第7話 闇属性と魔族

「教師、質問がある。炎、水、風、土という四大元素が確立しているという話はわかったが、闇と光の属性が魔法学の教科書のどこにも書かれていないのは、どういうわけだ?」


「ミス・アンジェリーナ。それは魔法学ではなく考古学の分野だからです。それから教師を教師と呼ばないように。わたくしのことは『ミス・クレメンティーヌ』と」


「失礼した、ミス。では、魔族の存在についても記されていないのは?」


「それは考古学、生物学で取り扱うべきテーマだからです。よろしいですか、ミス・アンジェリーナ。熱心なのは認めますが、あなたの質問は魔法学とは関係がありません。授業の進行をあまり止めないようにお願いしますよ」


 それからはわかりきった内容を述べるだけで、アンジェリーナにとって目新しい情報はなにもなかった。


 学園での勉学の日々が始まった初日にして、魔法学の時間はアンジェリーナにとって退屈な時間となることが確定してしまったのだ。


(おかしい)


 教師を最下段に置いた、すりばち状の教室のもっとも後方、もっとも高い位置にある席で、アンジェリーナは机に乗せた教科書をめくっていく。


 それは事前に予習した通りの内容があるだけで、『授業が開始されると今までなかったページが突然現れる』などの小粋こいきなサプライズもない。


(魔法というものに対する認識のレベルが、我の生きた時代から進歩しておらん)


(むしろ、いくつかの情報が欠落して、結果として、レベルが下がっているとさえ、言えよう)


 これは、異常事態だ。


 闇属性と光属性は『そういうものがかつてあったという伝説がある』程度の認知度になっていて、かつて魔王が統べていたはずの魔族という存在が『かつてそう呼ばれた奇形の人類がいた可能性がある』という認識になっている。

 つまり、『魔族』という種は世界創生から今まで現実にはいなくて、人類の一部がそう呼称されていた時代があった━━という認識だ。


 また、勇者と魔王という名称は存在するものの、それは神話にそういった名称のものが出てくる、という程度にしか知れ渡っていない。


 実在感が薄いのだ。


『そういう名称で呼ばれた強い力を持った人類がいた』という感じで、本物の、というのか、『一軍をたった一人で相手にできるほどの力を持つ』という話に『それはつまり優秀な用兵術を持った指揮官だったということなのだろう』とかいう現実的・・・な解釈がいちいちついて回るようになっている。


(たしかに、我が生きた時代は今よりはるか過去。神話と呼ばれるに足る時間が経っているし、情報の歪曲わいきょくや欠落は、あってしかるべきだ)


(だが……時間が経過したというだけで、光属性と闇属性が消え去り、魔法というものが『一軍を相手どるなんて現実的ではない』というレベルにまで弱いという認識に変化するものか?)


 意図的に情報を伏せられ、退化を強いられているかのような。

 そういう、名状めいじょうがたい不気味さがつきまとっている。


(なるほど、我が闇属性に目覚めたのだと告白した時の、家人のなんとも言いがたい反応の理由がこれか)


 現在、闇属性は、『ない』。


 ……歴史的に大きなことをした偉人が、闇属性持ちとか、光属性持ちとか、そういう脚色・・を帯びて語られることはある。

 だが、『まあ、実際には炎水風土のどれかだったろう。箔付はくづけのために、あるいは後世の創作として、光や闇の属性持ちということにされたのだ』という解釈をされている。


 唸っているうちに授業は終わり、いわく言い難いモヤモヤしたものだけがアンジェリーナの胸中には残された。


(そういえば、家人に我の漆黒に染まりし右目を見せた時の反応も、思い返せば気になるものであったな……)


 首をかしげられた。


 目の色が赤から黒に変わったなんていう変化は、首をかしげるほどに疑問の余地はない。見ればわかるものだ。

 だというのに、不思議そうな顔をされた。


 その後すぐに催眠ヒュプノの効力により眠くしてしまったため、会話を切り上げられてしまったが、あれはひょっとすると……


(現代の人類は、魔族はおろか、過去の人類よりも、魔素マナを見る視力が弱くなっているのか?)


