ひなげしが散るころ


「じゃあ、ポピーはどうだ?」


 名前を訊ねられて「持っていない」と答えた私に、あなたはそう返してくれた。

 憐れむでもなく、蔑むでもなく、ただ当たり前のように名前を与えてくれたあなたに、私は大層驚いた。

 今までそんなひとには会ったことがなかったから。

 その他にあなたが言ったのはたった一言。

「俺も連れて行ってくれないか」

 ただそれだけだった。

 けれどそれが、あの時の私にとってどんなに嬉しい言葉だったか、きっとあなたには一生伝わらないのだろう。

 それでいい。伝える気もない。

 ただ戦うためだけに生み出され、戦うことだけを教えられた私を、あなたは普通の人間と同じように扱ってくれた。

 それがどれだけ稀有な感性を示すのかということにも、きっとあなたは無頓着だ。

 あなたの何気ない挨拶、たわいもない雑談、そしてときどき向けられる微かな笑顔。

 どれもが私にとっては、生まれて初めての特別なものだったというのに。

「ポピー、これからどうする?」

 製造番号でしか呼ばれたことのなかった私を、そうして名前で呼んでくれること。

 いつも私の考えを聞いてくれることも。

 あなたに会うまでは、一度も経験したことがなかった。私は誰かの指示で動く人形だった。感情を持たない、殺戮のための道具だった。

 けれど、今の私は、そうではない。

 あなたに褒められるたびに飛び上がりたいほど歓喜した。あなたに励まされると、どんなに深い絶望の淵からも這い上がってこられた。どれだけ怪我をしても、痛くても苦しくても、辛くはなかった。我慢できた。

 あなたがそばにいてくれるなら。

 人間としての情緒のなにもかもをあなたから与えられた。浴びるように、あなたがそうするのを見て、感じた。

 喜怒哀楽のすべて。思い出を反芻するときの温かな気持ち。誰かを想って力をふるうことの、その揺るぎなさ。

 ……そして、大切な人を失うかもしれないという恐ろしさも。

 私にとって大切な人とは、すなわちあなたのことに他ならなかった。

 私はいつからかきっと、あなたを愛していた。

 あなたを失うのが恐ろしく、あなたと別れる日が来るのがいっときでも遅くなればいいと願った。

 わずかな願いだ。

 しかしそれは、私自身の存在意義に反する願いだ。

 人類の脅威を取り除くのが私の為すべきこと。

 私がこの世界に生まれた理由。

 それを無視することは出来なかった。

 二律背反にりつはいはんの願いを抱きながら、それでも私はわき目もふらず戦い続けた。それだけしかできることがなかったから。

 いくつもの町を訪ね、荒野を渡り、谷を越えて。

 世界中を歩き回ったのではないかと思えたころ、ついに私たちは決戦の地に辿り着いた。

 あらゆる生けるものが滅び去った無明の地で強大な敵を相手取った私たちは、幾度も傷つきながら、かの脅威を葬り去った。

 人類を救った英雄として、あなたは遥かな未来まできっと、語り継がれ、敬われることだろう。あなたの奮闘を間近で見ていた私としても、その扱いはふさわしいものだと思う。

 また旅を重ね帰路にいた私たちを迎えたのは、大勢の人々の歓喜の叫びだった。

 人々の歓声を聞き、誇らしげな表情をしたあなたは、今までで一番の笑顔を浮かべて言った。

「これは俺たち二人に向けられたものだ。おまえと俺がやり遂げたことへの報酬だ。よく頑張ったな」

 珍しく浮きたった声での賞賛に天にも昇るような心地になる。

 今がきっと、生涯でもっとも幸せだ。

 にこにこと笑う私に、あなたもまた笑いかけてくれた。旅の間と同じように、普通の人間に対してするように。

「なあ、おまえはこれからどうするんだ?」

 問いかけは未来への希望に満ちていた。

 私は、私の未来は――どこにもない。


 ◇  ◇  ◇


 人工生命体ホムンクルス。

 希少な材料と高度な魔法技術でのみ作ることのできるそれは、人類を大きく上回る身体能力を持ち、更には成長速度も人類の数倍に及ぶ。

 生まれつき強いだけでなく、戦い続けることによって神にも及ぶとすら言い伝えられるほどの力を得うる存在である。此度、人類の脅威を滅するために生み出された勇者ポピーも、このホムンクルスであった。

 強大な戦闘力を誇るホムンクルスではあるが、もちろん欠点も持っている。

 誕生時点での能力が高ければ高いほど、寿命が短くなるのだ。

 人類の脅威を退けるに際して、ホムンクルスの培養を担う研究者たちは慎重に計算を重ねた。

 任務を達成させるのに足るだけの能力と寿命とがしっかり備わるように。それはギリギリのバランスで実現された。

 かのホムンクルスは最初から、平和になった世界を生きられる運命になかったのだ。


 ポピー勇者は初めて会った町に戻ってから数日と経たないうちに、その機能を停止した。

 宿屋に泊まってその晩眠ったまま、翌朝にはもう二度と目覚めなくなっていたのだ。


 神から見れば瞬く間の命しか持たぬ人類。

 その人類から見ても、あっという間に過ぎ去ってしまうほどの短すぎる宿命を持つホムンクルス。

 名も無いまま人々を救った人類でない何かを、歴史はいつか風化させてしまうのかもしれない。

 あまりに語れることが少ないが故に。


 それでも、火花の如き生き様は美しく。

 俺はおまえの見せてくれたすべてを、きっと一生、忘れることは無いだろう。

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