第17話 佐世保のデミオの物思い

あにさんは、楽しんでますかね」


 秋になってもさんさんと降り注ぐ太陽の光が、少しだけ遠慮して届くこの立体駐車場に押し込められた僕は、のんびりとあくびをする。

 いつもは遮るものが何もない青空の下に停められているから少しだけ過ごしやすいけど、退屈なのは変わらない。

 夜は走り続けたからお休みって考えればいいんだけど、せっかく遠くまで来たんだから見慣れない道も走ってみたい。

 あにさんはこんな時、すごくたくさん歩く。

 いつもは運動するのがめんどくさいって言いながら、五キロでも十キロでも平気で歩くらしい。


「山形で二十キロ以上歩いたんだけど、流石に足に来たなぁ」

「そこはあにさん、バスとか使いましょうよ」


 五月に東北を回ってきたあにさんのお土産に聞いたけど、本当なのだろうか。

 いや、昨日も無理して運転して来たから、きっとこれも本当なんだと思う。


 武雄を過ぎてからは国道三五号線に合わせて進んでいく。

 同じ青いおにぎりを追っかければいいからもう迷うことはないけど、この辺りからあにさんの体力も限界に向かって傾いていった。


「流石に二時半を過ぎると、まぶたと肩が重たくなってくるな」

「いや、あにさん、無理はしないで休んでくださいよ。ほら、ミントのガムも噛んで下さい」

「うーん、その前に芋けんぴだ。当分補充しておかないと、低血糖で余計に眠たくなるからな。あと、もうミントガムぐらいじゃどうしようもなくなっている。山道も続くから後は気合の勝負だな」


 そう言いながら、知っている曲を思いつく限りあにさんの目は何度も細くなりながら、開き直すのを繰り返す。

 時々一緒に並ぶ線路も、周りに見える山の影もすごく静かで、その分だけ僕たちがすごく浮き立って見えてくる。


「ちょっとだけ、コンビニに寄るぞ」


 佐世保市に入って山道を越えたあにさんは、そう言って僕を停めてすぐにシートを倒して目を閉じた。

 十分ほどして震えるスマホに起こされたあにさんは、大きなあくびをしてからカフェオレを一つ買ってくる。


「待たせたな。あと少しだから行こうか」

あにさん、本当に大丈夫ですか? もう少しゆっくり寝た方が」

「いや、これ以上寝るともうしばらくは運転ができなくなる。仮眠は十分、それで十分。市街地についてからゆっくり寝るさ」


 そう言って運転に戻ったあにさんは、僕をそのまま進めて三時半ごろに、佐世保の市街地に入った。

 前に来た時には佐世保四ヶ町アーケード入り口にある、少し広めの駐車場に止まったけど、今日は少し坂を上ったところから入る立体駐車場に進む。


「明日は外をほっつき歩くから、いざというときに休めるよう日の当たりづらいところが良いんだよ」


 そう言ったあにさんは、シートを色々と倒してからいつの間にか積まれていた寝袋にくるまって目覚ましをかける。


「じゃあ、三時間も眠れればいい方だが、お休みな」

「ゆっくり休んでください、あにさん」


 山の中とはうって変わって明るい外を眺めながら、僕もいびきを子守唄に、静かに休むことにした。


 翌朝、あにさんは目覚ましの鳴る前に目を覚ますと、狭い僕の中で器用に着替えていく。

 叩き起こされてエンジンをかけられた僕は欠伸をしながら、あたりを見回す。

 まだ七時前だというのに、車の出入りがそれなりにあるから驚きだ。

 そんなことを考えていると、僕の方に女の人が近づいてくる。

 スマホをいじってたあにさんが慌てて窓を開けた。


「あの、申し訳ないんですけど、一万円を崩せませんか」


 ああ、と納得したあにさんは財布を確かめるけど、どうやら一万円を両替するのは難しいらしい。

 長く伸びた穏やかな茶髪が少し不安そうに揺れている。


「じゃあ、これで足りますかね」


 あにさんはそう言って、千円札を一枚お姉さんの前につき出した。


「足りますけど、でも」

「困ったときはお互い様ですよ。どうぞ、持って行ってください」


 お礼の言葉を残していったお姉さんは、すぐに戻ってきてあにさんを驚かせる。

 手には、小さな瓶が握られていた。


「あの、こんなものしかなかったんですけど、よろしければ」

「いやいや、お気になさらず」


 何度も頭を下げる女性が去ってから、あにさんは一つ苦笑を漏らした。


「ウコンドリンク、か。飲んで泊まっていたように思われたんだろうな」

「お気に召しませんか」

「いや、いいお土産になった。こういう出会いがあるから、旅は愉しいんだ」


 そう言って、瓶をかばんに詰め込んだ兄さんは、指を鳴らす。

 乾いた音が僕の奥に響いた。


「そうか、こういう時に連絡先の一つでも聞いておけば、私にも春が来たかもしれないんだな」

あにさん、鏡見ますか?」

「冗談だよ。それに今は、こうやってお前と色々行く方が楽しいからな」


 調子のいいことを言ったあにさんは、僕をここに残してこの町を歩き回っている。

 現金なものだよなぁ、と思っているとそこにすごい顔をしたあにさんが戻ってきた。


「あれ、あにさん早くありませんか? 荷物を置きに戻られたとか」

「いや、少し、休ませてくれ」


 そう言ったあにさんは、引きずるようにしていた足を投げ出して大きなため息をついた。


「ああ、やっぱり歳をとったっていうことなんだろうな」


 楽しそうに輝く佐世保の街の片隅で、それに似合わない声がか細く、サイドミラーを抜けていった。

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