破片

氷坂肇

学舎

「それで結局この問題は解決したわけ?」

此処の冬は冷え込むと知っておきながら薄手のセーターで赴いた数時間前の自分の判断を恨みたい、そんな表情を浮かべるナオに問いかける。


「いいや全然。暇があるなら減らない口の代わりに減ってきた俺の腹を満たしてくれ」

「いやあこの建物、まるで人が生活するようには作られてないんだよね」

本部だって自分で言ってたじゃん、と溢しながらもハルがキーボードから手を離す様子はない。抑々、なぜナオが数ある建造物の中からこの建物だとピンポイントで言い当てられたのか不思議でたまらない。ナオがスマホを凝視したまま文字通り薄氷を踏み抜きながら、こっちだ、そう言い切ったときの語気の勇ましさと容姿の滑稽さは思い出すだけで笑いが込みあがる。後で同僚に話そうだの考えていたら指差しの根拠を訊き逸れた。スマホの画面には緑の点と短い1本の曲線のようなものが映っていたがそれがサインなのだろうか。なんにせよ二十歳も優に超えているのに、二十一時を過ぎたころに廃校――にしては外観も内装もやけに整っている――に踏み入れることになるとは。


「コーヒー見つけたから淹れてきたよ。そっちはどう?」

「全然だめだね。パスワードがわからないのさ」

そっかー。と他人事のように空疎な相槌を返すナオ。コーヒーを受け取った手とは反対の手にはパン切包丁が握られていた。

「なにそれ」

「いつか使えるかもしれないじゃん?」

「例の事件の模倣犯ごっこ?やめてよね。それ、即死できないし痛そうじゃん」

ハルは今朝のネットニュースの殺人事件を思い出す。確かに凶器はパン切包丁だった。犯人は逮捕されたので模倣犯の意味も何もないのだが。

「じゃあはやくして……」ナオの言葉を遮断するように無駄に甲高い警告音が室内の空気を穿つ。突如開かれる無数のウインドウ。何度も繰り返すエラーメッセージ。

無人の元5年2組の教室に煌々と光る二枚の板。ハルの体温が3℃ほど下がるのを感じる。

「なにやってるの、ちょっと貸して」ナオに大きいほうの光る板を引っ手繰られる。

「仕方ないなあ。とりあえずこれで作業するよ」はい、と手渡されたスクリーンには3重の扇とトラブルシューティングの文字。

「もう、ハルったらwi-fiにすら繋げないなんてね」

ナオが微笑みながら啜るコーヒーカップの『まなびやcafe』とそのロゴが光に反射してハルの瞼に描かれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

破片 氷坂肇 @maeshun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る