08話.[そうでもないか]

「晴れてよかったな」

「はい」


 近くではなく相馬先生の車で他市まで来ていた。

 いまはなんでもSNSを利用すればすぐにどこがどうなのかが分かるから便利な時代だ。


「よかったよ、事故ったりしないで」

「あんまり乗らないんですか?」

「そうだな、学校へだって歩いていくからな」


 確かにあの距離で車を利用していたら微妙か。

 ガソリン代などを考えると明らかに歩いた方が効率がいい。


「綺麗だな」

「はい」


 まずは歩いてみることになった。

 お昼までには時間があるからそう焦る必要もない。

 高校生ではなくなった自分がまた先生とこうして行動していることを不思議に思う。


「もう少ししたら妹さんが入学してくるのか」

「はい、優しくしてあげてください」

「関わることがあったらな」


 妹さんと言うあたりが可愛い。

 本当なら妹、だけで済ませたいのが伝わってくるから。


「それより安斎は――静は落ち着いた感じの服を選ぶんだな」

「はい、派手なのは似合いませんから」


 特にお洒落を意識したりはしなかった。

 自分が持っていて今日の気温に合ったものを着てきただけだ。

 卒業式辺りと違って暖かくなっているのがいい。

 今日は早起きをしてきたので、自作のお弁当を食べたら眠くなりそうだった。


「似合ってるぞ」

「ありがとうございます」


 そうかと納得する。

 朝に走るときに会っていたのだとしてもジャージだったということを思い出したから。

 私服姿を見せるのはほとんどなかったと言っていい、休日に一緒に行動したりは今回のこれが初めてなわけなんだしこういう感想が出るのが普通だろう。


「少し座るか」

「はい」


 特に緊張したりもしていない。

 失礼な話になってしまうものの、今日の先生は友達みたいに感じているから。


「クリスマスのときはあんな対応になってしまったからさ」

「あの後泣きました」

「濱田から聞いたよ」


 いまとなっては後悔しか――いや、そうでもないか。

 色々なことがあってそれを上書きすることができたから。

 特に合格したと分かったときの歩のあの泣きながら笑った顔が印象的だ。


「もう少し優しく断ってくれればよかったですよね?」

「だから謝っただろ、その理由だって説明したはずだけど」

「ふふ、甘酒で酔ってしまう人なんて初めて見ましたよ」


 やはり父と先生はどこか似ている。

 普段飲まないし強くもないのにお酒を飲んですぐに駄目になるところが。


「酷いですよね、最初で最後の勇気を出したのに結果があれとは」

「……無理していると思ったところもあるんだよ」

「冗談なんか言いません、私は相馬先生といたかったんです」


 そうでもなければ無駄に遅くまで残ったりはしない。

 ただ、あの日は待ってからあれだったのでダメージが大きくなったのだ。


「あ、今日はやめてくれ」

「あ、じゃあどう呼べば……」

「相馬さん、とか?」

「ならそれ、あ、相馬先輩とかどうですか?」

「まあ確かに先輩だけどさ……」


 相馬さんよりも気恥ずかしさがなくていい。

 せっかく頑張ってお弁当を作ってきたのだ、まだ気まずくなって解散にはなってほしくない。

 あと、歩や濱田君の想像は外れたことになる。

 それはそうだ、もし恋愛対象として見てきているのなら驚きすぎて腰が抜けてしまうから。


「腹が減った」

「え、もうですか?」

「う、運転をしてきたわけだからな、それに朝ご飯は食べていないし」


 なんでそんな変なことをとは思いつつもお弁当を食べてもらうことにした。

 まあ自作とは言っても数種類の具が入ったおにぎりと卵焼きとウインナーとみたいな王道なところを狙った簡単な物だ。

 ただ、時間はやはりそれなりにかかったから美味しいと言ってもらえたら嬉しい。


「美味しいな」

「そうですか」

「静はなんでも作れるんだな、俺なんかコンビニで買って済ませることが多いから尊敬するぞ」

「いまはすぐにレシピを見られる時代ですからね」

「自炊をしてみようと思うときはあるんだけどなあ」


 帰りは毎日のように当たり前のように遅いから疲れてしまうだろう。

 そんなときにコンビニやスーパーなどが近くにあったら助かると思う。

 私でもひとり暮らしなんかを始めたら……どうなるのだろうか?

