無機質な臓器
葉舞妖風
第1話
「わぁ、すごーい!」
磊落と遊泳するジンベイザメに舞い踊るマンタ、賑やかしの魚や魚群の渦が通路を曲がった僕たちの視界に飛び込んできた。眼前に広がるアクアリウムは魚類最大のジンベイザメを頂いた本水族館の目玉であり、その圧巻さには思わずため息が出てしまった。それは先ほど僕の彼女が隣で感嘆な声を上げたことからも窺える。
『パシャッ』
その音が隣から聞こえてきて、僕の意識は海の神秘を切り取った目の前の見事な景色から冷めた現実へと引き戻された。彼女がスマホでジンベイザメの写真を撮り始めたのだ。僕は「またか」と思った。
ところで僕は写真を撮ることが好きではない。昔の写真を見て「こんなこともあったっけ」なんて回想できるので、写真を撮ること自体に否定的ではない。けれど彼女のように事あるごとに写真を撮ることは違う気がする。写真を撮ることによって「後でも同じものを見れるからいいや」という感情が心の奥底で芽生えて、今目の前にある光景を蔑ろにしてはいないだろうか?スマホが外付けの記憶メモリになってはいないだろうか?レンズ越しでしか世界を見渡せてはいないだろうか?彼女の目の前ではおくびにも出さないが、そんなことを思うのである。
「水族館楽しかったね!」
彼女のその言葉に軽く相槌を打つ。水族館を後にした僕らは駅近くの喫茶店で休憩をしていた。デートにおけるメインイベントを消化し終った後の余った時間のテンプレ的な使い方ではあるが、落ち着いて雑談ができるので個人的には存外メインイベントよりも楽しい時間だったりする。
「お待たせしました。」
水族館での話に彼女と花を咲かせていると、ウェイトレスさんが注文したケーキと紅茶を運んできてくれた。それが机に並びウェイトレスさんが去っていくと、案の定彼女はスマホを構えて写真の構図を考え始めていた。僕はこの時の最適行動を経験的に知っているので「この辺?」と言いながら自分のモンブランを彼女のスマホカメラの視野へと差し向ける。
「うん。その辺。ありがと。」と彼女が返してきて、数秒後にあの耳障りな『パシャッ』という音が響いた。やれやれと思いながらモンブランを自分の手元に引き戻そうとすると彼女があろうことかモンブランの象徴であるてっぺんの栗を盗んで食べてしまった。
「コラ、人の栗を勝手に食うんじゃねえ。」
「ごめんごめんついつい。代わりに私のケーキ一口あげるから。はい、あーん。」
そういうと彼女は自分のフォークに一口分のケーキを載せて僕へ差し出してきた。まんざらでもない僕は口を開けて彼女のケーキを一口食べた。
「どう、おいしい?」
「ん、まぁまぁ。」
「もう、そこはおいしいって言うところでしょ?」
「それはすまんかった。」
一通りバカップルじみたことをして笑いあう僕と彼女。その後も雑談興じ、楽しいひと時を過ごしていた。彼女のすぐに写真を撮る癖は正直好きにはなれない。でも一緒にいて話をするのはとても楽しいし、さっきみたいに彼女とバカップルじみたことをするのも好きだ。全てを好きになれる相手なんて多分いないのだから、相手の好きではないところにも折り合いをつけるというのが恋愛というものではないのだろうか。
「きゃっ」
僕がそんな恋愛の真髄をしみじみと感じていたら、ウェイトレスさんが通路で派手に転んでいた。僕らはL字の通路の角の席に座っていたため、ウェイトレスさんがバランスを崩す際に手放してしまった液体の入った金属のポットがウェイトレスさんの進行方向にあった僕ら席の机に着弾し、中の液体が机にぶちまけられた。ケーキと紅茶は既に食し終わっていたので食べ物には被害がなかったが、机に出しっぱなしにしておいた二人のスマホは液体を被り服も派手に濡れてしまった。
「お、お客様申しわけ――――イッ」
自らの失態に気が付き立ち上がろうとしたウェイトレスさんだったが、どうやら足首を捻挫したように見受けられ、足首を抑えてそのまま立ち上がれずに床へ横になってしまった。ウェイトレスさんのその様子を見た僕は咄嗟に「大丈夫ですか?」と声をかけて近寄り、厨房のほうへ「すいませーん」と声をかけた。そこでほかの店員さんを呼ぶためには席にあるベルを鳴らした方が良いかもしれないと思ったので、僕は一度自分の席の方を振り返った。するとそこには濡れたままの僕のスマホと自分のスマホの電源が付くのが確認できて安堵している彼女の姿があった。
無機質な臓器 葉舞妖風 @Elfun0547
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