第9話 宣戦布告

 オーギュストはなにごともそつなくこなす少年で、その能力は生徒会長の仕事を覚えるのにもいかんなく発揮された。


「これなら今年の選挙で生徒会長になってもいいやもしれんなあ」


 半月も仕事をこなすころ、オーギュストはそんな評価を受けるようになっていた。


 生徒会選挙は今からほぼ半年ほどあとにあり、そこでは、現在の二年生が生徒会長候補として立候補する手はずになっている。


 ガブリエルは現在三年生で、去年の選挙で当選した生徒会長だ。


 この学園では生徒会に限らずあらゆる役職が━━


 一年生……見習い。

 二年生……正式就任。

 三年生……現役最後の年。引退準備のため引き継ぎなどをしていく。

 四年生……基本的に学内の仕事をしなくなり、将来就く職業の見習いなどをする。


 というようになっている。


 そうして卒業と同時に『大人』として『外』に迎えられ、社会に出ていく、というわけだ。


 つまるところ、一年生のオーギュストに『今年、生徒会長になってもいいやもしれん』というのは、リップサービスというか、『そのぐらいすごいよ』という比喩ひゆ混じりの褒め言葉……好意的な冗談、ということになる。


 だが━━


「たしかに、それも面白いやもしれん」


 ともに生徒会室で仕事をしていたアンジェリーナは、そんなふうにつぶやいた。


 だからあくまでもリップサービスとして述べたガブリエルは、書類仕事の手を止めて、仕方なさそうな顔をする。


「あー、その、ミス・アンジェリーナ。わかっているとは思うが、今のは……」


「おおむね、わかる。人類には複雑怪奇な『褒め方』が多様に存在するというのは、我もまた理解するところよ。一人前でもない者に『もう一人でもやっていけそうだな』と言ってみたり、初歩の初歩を覚えただけの者に『すぐにでも極められる』と述べたり……おおげさなのは、把握している」


「うん、まあ、ならいい。どうにもミス・アンジェリーナは、どのぐらい冗談の通じる人なのか、俺も測りかねているのでな。すまない」


「なに、謝ることはない。貴様は冗談で言ったのだろうし、我もそれは冗談だとわかってはいる。だが……それでもなお、『一年生で生徒会長』というのは、なかなかどうして、いい実績になるのではないかと思ったまでよ。正式な役員になれば制服も『黒』となるわけだしな」


「たしかに、一年生の時分から生徒会長ともなると、王族としても異例の実績ではあるが……オーギュスト様は別に、王位を継承したいわけでもないのだから、そこまで熱心に異例な実績を目指さなくてもよいだろうに」


