第23話 後日譚~長崎の惜別譜と多比良の西日
一週間後、再度の手続きに際して一度、解体の始まった我が家を目に収めた。
「こんなことなら、もう少し片付けしておけばよかったな」
「それよりも、僕に積んでる木鉢をどうにかしましょうよ。ずっとがたがた言ってて不安になっちゃいます」
「そうか、今の住処もどうにかしないといけなかったな」
苦笑しながら、手続きを済ませた私は寺町に面した父方の祖父母の墓を訪ねる。
灰色の道を挟んだ駐車場で日向ぼっこをしていたデミオを起こして、帰途へ就いた。
「やっぱりお爺さんやおばあさんとの思い出って、懐かしいんですか、
「いや、父方の祖父は私の生まれる前に他界してるし、祖母も一歳の頃に鬼籍へ入ったらしい。だから、祖父母の記憶はない。でも、父さんや母さんと一緒に盆の頃に訪ねた思い出はある」
長崎ではよく見かける長い線香が風に煽られ火が点かずに苦笑したことでともに笑う。
併設の幼稚園の遊具で遊んだ子供時代もあったことを、懐かしむ。
そして、今ではそこを一人で訪ねる心持を語る。
そうこうしているうちに蛍茶屋へと差し掛かり、今度は母方の祖父母の墓を訪ねた。
「盆に訊ねると、あっちこっちから花火の音がするんだ。子供の頃は爆竹が怖くて、よく泣いてたなぁ」
「
デミオと一緒に日見の峠を笑いながら越える。
冬晴れの天気が心地よい。
「そういえば、ご両親のお墓は行かなくていいんですか」
「両方とも散骨したからなぁ。海に手を合わせれば事足りるんだ」
時にフェリーで行く際には、自然と手を合わせる自分がある。
散骨された海は離れていようと、海は一つであるという安心感は、水がある限り私の根が広がり続けることを想起させる。
「でも、いいですよね、人は」
「うん、急にどうしたんだ」
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残すって聞きましたけど、僕は廃車になったら何も残りませんから」
珍しく難しい話をするデミオに、私は思わず大声を上げて笑ってしまった。
「
「いやぁ、悪い。でも、何も残らないわけじゃないさ。人だって名前が残るかは分からない。でも、お前はこうして走った思い出を残してくれる。下手に骨が残るよりいいかもしれないな」
少し、エンジン音に水が混ざったような気がする。
晴れた空に不思議なことがあるものだと、私はもう一つ笑った。
それからさらに二週ほどして長崎を訪ねた私は、売買契約の締結の前にほぼ解体の済んだ跡地を通り過ぎた。
いつもは窓から眺めていた愛宕山の全景が、堂々と控えている。
「
「こら、人の台詞を横取りするんじゃない」
「でしたら、そんなに寂しそうな顔をしないでくださいよ」
ルームミラーで自分の顔を眺めると、確かに酷い顔をしている。
その哀れさを豪快に笑って、私は不動産屋へと急いだ。
その後、不動産会社の営業車を堪能した私はデミオに戻るなり飛びつくようにしてエンジンをかけた。
待ってましたとばかりに声を上げたデミオは息つく間もなく、大通りへと飛び出していく。
「
「ああ、泣きそうになった」
聞いてきたデミオが驚きの声を上げる。
信号は私達に停まれ、と指示を出していた。
「相手方が子供の頃から知ってる方で、まさか司法書士の事務所で幼い日の話をされるとは思わなかったんだ。家の鍵を忘れて、のうのうと不動産屋に上がり込んだ話しとかな。恥ずかしくてもう、ここまで涙が出ていたさ」
「それは災難でしたね」
「まあ、そのおかげで、私が何者かを思い出せたんだけどな」
信号に促され緩やかに加速していく。
ローからセカンド、セカンドからサードへ。
「恥ずかしい思い出の外に、何を思い出されたんですか」
「なに、私の根はなくなったんじゃなくて、伸びただけだったってことさ」
平和公園の脇を走りながら、過ぎ去っていく木々を見送っていく。
私の青春はこの地に始まり、私の言葉はここから生まれ、私の心はこの空に広がっている。
惨禍に泣いた真夏と異なり、今は冬晴れの青が堂々とある。
「きっと、人の在り方は単子葉類なんだ。ひげ根のように死ぬまで根を張り続け、いつかこの身が枯れて、次の世代が埋まったその養分でまた生きていく。だから私もこれを糧に根を伸ばすだけだ」
「もう、
「確かに、我ながら少し嫌味が過ぎるな。こういった時に、パワーウィンドウが開かなくなるんだ」
「なんですか、それは」
「言ってなかったよな。前のAZワゴンで長崎に来た時、途中で壊れたんだよ」
笑いながら後にする長崎の街は、酷く明るく、酷く印象的であった。
先日は豪雨のために出ることなく終わった展望デッキへと上がる。
北風が少々寒さを騒ぎ立てるものの、続いた慌ただしさで疲れた身体には程よい刺激となって私を揺らしていた。
「
「ああ、心地いいぐらいだ。なんだか、肩の荷が下りた気もするしな」
人気のない青い足場の上で、張り上げたデミオの声に耳を傾ける。
周りが金色に包まれ、どこか非現実に誘われていくようであった。
「さらば長崎、愛しき友よ、か。まあ、しばらくは行かなくてもいいかな」
「
「それもそうだな。熊本地震の前に同じようなことを言って、とんぼ返りしたぐらいだったからな」
多比良の港へ陽が沈んでいくのを眺めながら、私とデミオは有明に笑う。
この時はまだ、コロナウィルスの猛威を共に知らなかった。
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