第28話 明礬に憩い 九重に惑い 内牧に休み
急に開けた県道十一号線に目を丸くしながらさらに少しばかり北へ行くと、国道五〇〇号線に差し掛かる。
これを真直ぐに進めば別府温泉に至り、平凡な旅となったことだろう。
「でも
「ああ。ツイッターでたまたま見かけたんだが、直観で良さそうな店だと思ってな。折角大分の東の方まで行くなら、寄っていけるんじゃないかな、って」
「鶴見岳に寄ってなかったら昼前には着いてましたね」
ぼんやりと山へと戻されていく感覚を愉しみつつ、脇に見えた温泉の案内に感じ入っていると、
「あ、
「あ、ほんとだ」
平屋建ての建物と看板に反応できず前を呆然と通り過ぎてしまった。
見事な擬態に似た在り方に驚きつつも、高架橋の下に空き地を見つけ来た道を引き返す。
また通り過ぎてなるものかと慎重に進めば、今度は左手に面していたこともあり、無事に車庫入りを果たすことができた。
明礬うどんさんは明礬温泉の門を護るかのようにして位置するうどん屋で、何とも牧歌的な雰囲気を残した店である。
比較的細い麺でありながらコシはしっかりしており、柳井で頂いた麺を思い出した。
かけ汁も味が確りとしているのだが、それ以上に圧倒されるのは山と盛られた山菜や海苔などの具材に、胡麻油の何とも心地よい香りである。
「
「ああ。その地の有名な名物料理も悪くはないんだが、こうした地方の個人店が頑張っている姿を見ると嬉しくなるんだ。志美津旅館もそうだったし、おちかラーメンさんもそう。こんなご時世だから、なおのこと、ね」
「でも、恥ずかしくてそそくさと出てきたんでしょ」
「ばれたか。頑張って下さいというのが精一杯だった」
こうした時に素面での無類の人見知りが顔を覗かせるのが、我ながら悲しいところである。
厨房の奥に控えた威勢の良い声と、笑顔の良い女性とに圧倒されるとここまで私という人間は小さくなってしまうらしい。
「それで
「ああ、スマホのナビによると、これなら内牧に三時前には着けるはずだ」
「それにしては道が細くありませんか。ちょっと、このまま細くなっていくと離合が難しくなりそうで」
「いや、これだけ堂々と道案内を出してきたんだ。流石に通れるだろう」
この発言が引き金となったのかはいざ知らず、その後に続く道は次第に細くなり、舗装もアスファルトからセメントへと変わり、やがて獣道へと変じていく。
気付けば返すに返せず進むも怖しの道となり、離合などそれこそ夢のまた夢、一つ間違えばデミオ諸共崖下という木々の合間を縫っていく。
「悪いが、落ちそうになったら見捨てて飛び出すからな」
「僕は木々に絡まって大丈夫かもしれませんけど、
互いにやっつけ合うようにして冗談を交わしつつ、そこは抜き足差し足と慎重に進んでいく。
夜には名月輝く仲秋の日差しも、それなりに汗ばむものであるはずなのだが、背の高い木々に遮られて冷える肝を温めるには至らない。
がこん、だこんと声を上げるデミオを、ローとセカンドを行き来しながらブレーキで御しつつ進んでいくのだが、まともに電波の入らぬ中で高まる孤立感というのは、あるいは一人では耐えきれなかったかもしれない。
「あ、
「おお、久し振りに黒い車道が見える」
やっとのことで辿り着いた広い道に、二人して歓喜の声を上げる。
その叫びにも似た嘶きは、九重連山の奥へと消えていき、やがて西へと向かう太陽へと吸われていった。
再びやまなみハイウェイに乗ることを許された私たちは、しかし、その後も記憶を頼りにした旅路を選んだがために、さらに大きく迂回をする形となってしまった。
チェックインの予定は十六時であったはずなのだが、時計は既にその時間を過ぎており、私も遅れる旨を途中で連絡せざるを得なかった。
「阿蘇神社方面と内牧って違いますからね、
「ああ、これで一つ利口になった」
「あとはナビを信用しすぎて変わった道に入るのは駄目ですからね」
「それはスマホに行ってくれ」
ヘイ、シリと声を上げるデミオの戯れを聞きながら、西日を受けて黄金に染まりつつある阿蘇の道を行く。
国道に面しながらその地の持つ肥えた土地の成す宝石が輝きを見せ、それだけで恍惚とした思いが込み上げてくる。
酷い悪路を駆けずり回った疲れもどこ吹く風となり、決死の言葉も海馬の奥にそっと綴じられるようであった。
やがて内牧に辿り着くと、私は山道で仲間となった蝶に別れを告げて放し、気持ちよさそうに斜陽を浴びるデミオをそっとひと撫でする。
「
「ああ。ただその前に、もう少しだけ遊び回ろう」
澄んだ空を共に眺めた後、私は荷物を手に宿へと入った。
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