エピソード27 八月三十二日、追憶の彼方へ

 来てはいけない。そんな事は僕自身が一番よく分かっている――――



 奥習田おくならた村。

 人口はわずか3000名ほどの、どこにでもある田舎風景の他には逆に何もない土地。

 ここには母方の祖父母の家があり、よく小学生の頃は夏休みを利用して泊まり込んでいた。

 何もない土地での何でもない日々、それは時には退屈でありつつも、やはり心豊かな日々だった。


 僕がこの地へ訪れなくなったのは思春期が生み出す親族との疎遠性が原因ではなかった。


 ある日の昼下がり。避暑地でもないこの土地では延々に続く炎々な時間帯で、小5の頃の僕は、本当は外出してはいけない時間帯という決まりだった。

 子どもは風の子、大人は火の子というが、こと暑さに関しては老若男女問わず涼しさを欲するものだ。


 でもその日、僕はどうしてもアイスが食べたくなって、家を密かに抜け出した。祖父は老人会へ、祖母は昼寝をしていたので、少しの時間であれば僕が居なくても気づかれないだろうという子どもながらのイタズラっ気が、暑い田園へと駆り立てた。


 さりとて、いつものスピードでは見つかる以前に、僕の体力が持ちそうになかったので、早歩きで、それも秘密の抜け道を通って行こうとした。

 すると、青々と輝く稲の中に、白いワンピースを着たお姉さんが居た。

 最初はカカシか何かかなと思ったけど、この近くでオシャレな服を着ている女の人はそうそう見かけないので、僕は幼いながらも遠くから見つめていた。


 するとどうだ、その女性も遠くに居る少年、すなわち僕に気づいた。

 会釈をすると、お姉さんは服と同じくらい真っ白な細い手で僕を手招きした。

 何不自由なく過ごしてきた僕は、きっと困っているのか、もしくは近所のおばさんみたいに何かくれるのだろうと思って、警戒などという言葉も忘れて、駆け足で向かっていった。


「は、はじめまして」

「はじめまして」

 にっこりと、そしてゆったりと語り掛ける様子は、まだまだ若そうなのに、自分の祖母を彷彿とさせた。


「帽子も被らず、暑くないの?」

「あ、急いでて忘れたんです」

「観たいテレビでも始まるの?」

「あの、そ、それは」

 優しそうだけど、僕が抜け出したことを知ると、怒るかも。

「秘密にしててもらえますか?」

「なぁに?」

 事の次第を簡単に説明すると、どこか哀しそうな目でお姉さんは笑った。

「じゃ、私、お水持ってるからあげるね」

「あ、ありがとうございます!」

 知らない人から何かをもらうのは断るように言われてきたけど、喉が渇いているのは確かだったし、そこで断るとバラされるとでも思ったのかもしれない。


 お礼を言うと、『なんだか私もアイス食べたくなっちゃった』と言って、二人で駄菓子屋へと向かうことになった。

 背の高い美人なお姉さんと並んで歩いていると、どこかむずがゆく、緊張した。きっとその時には既に僕はお姉さんをんだと思う。


「こっちの方が近道なんだよ?」

「でもそっちは暑いでしょ、涼しい方から行きましょう」

 手を握られ、僕は文字通り導かれるように、進んでいった。これが自分の家の近くだったら、誰かに見られるのを恥ずかしがって、文句を言っていただろうが、幸い、田舎の昼間に、僕の知り合いは存在しなかった。

 そういった意味では、僕は誰かと遊びたかったのかもしれない。

 ともかく僕らは日陰に沿って歩いていった。すると、お姉さんは僕の目指していた駄菓子屋ではなく、神社の近くにこの季節だけ開いているかき氷屋さんへと案内していたのだ。

 既に家を出る前からソフトクリームを買おうと思っていたので、最初は少しがっかりしたが、それ以上に、予想に反して期待に添えていないのが伝わったのか、お姉さんがまたもや哀しそうな目をしていたので、僕はすぐさま気を入れ替えて、喜んで見せた。

「かき氷って、お祭りでしか食べないから、今年で一番最初のかき氷だよ!」


 *****


「まだブラウン管」

 あの日以来、僕はこの地を避けてきた。何も理解できず、ただ未知の世界に少し、強制的に踏み入れるようになった反動とでも言おうか、ともかくすべてを理解できる年齢になった今だからこそ、ようやく遺品整理の為に一人で来ることができた。

 トラウマ?

 いや、アナフィラキシーショックへの恐怖に近いな。


 結局、夕方ごろまで僕らは廃れた神社で過ごすことに。その奇妙な、それでいて体の芯を溶かすようなひと時に、僕は悦び、そして畏怖した。

 勝手に抜け出したことがバレて、いつもは優しい祖母に怒られるのも、その一連の出来事の刺激に比べれば何と言う事はなかった。

 それを見抜いた祖父は、神棚の前へ僕を連れ、ともに合掌することを強いた。

 思えばあれ以来、僕の心はこの地から遠い実家へと先に帰りつつあったのだろう。



 依然として、ここは暑い。何も夏に来る必要はなかったが、どうしても都合がつくのが僕だけであり、その僕もまた、今日しか来れそうになかったのだ。

 最高気温は33度らしい。


 正直、高校生になった時には、その幼き頃の体験を、誰かに話してみたい気もした。

 でもやはり、不審者として交番へ届けるのではなく、祖父と共に神棚に祈ったのが精神的に何か作用しているのだろう。

 僕はこの記憶を、一つの怪異のように記憶を封じてきたんだ。




 そしてその解釈はあながち、子ども心に思い描いたものでもなかったようだ。


 窓の外に、確かにあの当時のままの姿で、一人ぽつねんと立っているのがみえ―――


 オかエり。


 *****


「ッッ!」


 どうしてまだあの人が、その当時のまま…………え?

 神社、なのか?気絶ならば、居間にいるはず。



「怖い夢でも見てたの?」


 そう尋ねるのは、他でもなく、僕に膝枕するお姉さんだった。

 僕は彼女に幻覚剤を飲まされていたらしい。

 夏休みはまだまだ終わりそうにない。

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