第11話 暗殺未遂

 だから。ガブリエルはオーギュストの暗殺を企てた。


 ようするに、正体をなくすぐらいに焦って、損得勘定を忘れるぐらいに怖かったのだった。


 リシャールは負けない。


 リシャールは、王になる。


 あいつが『王になる』と宣言したなら、それは絶対にそうなる。


 けれど━━


「なんだか急に、オーギュストのことが恐ろしくなった」


 だから、凶行に及んでしまったのだろうと自己分析する。


 我ながらあまりにも短絡的だと思った。

 気がちがって・・・・しまったのだと自己客観視できた。


 どうして━━


 オーギュストを暗殺しようだなんて、思ったのか?


 思っただけなら、まだよかったのに、実行しようとしたのか?


 オーギュストが王位継承争いに対して、具体的になにをしたわけでもないというのに。

 まだまだリシャールの脅威になるほどではないというのは、今なお確信しているのに。


 古びた刃を握って、オーギュストを殺そうと思ってしまった。


 オーギュストに仕事を押し付けて夜遅くまで━━人がいなくなるまで待った。


 一緒にりょうに帰るように誘って、二人きりで、人気ひとけのない道を歩いた。


 あとは肩を叩くような気軽さで首筋に刃を突き立てようとした。


 そうしたら、急に、強烈な、抗えない眠気に襲われて━━


 気づけば。


 後ろ手に縛られて、どこかの空き教室で椅子に座らされている。


「本当に俺が恐れるべきは、オーギュストより、あなただったのかもしれないな。ミス・アンジェリーナ」


 窓から差し込む月光を背に受けて、銀髪の女がそこにいた。


 真っ白い制服。揺れるスカート。

 左腕には包帯が巻かれ、右目には黒薔薇ばらの意匠の眼帯がつけられている。


 血のような赤い瞳に睥睨へいげいされて、ようやくアレが、ただの成績のいい、言動の変わった女ではないのだと理解する。


 ……長机に腰掛ける彼女に膝枕されて寝息を立てるオーギュストの存在が、どうにか、会話を試みようと思う程度には、彼女の恐ろしさを緩和かんわしてくれていた。


「…………」


 アンジェリーナはなにも語らない。


 ただ、ふとももに乗せたオーギュストの金髪を指できながら、ガブリエルを見下ろしている。


 ……不思議なもので。

 ただ見られるだけで、ガブリエルは、心の中にあるものすべてを吐き出したい気分になっていた。


「自分でも、なんで急にこんなことをしようと思ったのかは、わからないんだ。ただ、リシャールのために、そうしないといけないと……ああ、違う。違う。リシャールを言い訳にするのは、間違いだ。俺が、俺に課した役割を果たすためには、オーギュストを殺すべきだと、不意に確信したんだと思う」


「……」


「つまり、この凶行は……オーギュストを殺そうとして、君に止められたこの凶行は、派閥も、リシャールも、関係がない。俺の独断で、俺の暴走で、俺の発狂だ。どうか、さばくなら俺だけにしてくれ。家も、あるじも、本当に関係がないんだ」


「……」


「……家のことや、リシャールのことを思うなら、こんな焦って行動すべきじゃないのは、冷静になればわかる。わかるのに、どうして俺は、こんな短絡的なことを……」


「それは」


 アンジェリーナが口を開く。

 重々しく。


「それは、我のせいだ」


「……たしかに、そうかもしれない。あなたの存在がオーギュストを変えて、そのせいで、俺にとってオーギュストは脅威になった。すぐに殺そうと思ってしまうぐらいの……」


「そうではない」


「……じゃあ、なんだっていうんだ」


「我の魔王たる魂のきらめき……絶大なる闇の魔力の余波たる魅了チャームが、貴様の心を狂わせたのだ」


 アンジェリーナは苦しげな声で述べつつ、片手で顔を覆うようにして、うつむいた。


 ガブリエルは目をパチパチと開閉してから、


「ええっと、その、今は、真面目まじめな話をしてると思って、間違いないよな?」


「我が不真面目ふまじめであったことなど、一瞬たりともない」


「お、おう」


「くっ……やはり、現世の人類は、我が張鎰ちょういつせし闇の魔力がわからぬのか……なれば、今一度高らかに名乗るより他にあるまい。我はアンジェリーナであり、かつて『魔王』と呼ばれし魂の転生した姿でもある」


「えーっと……すまない。繰り返しになるが、今、真面目な話をしてるんだよな?」


「くどい」


「す、すいません」


「現代には伝説としてしか残っておらぬようではあるが、闇の魔力というものが、人心に作用するという概要がいようは知っていよう。強すぎる魔力は『魔法』という式を通さずとも周囲に影響を与えてしまう。強き炎属性のいる空間が少し暑いように、闇の魔力を秘めし強者は、人心を過剰に揺さぶるのだ」


「すまない、設定の把握に少し時間をくれないか?」


「設定とか言うな。実際にある魔力の話だ」


「……よし。ともあれ、裁くならどうか、俺一人にしてほしい。その代わり、俺はいかなる裁きでも、望むように受ける」


「我の話を聞かなかったことにしないでもらえる?」


「いや、でも、でもさあ! 俺は……今、人生を懸けた状況で……それを、魔王とか、闇の魔力とか言われても……困るよ!」


「貴様は正気ではなかった」


「……それは、俺も、そう思う。きちんと損得勘定ができてたら、絶対に、こんな凶行には及ばなかった。でも、実際に、実行したのは俺なんだ。誰にも相談しなかった。俺の意思で、俺が……」


