第13話 蕎麦に騎馬にと愛されて

 やまなみハイウェイは九重連山を貫き、時に温泉地を携える九州の首筋に当たる道路である。

 南は阿蘇より始まり、北は別府に至るこの道は浮世にある幸せを容易に繋ぐ道なのかもしれない。


あにさん、そんなこと言ってガードレールにぶつかったら承知しませんよ」

「大丈夫、その合間に飛び込んで崖下に突っ込むさ」


 阿蘇の外輪を臨む地に在って、軽口を交わしながら違和感はたまらない。

 理性で以って話をすれば、なぜ無機質の車が口を利くのか、ということである。

 それでも、この金色に輝く草原を進むにはちょうどよかったのかもしれないと、漏れ出る笑みを隠せぬ自分もあった。


「それにしても、城山展望所の後は緩やかな道が続くから走りやすいな。無茶な走りはせんが、何かあっても突っ込むのは草原になりそうだな」

「そうですね。でもあにさん、この草原は牛さんやお馬さんのご飯かもしれませんから、踏み込んだらいけませんよ」

「なるほど、五代目圓楽師匠がいるかもしれないということだな」

あにさん、そのネタはもう古いですよ」


 この緩やかな道筋も、県をまたいで大分に入ると再び複雑に折れ曲がるものへと変わり、ハンドルを握る手に僅かな汗をかかせる。

 とはいえ、脇を固める木々は紅葉たけなわであり、それはこの世のものとは思えぬ空間を織り成していた。


 秋晴れや 唐紅からくれないの 九十九つづらおり


「とかどうですかね、あにさん」

「ちょっと待て、私より絵になる一句を詠むのは無しだろ」

「そりゃあにさんの相棒ですよ、それくらいできるようになりますって」


 気持ちは分からないでもないが、それと同時に車に嫉妬する自分がいるのもまた事実である。

 悔しいながらも、だんだんと自分の中にある何かが解されていくのも気付いており、それが堪らなく心地よく、同時に面映ゆくもあった。

 それでも山道は再び緩やかなものへと転じていき、所々に温泉の案内を目にしながら進んでいくと、やがてその中にひとつの看板を認めた。


「お、手打ちそばの店がある」

「あ、本当ですね。あにさんお蕎麦屋さん見つけるのだけは早いですね」

「まあ、半分は職業病みたいなもんだからな。じゃあ、ちょっとだけ寄るから待っててくれな」


 山奥の蕎麦屋ということで、一軒家を改装したような佇まいはそれだけで旅情を高めるのに寄与している。

 中に入れば過度な装飾とは無縁であり、堂々と盛りそばと大盛そばのみが並んでおり、少し悩んでから大盛そばを頼んだ。

 ゆったりとした心持で蕎麦の出を待ち、急峻に手繰って、再び穏やかな心で蕎麦湯をいただく。

 まるで九重連山そのものを体現したかのようなひと時を、口腔に蕎麦の香を満たして愉しんだ私はさと勘定を済ませてデミオの下へ戻った。


あにさんえらく早かったですね。ちゃんと噛んで食べましたか」

「いやいや、その蕎麦はくちゃくちゃと噛んでいただく蕎麦じゃないんだよ。伸びないようにさっといただいて、その香りを愉しんだら長居は無用。それが盛りそばをいただく時の蕎麦っ食いの性さ」

「なんだか粋がってませんか」

「粋がるんだったら蕎麦湯をいただくのにあんなに時間はかけないさ。屋号の通り『風来坊』ならなおのことに、ね」


 なんだか気障ったいですよというデミオの笑いに私も笑いつつ、再び私達は九重連山を進んでいく。

 九州の屋根を猫のように気ままに駆けながら、やがて国道に合流し、湯布院インターの手前で再び県道に入る。

 周りに宿の姿が目に付くようになる中で、私はふと目に飛び込んできた古い洋館のような建物に思わず、飛び込んでしまった。


「な、なんだこの建物。ローマ風の騎兵の像にアトム、しかも入り口には女神像って何の脈絡があるんだ」

「あれ、あにさん知りませんでしたか? 『岩下コレクション』という個人収蔵の博物館みたいなとこですよ」

「いや、そんなに大分方面に来たことなかったからな。ちょっと行ってくる」

「はいはい。あにさんごゆっくり」


 よく分からぬままに中へと足を踏み入れれば、まず見事なステンドグラスが目に飛び込んでくる。

 それがどこかの名家のものであろうなということは容易に想像がつくのであるが、面白いのはその下で由布岳と柔ちゃんと虎が同居しているということである。

 これ以上にないごった煮の世界に幻想的な眩暈を覚えた私はその甘美な愉悦を引き摺って中を童心のままに駆け巡った。

 一階は昭和レトロ館と銘打った昔の品々の展示場となっているのだが、それこそなんとか鑑定団で目にしたような品々が目の前に並び、高揚を隠すことなどできなくなってしまった。

 大正時代の電話ボックスに駄菓子屋のショーケースが並び、その間を明治時代の長崎刑務所にあった独房の戸板が取り持つ。

 その清濁全てを呑み込んだような空間は、私をこれ以上ないほどに息つかせず楽しませた。

 二階と三階にはバイクのコレクションが並ぶのであるのだが、普段バイクに大きな興味を示さぬ私でも、一介のライダーに変えてしまいそうな魔力を持っている。

 一角に設けられた高倉健の展示がまた心憎い。

 一心不乱に見て回ってデミオの元に戻ると、何かを見透かしたようににやついており、それがどこか悔しく、どこか堪らなく愉しかった。


あにさん、良かったでしょ」

「ああ、何かまんまとしてやられた感はあるけど、な」

「そしてまた、来たくなるんですよね」


 乗り込んだ先に見えた騎馬像が、バイクに転じたように見えた私は思わず笑い、デミオもまた声を上げて道に繰り出した。

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