第二節 深夜に駆ける西海の道
第15話 迷子の迷子のデミオさん 大川市とはどこですか
中秋に差し掛かった土曜の深夜、私はデミオに戦略物資を積み込んで静かに息を吐いていた。
身に纏ったスーツが重い。
いや、正しくは仕事で積もった疲労が重たいのであるが、それを押してでも私は西の海を望まねばならない。
「
「いや、確かにそうなんだけどな。でも、こっちの方が雰囲気が出るかと」
「独り言が五月蠅いですから、積み込んだらさっさと行きますよ」
デミオに急かされ、アクセルを踏む。
通い慣れてしまった三号線を北へと向かっていくのだが、流石にその往来は少ないものである。
北熊本駅近くのトライアルで積み込んだ物資を揺らしながら、やがて車線は一つとなり、間もなくトラックの後ろにつく。
「
「分かってる。山陽道でトラックとやり合った頃のようにもう若くはないんだ。急いでても、ゆっくり行くさ」
私が植木の入り口と呼ぶ焼肉ウエストに手を振ってさらに北へと進んでいく。
昼間であれば渋滞に焦らされながらデミオと軽い漫談を繰り広げる道なのであるが、トラックの揺れと深夜ラジオの穏やかな声が包むこの空間は、どこか神秘めいたものにも感じられた。
「で、
「いや、下道で行く」
「え、この時間ですよ。迷わずに行けますし、安定を取りましょ」
「いやいや、この時間に高速道路に乗ったら、催眠効果で眠気との戦いになるから下道の方がいい。脇に停まって休みやすいし。それにそんなに簡単に迷う訳ないだろ」
「
「大丈夫、いざとなればスマホが案内してくれるさ」
どこか心細げなデミオのエンジン音を聞き流しながら、玉名を越え、荒尾を越え、気付けば県境をも越えて大牟田に至る。
道の脇でラジオを時に調整しながら進む国道二〇八号線は、この辺りから見慣れぬ景色となってゆき、いかにも地方の郊外という姿を見せる。
福岡は天神などの中心部に至れば、いかにも地方中枢都市としての賑わいを見せるが、その実は千変万化の土地であり、その変化を見て回ろうとすれば果たして一年で済むのだろうか。
「それより
「確かにそっちの方が早そうだったんだけど、下手に知らない道を使うより途中までは知った道使った方が安全だからな。どうせ、柳川でそのルートに合流するから大丈夫だ」
話すうちにやがて柳川の看板が目に入り、いよいよ路線乗り換えに向けて身構える。
列車の旅であれば行き先表示と音声が優しく導いてくれるのであるが、車ではそうもいかず全ては自らの知識と注意力、そして経験に委ねられる。
「高速道路ならだいぶと優しくなるんですけどね」
「確かにそうなんだけどな。九州の高速道路の難点は鳥栖ジャンクションでの分岐なんだ。九州山地を上手く通す必要があったからだとは思うんだが、どうしても鳥栖で分岐するから遠回りになる。そうなると、高速道路を使っても費用対効果が悪いんだよな。これが鹿児島や山口方面に抜けるなら良いんだが」
「それで大分の時も下道だったんですね」
「ああ。まあ、大分の時は阿蘇から九重連山に抜ける道が良い景色だから、そっちを優先したっていうのもあるけどな」
柳川の警察署を過ぎて時計に目を遣ると、既に一時に近い。
流石に通しで長く運転していると疲れも重く、瞼が次第に重力に抗しきれなくなってくる。
「悪い、流石に少し疲れたからそろそろコンビニで休む」
「
デミオに促され、例の青いコンビニに身を寄せる。
同じように休みを取る大型トラックを横目に芋けんぴを買い求めてからデミオの下に戻り、中で現在位置を確かめたのだが、そこで背筋に冷たいものが走った。
「うん? なんだか青い丸が、少し外れているような」
僅かに手が震えてくる。
珍しく買い求めたペットボトルの無糖珈琲の苦味に顔を顰めつつ、目を擦って見直してもその位置は変わらない。
「あれ、
「多分、道間違えた。というか、大川ってどこだ。いつものイメージだと柳川から佐賀に抜けていたと思うんだが」
「福岡県と佐賀県の境目にある市ですよ。いつもこの辺通る時には、筑後川の辺りで入ってたんですけど、あまり距離ありませんでしたからね」
「いや、距離がなかったって、結構走ってる感じだな、これ」
既にどこで道を違えたのかは分かっているのであるが、今の問題はここをどのように修正するかである。
引き返すのも一つであり、新たに経路を設定するのも一つであるのだが、土地勘が薄い場所である以上、あまり無理もできない。
「一先ず迷ったことをツイートして、と」
「
「逆だ。余裕がないから無理矢理作ってる」
意地で差し込んだ日常動作に、視界がはっきりとしてくる。
「よし、こうなったらそのまま進んでから、筑後川を越えたところで四四四号線に合流して、そこからしばらく進んだところでスマホのナビをつけて丸目交差点までその指示に従う。これなら大丈夫なはずだ」
「最初からナビをつけたらいいんじゃないんですか」
「そうすると通信量がオーバーする」
私の一言に笑ったデミオは「犬のお巡りさん」を楽し気に歌いながら国道へと戻っていく。
苦笑しつつも、私はエアコンの冷風に頻りに顔を当てながら、熱くなった頭を必死で冷まそうとしていた。
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