 アルバイトをしてお金を稼ぐつもりでいるし、もったいないからということで簡単な物を量産するかもしれないなと想像してみた。


「食べないのか?」

「できれば相馬先輩に食べてもらうのが理想ですからね」

「先輩はよせ……食べさせてもらうけどさ」


 ただまあお腹が空き始めているのは事実だからひとつだけおにぎりを貰った。

 我ながら丁度いい塩加減だ、先生にとって合っているのかは分からないけれど。

 が、先生はこちらの細かい不安を吹き飛ばすかのように全てを食べてくれた。

 再度柔らかい笑みを浮かべながら「美味しかったぞ」とも。

 お世辞でもなんでも嬉しいものだ。

 本来なら自分が作った物を食べてもらえる可能性なんて低いから。

 いや、低いどころではない、ないと言っても過言ではないぐらいで。


「眠いんですか?」

「……実は昨日寝られなくてさ」

「布団をちゃんと掛けました?」

「そういうのじゃなくて……」


 こっちなんか寝すぎてお弁当を作る時間が遅くなってしまったぐらいだった。

 だから今日はまだ走りに行けていない、帰ったら少しだけも走ろうと思う。

 小中学生時代と違ってどんどんと体力がなくなっていくから気をつけなければならない。


「前に濱田が一緒にいるときにした話、覚えているか?」

「すみません、いつのことなのか……」


 濱田君と一緒にいたときに先生が来たことなんてたくさんある。

 その度に会話をしたからピンポイントなことを聞かれても困ってしまうのだ。


「卒業しているのならともかくとしてってやつだ」

「ああ」

「別になにかがあったからと優しくしていたわけじゃない。ただ、静は常にひとりでいたと言っても過言ではないし、ひとりでなんでも乗り越えられてしまうから他者を求めようとしなかっただろ? だから見ておかなければならないって気持ちだけがあったんだけどさ、いざ実際に学校で静と会えなくなって寂しくなったんだ」


 日課のランニング時だって先生と会うことはなくなっていた。

 一月からはこっちが避けていたようなものだから無理もないのかもしれない。

 別にそれまでもべったりだったわけではない、適度な距離感を間違いなく保てていた。

 でも、それが一気になくなったことにより……という感じだろうか?


「相馬さんの気持ちは分からないですけど、私は相馬さんのことが好きでしたよ」

「それってあれだよな?」

「はい、あれですね」


 わざわざここで人としてとか言うわけがない。

 それならメッセージアプリを使用すればいい。


「本当はお正月なんかも居残ってお世話をしたかったです、酔っていたみたいですし」

「……情けないところを見せたよな」

「私があなたと同じことを言ったから、なんですよね?」

「あーまあ……」


 これまで何度も心配して声を掛けてくれたのにその人間からあんなことを言われればこのくそという感情になってもおかしくはない、だから怒ることなくあの程度で済ませられた先生は流石大人という感じだ。


「でも、気にしないでください」

「え?」

「所詮、子どもの言葉ですから」


 なにかがあれば速攻で首になるような仕事だ。

 生徒とこうして行動することだって本来は危ないこと。


「最後に好きだと言えてよかったです、あなたにとっては迷惑でしょうけど」


 お弁当も食べてもらえたからこれで解散で構わない。

 そうしたらまたそれぞれの生活に集中していくだけだろう。

 慣れない生活が始まるわけだし、それに慣れるために努力をしなければならないし。

 そのために今日力を貰えた、やっと区切りをつけられたのだ。


「待ってくれ」

「まだ見たいんですか?」


 綺麗な桜も少し見れば見慣れてしまうもの。

 せっかく出かけられたのだから悪くないままで終わってほしい。

 いまの状態のまま解散にもっていけたらいい思い出になるから、お願いだから……。


「違う」

「……っと、いいんですか?」

「もう生徒じゃないだろ」


 ……いや、やはり先生は父になんか似ていない。

 父に似ているならこんなドキドキなんかしたりはしないから。

 先生はこちらを離して「帰るか」と言った。

 帰りの車内の中で、これはどういう風になったのだろうかと考え続けた。

 あくまで寂しかっただけなのか、私だからよかったのか。

 抱きしめられただけでは……それが恋愛的な意味でかは分からないわけで。


「あの」

「なんだ?」

「アルバイトを始めるつもりなんです、それである程度のお金を稼げたら……」

「ゆっくりでいいぞ」


 言うべきなのかどうか真剣に迷った。

 でも、それが実現すればご飯とかだって作ってあげられるわけだし……。


「ある程度のお金が稼げたら、あなたのお家に住んでもいいですかっ?」


 モチベーションにもなってくれる。

 だけど思い出すのはやはりあのときの拒絶だ。

 だから後悔している自分も間違いなく存在していた。

 自らいい思い出を壊すなよと指摘する自分だって存在している。


「……別にお金はいらないけどな」

「え、じゃあ……」

「帰ったら誰かがいてくれるというのは普通に嬉しいからな、俺にとってはメリットしかないわけなんだからさ」


 またあの夢オチかと思ってベタに頬を引っ張ってみたら痛かった。


「まあ、どちらにしろ静のご両親に言わなければならないことだからな、今日のことも含めて」

「あ、お出かけすることは全員知っています、濱田君だって」

「そうなのかっ? 言うんだな」

「家族には好きだということを説明していましたからね」


 濱田君に至っては勝手に察知されてしまったわけだし。

 想像以上に隠すのが下手くそだったということだ。

 読書か勉強ぐらいしかやることがなかった私にこんなことが起こるとは思わなかった。


「じゃ、余計にちゃんと言わないとな」

「……いいんですか?」

「寧ろ静こそいいのか?」

「相馬――陽一さんだからいいんです」

「ふっ、そうか」


 赤信号で止まったのをいいことに手を握らせてもらった。

 そうしたら先生も握り返してくれて嬉しくなったのだった。

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