第16話 筑紫平野の夜語り 武雄に一つ頭下げ
「
明らかにデミオがご機嫌斜めである。
ここで下手に反抗すれば、クラッチがうまくかみ合わないようにされ、してやったりという顔をされるのは請け合いである。
あの後、何とか佐賀市を抜けて小城市にまで至ることはできたのだが、その道中でもうひと迷子があった。
諸富橋の西側で右折して国道を切り替えたところまではよかったものの、その後にナビを起動するための停車を忘れ、そのまま突き進んでしまったのである。
それに輪をかけて状況を悪化させたのは私の記憶力であり、そのまま国道を進めば何事もなかったところを、佐賀空港方面に向かう予定だったと上書き保存してしまい筑紫平野を堪能することとなった。
真夜中に茫漠と広がる平野を走るというのは、それが目的であれば楽しいものであろうが、知らない道であれば恐怖でしかない。
コンビニもなければ、街灯もない。
やがて国道に復帰するのだが、それまでの阿鼻叫喚ぶりは中々のものであった。
「
「うん、分かった。ひとまず、ここからは武雄を目指しながら国道三四号線に向かえばいいから、安心だ」
「そうですね。県道の両脇に何もなくても、さっきみたいにぎゃーとか、わーとか叫んでませんもんね」
元の道筋に復帰してから再度休みを挟み、その際に経路を細かくインプットしたおかげで先程までの心細さはなくなっている。
ハンドルを握る手にも力が入り、まっすぐに自信を持って進むことができる。
「そういえば、佐賀といえば長崎とどちらが田舎か論争があったと小噺があって、空港の有無や歴史、福岡との近さを言い合うものだった」
「へぇ、そんなのがあったんですね。それで、
「いや、どっちも田舎は田舎だと思う。むしろ、長崎の方が田舎だと思ってる」
いよいよ、国道三四号線に入り、行き先表示に長崎の文字が浮かぶ。
「ただ、学生の頃ならそれが嫌だな、不便だなと思うところが大きかったかもしれないが、今はそれもいいじゃないかと思うことが多くなった」
「どう変わったんですか」
「どこを走っても同じような看板と同じような道が続くより、さっきみたいに平原を味わい尽くす中を走ったり次はどうなるんだろうと思うような山道を走ったりする方がたのしいかな、って」
郊外でございますとばかりに並んだ、衣料品店やディスカウントストアの看板が闇の中で胸を張る。
ただ、それよりも静かに私たちの過行くのを見守っていた田野の方が、どこか自信に満ちたものを感じたものである。
「街も街で悪くはないんだけどな。ただ、同じ色で塗り絵されてしまったら何の絵か分かりづらくなってしまうのと同じように、街に同じ看板が並ぶのを見ると最近は心細く感じるようになった気がする」
「へぇ。でも
「長崎より都会だったから」
「それじゃ、言ってることと違うじゃないですか」
「いや、本当は転職で仕事があったからなんだけど、今は少し違うかな」
佐世保線と交差する高架を超え、再び平野然とした道へと戻る。
「熊本は九州のへそだから、色々なところを回りやすい。そして、熊本自体の魅力が私をもう掴んで離そうとしなくなってしまっている」
「確かに
「ただ、長崎も嫌いじゃない。むしろ、外に出てから大好きな場所に変わったように思う。それ以上の魅力があるんだから、不思議な県だよ、熊本って」
佐世保線と並ぶようにして走るものの、鉄軌を進むものはない。
丑の刻ともなれば草木も眠るというが、その合間を進むエンジンの音は心地よいララバイのようでもある。
その中で交わす言葉というのはどこか幻想的でもあり、だからこそ私の心を裸にしようとする。
思索の先に表れた、武雄北方の四文字が少しだけ私の心に棘となった。
「なあ、そうした地方の色を壊しかねないものって、なんだと思う」
「何ですか、急に。そんな難しい話をして。……そうですね、開発とかですか」
「うん、それもあると思う。ただ、それ以上に壊してしまうのは災害じゃないだろうか。特に、過疎の進んでいる地域での」
私がここを通る二十日ほど前に、武雄は豪雨に見舞われ大きな被害を受けた。
真夜中に訪ねてその被害を目に収めることもできるのだろうが、それは好奇心による邪魔な行い以外の何物でもなく、ただただ心の中で頭を垂れながら進むのみである。
「立て直していくためには、活力がいる。今はまだかろうじてそうしたものが残っているような気もするけど、これが続けばどうなるのか」
「そういえば
「ああ。まだ、中国地方にいる頃にな。東日本大震災も熊本地震も水害もそうだが、それが重なる度に、不安になる。果たして地方の景色はいつまで色とりどり形で残っているのか、ってね」
バイパスを過ぎて、そのまま国道を往けば街中は変わらぬ看板が立ち並ぶ。
ただ、私もデミオも無言でそれを通り過ぎたのであった。
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