「だから、それは、我に魅了されたせいだ」


「……いや、だから」


「貴様のあるじは誰だ?」


「リシャールだ」


 反射的に、というのか。

『口が勝手に』とでも言いたくなるぐらい、無意識に、口からその名前がこぼれ落ちた。


 けれど、でまかせではない。


 それは心の一番根っこにある真実だ。


 ……あの、ねばつくような暑い日。

 この名前と人生は、リシャールに与えられた。


 それから自分は、リシャールに仕えている。

 それは、たとえリシャールから『もう俺に仕えるな』と言われたって永遠に変わらない、自分の心の根っこだ。


 あの第一王子を王にすることこそ、自分の役割だと信じている。

 その障害を排除するためならば、自分の身命など惜しくはない。


 ……ただ、あの完璧にして完全なる王者には、今まで『障害』たりうるものが、一つも存在しなかった。


 それが、今、初めて、障害たりうるものの萌芽ほうがを感じている。


 リシャールがどう思うかはわからない。

 けれど自分はオーギュストに対して、早めにつぶさないといけないという途方とほうもない危機感を覚えている。


 ……主の名を問われて、リシャールと答えた。

 その答えの後ろ側にある想い全部を見透かしたみたいに、アンジェリーナはうなずいて、


「ならば、その敵を排除しようという行為は、なにも間違いではない」


「……」


「貴様は正しい行いをした。そして、貴様はその行いを正しいと確信し、その行動原理に恥じることはないと思っていながら、短慮であったと反省をしている。つまり、普段の貴様には、思いとどまるだけの人間性があるということだ。それを、我が魅了がなくしてしまった」


「いや、だから」


「聞けい!」


「は、はい」


「貴様は己を罰しようという。だが、我は、貴様の未来を惜しむ」


「……」


「貴様のリシャールに対する忠義は、死なねば消えぬだろう。忠義に端を発する殺意も、死なねば消えぬだろう。けれど、貴様はまだ死ぬべきではないのだ」


「どうして」


「我のせいで死なれるのは、我の寝覚めが悪いであろうが」


「…………はは」


 乾いた笑いがこぼれた。


 アンジェリーナが首をかしげる。


「どうした」


「……天才の連中は、そう・・なんだよな。『寝覚めが悪い』だなんて、そんな程度の理由で、命を奪いかけたことを許しちまう」


「……」


「いいのかよ。俺が狙ったのはオーギュストだ。オーギュストが俺を許さないって言ったら、どうする?」


「たわけ。暗殺の一つや二つで大騒ぎする者に、王がつとまるか」


「……」


「貴様がまったく無益な人材であれば、早々に命脈を断つも王としての判断として支持できよう。けれどな、貴様ほどの人材を、たかが暗殺未遂ごときで処断するなどとあっては、王として器が知れよう? ━━我のオーギュストを、あまりめてくれるなよ」


「……もう、なんていうか」


「なんだ」


「あんたみたいなのに付き合わされる方の身にもなれよ」


「?」


「人はあんたみたいなのの期待に応えられるほどには、強くない。血反吐ちへどを吐きながら自分をきたえ上げて、ようやく支えられるぐらいの力をつけたと思っても、まだまだ、遠い。そんな天才に追いつこうと、もがき続ける凡人のあせりがわかるか?」


「それは、リシャールと貴様のことか?」


「そうだ。そして、あんたとオーギュストのことだ」


「ならば問題はない。我がオーギュストを支えられずとも、我らのあいだには不滅の友情がある。焦る必要などないのだ。我らは能力で繋がったパートナーではなく、心の通った友なのだから」


「…………」


 ここまで言って、自分の方を凡人側に置くのだから、もう、なにを述べたって通じないだろうなと思って、笑ってしまう。


 ……彼女らはあくまでも『普通のこと』をしている。

 その結果が異常なだけで━━天才どもは、自分の行為の結果には、とんと関心がないときている。


 まったく、救われない。


「……期待しすぎて、潰すなよ。リシャール側の俺としては望ましいけど、オーギュストがあんまりにもかわいそうだ」


「潰れそうなら、支えればいい。我らで」


「……我?」


「裁きを欲したな。ならば、リシャール側でなく、オーギュスト側につけ。貴様は我に眠らされ、縛り上げられた。我は貴様より強いと言えよう。貴様が仕えるべき相手としての条件は満たしていると思うが?」


「……」


 言おうと思った。

『俺は、気の迷いでオーギュストを暗殺しようとしたんだぞ』

『昔からずっとリシャールに仕えてきた俺を招き入れたら、大事なところで裏切るかもしれないぞ』

『そもそも、俺はリシャールへの忠誠を捨てられない。心の根っこは、いつもあいつの側にあるんだ』

『王権を得ようというその時に、また、今回みたいな凶行に及ぶ可能性は非常に高い。なにせ、今だって、理由もわからずとにかく焦って、暗殺を試みたんだから』


 そう、言おうと思った。


 でもきっと、そういうまっとうな理論展開はなんの意味もないと、月明かりを背負ってこちらを見下ろす女の姿を見て、確信した。


 だから、もう、観念するしかなかった。


「……あいさつだけ、させてくれ。リシャールに一言、断りたい」


ゆるす」


「……ミス・アンジェリーナ。あんたは本当に面白い女だな」


「貴様の方もなかなかだ。我の伴侶はんりょ候補に加えてやってもいいぞ」


 その発言を聞いて、ついにガブリエルは吹き出した。


 そして、きょとんとするアンジェリーナにではなく、まだ呑気に寝こけているオーギュストに向けて、


「苦労が多そうだな。同情するよ」


 年上の幼馴染おさななじみとしての親しさから、そう言った。

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