 アンジェリーナの右目の色は、魔王の魂に付随ふずいした魔力の色が現れたものだ。

 肉体の色が変わったというような変化ではない。


 だから、たとえば、魔素をまったく見ることができない者からすれば、その瞳は依然いぜんとして赤いままであるかのように観測できるかもしれない。


(漆黒の右目や、左腕に時おり浮かぶ呪印じゅいんは、さらして歩いた方が、いいかもしれんな)


 何者かの意図により、闇属性や魔族といったものが『なかったこと』にされているならば、闇属性を帯びた黒い瞳や、失伝した魔法を秘めた呪印などを見せて歩くことにより、そいつらをおびきだせるかもしれない。


 だが……


(我が右目は意思と関係なく見つめた者に催眠ヒュプノをかけ、左腕の呪印は悪しき者に読み解かれると、いらぬ騒乱そうらんを増やすことになる……)


(そのように平穏を乱すことはしたくない)


(加えて言えば、現在の状況が果たして、なにものかの意図によるものなのか、自然にそうなったのかさえ、わからんし━━)


(なにものかの意図だとしても、そいつが現代にいるかも、我の活動範囲内にいるかも、わからん)


 魔族というものがどこに消えたかはわからないが、少なくとも、現代は平和なのだ。

 学生が教科書を読んだだけで仕入れられる程度の情報ではなにもわからないが、もう少し専門的に学んでいけば、闇属性遺失の背景や、魔族消失の理由もわかるかもしれない。


 なにより……


(ぶっちゃけ、どうでもいい)


 アンジェリーナは、この平和な世界で、普通に生きて幸せに死ぬのが目的だ。

 それを思えば、オーギュストぐらい素敵な人物を探してこれを伴侶にせんと活動するのを優先すべきであり、他のことは余禄よろくでしかない。


 だから、方針はこうだ。


(今までと変わらぬ。我は魔王として振る舞い……人に好かれる者となろう)


(魔族や闇属性について、学生生活をいろどる趣味として調べてみるのは、よいやもしれんな。図書室などをあたれば、なにかあるだろうか……)


「アンジェリーナ? ずいぶん難しい顔をして考え込んでいたようですが」


 ふと視線を声の方に向ければ、すぐそこにオーギュストがいた。


 アンジェリーナにおおかぶさるようにして腰をかがめ、机に手をついて教科書をのぞきこんでいる。


 その顔の近さに一瞬で心臓が跳ね、今考えていたことすべてがどこか遠くに消え去った。


(よもや、そばに寄っただけで我の臓器にダメージを負わせるとはな……!)


 それはまぎれもない奇襲だった


 顔のいい者が唐突に顔をそばに寄せている━━これはもはや、暗殺行為である。


 アンジェリーナは平静を装うまで三回ほど深呼吸をして、


「……なに。疑問点が生じたゆえにな。その答えについて考察をしていたまでのことよ。結論が出たとは言えぬが」


「ふぅん。ああ、授業中に質問していたね。闇属性、だっけ? まあ、アンジェリーナは闇属性に憧れがあるようだしね。わかるよ。僕もそういうものにロマンを感じるんだ」


「憧れではない。我が魔王の魂にはたしかに闇の属性がある。だが、現代において、闇属性自体が『ない』と扱われている。であれば、我が過去の時代で転生を決意し、今日また目覚めるまでになにがあったのか……その空白に思いをせるのは当然であろう?」


「闇属性は精神に作用するって言われてるから、カリスマがあったっていう逸話を持つ偉人は、たいてい闇属性持ちっていう設定を後付けされてるよね。アンジェリーナはやっぱり、そういう方向性に憧れるの? 強い男より、頼られる男、っていうかさ」


「憧れ……ふむ。その視点で考えたことはなかったな。生まれ持った属性は変わらぬ。それゆえに、憧れたところで、なににもならん。だが……我が憧れるとすれば、それは、光属性の方であろうな」


