者の刃をかわした。


 ……どうやら、別に自殺志願者ということではないらしい。

 回避はする。それでもいい。どうせ、結末は変わらない。


 暗殺者は次々刃をふるった。

 それはことごとくターゲットの急所に迫った。

 ……そして、すべてが紙一重でかわされた。


 しかも━━


(こいつ……目を閉じてやがる⁉︎)


 暗殺者は困惑した。


 それから、恐怖した。


 目を閉じた八歳の少年に、自分の剣がかすりもしない。


 そのすべてが紙一重で避けられる。

 しかも、当たる気のしない紙一重だ。惜しい、とは一度も思えなかった。ひと太刀振るたびに、『絶対に当たらない』という絶望感だけが積み上がってくる。


 気づけば、刃を振ることさえできなくなっていた。


「もう終わりか」


 残念そうにターゲットは述べた。


 剣を持った暗殺者は、びくりと身をすくませた。

 相手は武器の一つも帯びていないのに、自分の人生が相手の気まぐれ一つで終わるのを確信させられたのだ。


 だが、


「なあ、俺を殺せないのはわかったろう? そこで提案なんだが、お前、俺のところに来ないか?」


 ターゲットが、目を開く。


 黄金の瞳━━土属性の素養を示すその色は、なぜだか、中天に差し掛かった陽光めいたきらめきに感じられた。


「俺が誰かは知っているだろ? ━━第一王子リシャール。将来の王だ。そしてお前は、俺を殺しに来た暗殺者だ。だがな、俺を殺してもお前には未来がない」


「……未来?」


 子供らしい甲高い声で繰り返した。


 それは、知らない単語だったのだ。


 でも、不思議と、心躍る言葉だったのだ。


 リシャールは、うなずく。


「そう、未来だ。ここで俺を殺せなかったお前は、組織に帰れば殺される。ところが、俺のもとに残れば、お前は未来を手にできる。だから俺と来い」


「……そんなことをして、なんになる? おれに、未来なんかよこしたって、お前はなんにも……」


「『なんになる』かなんて、知るか。今日、この出会いを『なにか』にしたいなら、お前が努力して意味を持たせてみせろ」


「……」


「俺はお前に死なれると寝覚めが悪い。お前は俺に助けられたと思うなら、将来の働きで返す。ただそれだけの契約だ。安心しろ。お前が誰に命令されたか、その裏に誰がいるか、俺は全部知ってる。そして、それを潰すことができる。とにかく来い。お前は俺が守る」


 わけのわからない男だった。

 たった二歳年上というだけで、こうまでわけのわからない存在になれるのかと疑問に思った。


 だから。

 未来っていうのは、すごいなと、感動した。


 剣を投げ出す。

 ひざまずくく。


 リシャールは黄金の目を細めて笑う。


「臣下の礼なんぞいらねーよ。ガ━━おっと。お前はまだ、名無しだな?」


 なにもかも見通すみたいに、リシャールは言う。

 すべてを見透かされていて、けれど、それはとても心地のよい感覚だった。


 だから、この感覚にすべてをゆだねて、立ち上がった。


 臣下の礼などいらないと相手が求めるのだから、自分は、それに応じたい。


 立ち上がった自分の肩に、リシャールは手を乗せて、


「お前は今日から『ガブリエル』だ」


 初めて与えられた人らしい名を胸に刻み込む。


「今ここで、俺に出会わなくても、お前はきっと『ガブリエル』になって、幸福を手に入れた。だが━━お前に殺されてもなにも変わらないんでな。本来、お前に幸せをあたえるやつの代わりに、俺がお前に未来をくれてやる」


「おれは、どうすればいい?」


「お前が自分で考えたすえに、お前が自分の意思で決めろ。それが一番面白い」


 ……これは、まだ名無しの暗殺者だったころ、リシャールという唯一無二の友と出会った時のことだ。


 このあと、子のなかった騎士団長の家に養子に迎えられ、たしかに幸福を手に入れた。

 騎士団長はすべてを理解して自分を子供にしてくれたのだから、きっと、リシャールの言う通り、彼に助けられなくても、自分は助かったのかもしれない。


 それでも。


 リシャールが自分を助けたことには、変わりがない。


 ……ようするに、そんな偶然が、今の自分の根幹にあるのだった。

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