 ガブリエルの言葉にたしなめるような響きがあったのは、アンジェリーナの前評判のせいだろう。


 アンジェリーナは自分の婚約者であるオーギュストをことあるごとに『未来の王』であるかのように扱っている、というのは有名な話だ。

 それはもちろん、『自分が未来の王妃であるかのように振る舞っている』というのが、より正確な表現ではあるが……

 どちらにせよ、アンジェリーナがオーギュストを無理にでも王にしたがっているというのは貴族たちに知れ渡っている話なのである。


 もちろん、その『アンジェリーナ』は、魔王の記憶が目覚める以前のアンジェリーナだ。

 が、今のアンジェリーナもまた、オーギュストに王位をとらせようと思っていることに、変わりはない。


「オーギュストは王位を目指す。そうであろう、オーギュスト」


 と、述べると、ガブリエルが哀れむような目をオーギュストに向けた。


 だが、オーギュストは苦笑しつつも、こう応じる。


「ええ。目指していますよ。でもねアンジェリーナ、よりによって、兄さんの側近とも言えるガブリエルの前で、こんなにいきなりバラすことはないじゃないですか」


からめ手は好かん。それは王道ではないゆえにな」


 アンジェリーナは仕分けの終わった書類から手を離し、眼帯に隠れていない方の真っ赤な瞳で、ガブリエルを見た。


 ガブリエルは、オーギュストの方を見て、


「……本気なのか? お前━━失礼。あなたが?」


「生徒会室には今、僕ら三人しかいませんよ、ガブ・・。対外的な態度は結構です。唐突ではありましたが、今が腹を割って話すタイミング、ということなのでしょう」


「いやしかし……」


「彼女は、僕の意思を代弁しました。味方であり、身内です。僕の婚約者ですからね」


 おどけるように肩をすくめ、オーギュストは金髪を揺らして微笑んだ。


 ガブリエルはしばらく戸惑うようにオーギュストとアンジェリーナを交互に見ていたが……


 逆立った真っ赤な髪を、ガリガリ掻いて。

 それから、眉間にほんのわずかにシワを寄せて、燃えるような赤い瞳を細め、


「今一度聞くぞ。━━本気か、オーギュスト? それは、俺があるじあおぐ、お前の兄と敵対する、という意味だと、わかっているよな?」


 大柄で快活で朗らかな、童顔の少年━━そう見えたガブリエルは、急にその年齢と体の大きさを増したかのように感じられた。


(あの険しさ、ただの貴族のお坊ちゃんとも思えんな)


 アンジェリーナはニヤリと笑う。

 クラスメイトたちに感じられたほのぼのとした雰囲気、『ゆるみ』とも表現できる、『現代貴族』特有のおおらかさが、今のガブリエルからはすっかり消え失せている。

 その雰囲気は、かつて戦場で感じたものに近しい。

 懐かしい緊張感に魔王は思わず笑った。


(学べども学べども『平和』以外に表現しようのないこの時代に、戦場を経験しているわけでもあるまいに。将校━━否、これは戦士の雰囲気だ。殺し合いに身をおいたことのある、最前線を棲み家とする者のまとう空気だ)


(さて、この空気、視線━━殺気さっき。オーギュストは果たして、どう応じるか)


 悲鳴を上げないだけでも及第点。

 逃げ出さなければ満点。

 震えるぐらいは仕方ない。視線を逸らすのは当然とする。


 そう思ってアンジェリーナはオーギュストに視線を向けて。


 その、透き通るような青い瞳が、真っ直ぐに、ひるみも怯えもせずに、ガブリエルを見つめ返しているのを、見た。


「もちろん。兄さんとの敵対は承知の上ですよ。ガブの仕える兄さんとの、敵対を、ね」


 ただ、見つめ返している。


 殺気を放つ相手をあくまでも平静に見つめ返すことがどれほど難しいのか、アンジェリーナは知っている。

 殺気を向けられれば反射的に殺気を出してしまうのが人というものだ。

 敵意をもって自分をにらみつける相手を、ただ見つめ返すことがいかほど難しいのか、それを知らないでいられるほど実戦から遠ざかってはいなかった。


 まして相手はガブリエル。

 体の大きさ、立ち振る舞い、姿勢、呼吸、魔力の濃度と大きさ。なにもかもでオーギュストに勝る、『殺そうと思えばこちらを殺せる相手』だ。


 それを前にして、凪いだ湖面のような静かさを微塵みじんも揺るがさない。


(オーギュスト……! どうして貴様は、こうも我の血肉を沸き立たせる……⁉︎)


 高笑いをこらえるのに、かなりの労力が必要だった。


 オーギュストとガブリエルのにらみ合いは、しばらく続く。


 先に目を逸らしたのは━━


 ガブリエルだった。


「……まあ、たしかに、お前にもその権利はあるな」


 と、つぶやいて、


「いやあ、すまなかった、オーギュスト! ただな、あれだけ王位継承に興味がなかったお前がいきなりそんなことを言うもので、おどろいてしまったんだ。いきなり睨みつけてしまって、申し訳ない!」


「いいんですよ。僕も、きっとガブはいい顔をしないだろうなと思って、黙っていたところもありますし」


 オーギュストが肩をすくめると、それまでの緊張した雰囲気はどこかへ消え去った。


 あとにはいつもの生徒会の空気が残るだけだ。


「よし!」パァン! とガブリエルは手を叩き、「書類仕事の続きをやってしまって、今日は帰るとしようか。ミス・アンジェリーナ、そちらはあとどのぐらい残っている?」


「もう終わった」


「なんだと⁉︎ ……いやあ、優秀だな、あなたは」


「いや、我に振られた仕事が書類の種別仕分けのみだったゆえにな。もう少し煩雑はんざつなものを振られてもかまわん。ミス三年生書記は、引き継ぎと仕事で忙しいのだから、もう少し回してもらえるように提案してみよう。ミスター・ガブリエルからも口添えを頼む」


「お、おお。あなたは前評判よりだいぶ仕事熱心であらせられるな」


「前評判について詳しく教えていただきたいものだが」


「わっはっは」


 ガブリエルは笑ってごまかした。


 その場はそれで終わった。


 ……終わったように、見えた。

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