第12話 ミルクロードから行幸の地へ
震災の後、阿蘇は遠い存在となってしまっていた。
熊本の東部に位置するカルデラの雄姿は、肥後の民より逃げるかのようにその道を閉ざし、神代のごとき荘厳さを我々に示そうとしていた。
それを長らく孤立から支えたのはミルクロードであり、仮復旧した長陽大橋であり、それらの人の営みと人々の情熱によりいずれ再び阿蘇は開かれた地となる宿命を背負っていた。
ただ、それはあくまでも未来を見据えた場合の話であり、私はデミオにその身体を委ねつつ、山肌を縫うように続くミルクロードを、独楽鼠のように駆け巡っていた。
「この道、流れてるときはいいんだが、急勾配でトラックに止められると少ししんどいんだよな」
「
「いやいや、私がオートマ選んでたら、今頃お前はまだ持ち主無しで天日干しだっただろ、間違いなく」
いやいやそうでしたねとデミオははにかむように言うが、その実、中古として並んでいたこの子は事実として厄介者となっていたのかもしれない。
直接聞いたわけではないのであるが、調べてから中古車販売店に伺ったところ酷く驚かれた様子で店主も対応されており、下へは置かぬ歓待ぶりに少し引いてしまったほどである。
新型デミオも出たばかりということで、そちらの方に耳目が集まっていたというのもあるのだろうが、色もシルバーとあっては選ばれる要素があまりにも少ない。
そう考えると店晒しに成り得たこの子との出会いは、ある意味ではお互いにとって運命的であったのかもしれない。
窓から吹き込む風が心地よい。
「それに、こうして坂道を下る時には凄く安心できるんだ。長崎に住んでた頃から、エンジンブレーキの利くミッションの方が好きだったんだよ」
「僕は踏ん張るから大変ですけどね」
「悪いな。でも、オートマだと下りのコーナーが怖い。加速よりも減速で守られているのを感じられるのが、ミッションの良さなんだよ」
二重峠を声を上げながら下ってゆく。
それはさながら鵯越を思わせつつ、その実は声を荒げて耐え忍ぶデミオの中で悠然と在るのみである。
ハンドルを優しくなでながら、シフトレバーをさらに一つ落とす。
カルデラの窪地に至ると、デミオは一つ息を吐いてからいつもの表情に戻った。
「それで、
「いや、今日は湯布院に行く」
「え。湯布院でしたら、何で高速に乗らなかったんですか。まさか、間違えたとか」
「いやいや、他に乗せてる人もいないから下道で行くにきまってるだろ。折角の休みなんだから急いだらもったいないじゃないか」
呆気にとられたようなデミオを笑いながらそのまま通い慣れた林道を進む。
いつもであればそのまま内牧温泉の常宿に向かうのであるが、日はまだ南中したばかりであり、その低い日差しを浴びながらそのまま東へ向かう。
「じゃあ、小国から抜けるんですか、それとも、竹田市を通って豊後水道を拝んでから引き返すんですか」
「どっちも外れ。この時期だから山並みハイウェイを使って九重連山を越えるつもりだ。どうだ、なんだかワクワクしてくるだろう」
「いや、ワクワクはいいんですけど、疲れる道ですよ。ヘアピンもありますし、昨日も帰りが午前二時だったんですから、無理しないで下さいよ」
「お、ありがとな、心配してくれて」
「事故は嫌ですからね、
デミオの切なる夢に耳を傾けながら、再び山道に差し掛かる。
それも束の間、デミオが気合を入れたところで私は脇に停め、眼下に広がる秋で両肺を満たした。
城山展望台はやまなみハイウェイと呼ばれる県道十一号線の南端近くに位置ししており、脇にある「天皇皇后両陛下御立見処」の看板が告げる通り、昭和天皇・皇后両陛下の行幸の際に立ち寄られたところでもある。
車の往来はそれなりにあるものの、立ち寄る人は少なく、静かにゆっくりと阿蘇のカルデラを眺めるに良い。
無論、他にも勝るとも劣らぬ阿蘇の景勝地は多々あるのであろうが、この地に立っていると、
「ああ、阿蘇に人が息づいている」
ということを実感することができるので堪らない。
「あ、見て下さい、
「ああ、ちょっと待ってくれ」
苅田這う トラック一つ 蟻がごと
「どうだ、秋らしくていい感じじゃないか」
「いやー、
「辛いなぁ。あれだけ小さくなってしまう人が、これだけの田畑を開いた感動が出てると思ったんだけどな」
「僕も、この牧歌的な景色はいいと思いますけどね。
デミオと共に空に浮かんだ大きな雲へ向かって笑う。
見れば赤土や黄金に混じって緑の絨毯が敷き詰められた畑もある。
大豆か麦か、はたまた蕎麦か。
いずれにしても、今の私達にはいずれ訪れるもう一つの実りを期待せずにはいられなかった。
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