「ああ、光属性は肉体派の偉人とかが言われてるよね……すさまじい身体強化とかができるっていう話だし。……そっか、武闘派が好みか……」


「正しくもあり、正しくない。身体強化も確かにできるが、それは余技よぎに過ぎぬ。連中の本質はな、時への干渉だ」


「なるほど。たしかに、時間に干渉するとしたら『ありえない日程で大陸全土を回った吟遊詩人』や『すさまじい行軍速度で大陸を制圧西進した軍神』なんかの偉業も解釈しやすい……」


「うむ。とはいえ、それは誇張……さしたる大規模な干渉はできず、せいぜいまたたき二つ分ほど時を止めてみたり、歩み一歩分時を巻き戻してみたりといったことしかできぬはずだが……対面し、戦闘する身とすれば、これほど恐ろしい属性もない」


「光属性と言われていた救国の聖女は、敵陣から放たれた魔法が一発も当たらなかったと言われているしね……『風属性だった』という解釈が一般的だけど、時への干渉と考えると、なんだかすごそうでいいよね。いやあ、それにしても」


「?」


「君とこういう話ができる日が来るだなんて、思ってもみなかったよ」


「どういう意味だ?」


「ほら、君ってば貴族らしくない振る舞いに厳しかったし。こうやって光属性とは〜闇属性とは〜みたいな話ができる間柄になるなんて思っていなくてね。やはり、君と婚約を維持できて幸いだよ」


 婚約を維持できて幸いだよ、のあたりに、とってつけた感じというか、不自然な流れを感じた。

『会話の流れがなんであれ、これだけは言ってやろう』という準備感があったというか……それを言うノルマをあらかじめ己に課していたような不自然な響きだったのだ。


 一瞬、疑問だったが、すぐにそれは解消した。


(なるほど。我らは思いのほか、注目を浴びているようだな)


 ……どうにも、それは、周囲の者に聞かせるための発言だったらしい。


 公式な会見をアンジェリーナに止められているオーギュストは、地道にさりげなく『婚約続行は自分の意思である』というのを広めていく腹づもりのようだ。


(まったく小癪こしゃくな)


 思わず口がほころんでしまう。

 

 オーギュストはアンジェリーナの表情に肩をすくめてから、


「ああ、そうだ、アンジェリーナ。放課後の時間を、僕にくれませんか?」


「ふむ。用件にもよる、と言っておくか。さして我が助力のいらぬことであれば、我は放課後には図書館で本でも読みたいと思っているところなのだ」


「なるほど、失礼を。実はですね、成績優秀者として生徒会入りを打診されているので、ついてきてくれないかなと」


「付き添い、ということか」


「いえいえ。君も声をかけられているんですよ。僕の口から伝えておくようにと、生徒会の人に言われてしまいましてね」


「なぜ、我が?」


「君、成績上位者じゃないですか。入学試験の」


 オーギュストは以下のように補足した。


 入学試験というのはかたちだけで、寄付金を支払った貴族の子女はほぼ間違いなく学園に入ることになっている。

 だが、入学試験の成績は入学には役立たないものの、その後の学園生活のスタートダッシュにおいて、いくらかの意味を持つ。


 その『意味』うち一つが生徒会入りの打診であり、入学後間もないこの時期に生徒会に入れるというのは、座学の優秀性を証明し、その後の活動にいくらかの利益が生じる、栄誉あること、らしい。


「ふむ……家庭教師の望みを叶えているうちに身についたものが発揮されたというのは、喜ばしいことではあるな。今晩にでも手紙をしたため、成績上位者であったことを報告しておこう」


「……あの……入学試験の点数は、もうずいぶん前に貼り出されていたと思うんですけど……君、確認してなかったんですか?」


「終わった試験の点数などに興味はない」


「…………君らしい、としておきましょうか。ともあれ、これは形式としては『お願い』ではありますが、実質的には『強制』の意味を帯びると認識してもらえれば幸いです」


「我は波風を立てず平穏に過ごすことをむねとし生きている。よかろう。生徒会に顔を出す程度の瑣事さじで今後の平穏が保障されるならば、願ってもない。前世において、平穏というのは血風けっぷうの向こうにあるものであった。それに比べ、やはり平和な現世は素晴らしいものだ」


「うん、君らしい」


 オーギュストは優しく笑っていた。

 とてもとても、優しく。

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