本気?①
「し、しんちゃん……なんで……?」
山岸の声が震えている。察するに、彼の前であんな顔をしたことがなかったのだろう。取り繕っていたお面が剥がれた時の動揺というのは、分かりやすくて痛々しい。
私から見ても、彼は怒っていた。何に対してかは考えないようにした。自惚れたくなかったから。山岸しずくの前で。
「言い過ぎだって。山岸」
「そ、それは……」
でも彼は、彼女を怒鳴るようなことはしない。なんとなくそんな気がしていた。
そこで足を止めることはなくて、私の方に歩み寄ってくる。どちらの彼かは分からない。それでも、嬉しいのには変わらなかった。
「行こう。
「あ、う、うん……」
胸が鳴る。痛いぐらいに。夕陽も沈みかけている秋の夜。一瞬にして、二人だけの世界に溶け込んだかのよう。痛いのに、すごく心地が良かった。
私の手を優しく握って、無理のないように引っ張ってくれる彼の背中。このまま身を任せてしまいたい気分になる。
「ま、待ってよ!」
山岸の声が響く。秋の屋上。彼は止まった。そのまま振り返るから、私も一緒に振り返る。
彼女は泣いていた。どんな感情なのだろう。私には分からないぐらいに、ごちゃごちゃになっている気がする。あの山岸しずくがこんなになるなんて、正直意外だった。
「好き……なの……? 酒井さんのこと」
私の時よりも声は優しい。
ムカつく。あからさまだ。
彼の顔を見上げる。動揺の色は無かった。むしろ堂々としていて、少し不思議だった。
「好きだよ」
風が強く吹いた。冷たい風。秋の匂いが消えかけた風が。なのに、体は震えなかった。熱風にすら感じられた。体温が上がっていく。
真っ直ぐ、山岸しずくを見つめて言うセリフにしては、私の胸が鳴る。止まらない。
この言葉は私に向けられたモノ。本当か嘘か。そんなのどうでもいい。ただ今はすごく――夢に溺れている気分だった。
「悪い。行こう。凪沙」
「う……うん……」
彼は私の手を握ったまま、屋上を出た。校舎に入っても手を離そうとしない。彼女はもう追いかけてきていないのに。生徒も少なくなっているのが幸いだった。
いや、そもそもいくらでも誤魔化せたはずだ。彼の場合、山岸との接点がある。たぶん、ずっとそうやって適当にあしらってきたはずだから。だから、今回もそうすれば自然とあの場面は解決できたはず。
なのに、彼はそれをしなかった。
言ってみせた。ハッキリと。好きだと。私のことが。酒井凪沙のことが、好きだよ、と。
正直、理解が追いつかなかった。今聞けるなら聞いてみたい。「本気?」と。でもそんなことをしてしまったら、もう私は――ずっとこのままなんだと思う。
思い返しても、初めて言われたな。好きだなんて。面と向かってでは無かったケド。
それでも――嬉しい。すごく胸が高鳴った。私は彼を助けたかったけれど、助けられてばかりだ。私一人じゃ何も出来ない。さっきだって、先輩から詰め寄られた時だって、彼の顔が頭に浮かんだのだから。
「大丈夫か?」
「うん。もう平気」
正門を出たタイミングで、彼が口を開いた。心配かけまいと咄嗟に言ってしまったが、彼は私の顔をマジマジと見つめてくる。
「……この間みたく、チューしてくれないんだ」
「なっ――!?」
ガハハと彼は笑った。この状況でからかうか普通? せっかくいいムードだったのに。
彼は顔を離して、また私に背を向ける。さっきまで繋がっていた手は、もう離ればなれ。
「ほら、病院行かないと。神山先生待たせてるからさ」
途端に寂しくなった。彼と繋がっていたせいで、この右手の悲しさを受け止めてくれる場所がない。視線は彼の背中。大きくて、でも、脆い彼の背中。
「……ねぇ」
呼び止めると、彼はゆっくりこちらを向いた。すっかり暗くなった道でも分かる。どうして、そんなに悲しそうな顔をするの?
「私は――あなたにチューしてない」
確信なんてなかった。全然。
違ったら、冗談だよと誤魔化すつもりで言った。そうしたら、彼は分かりやすく視線を泳がせた。図星だった。
彼の場合、人格が変わるといっても完全な別人になるわけじゃない。だから誰の目から見ても明らかな変化というのは無い。学校の生徒や先生が気づかないのはそのせいだろう。
それでも――毎日彼のことを見つめていたら。感情を抜きにして、彼のことを見る時間が長ければ長いほど、気づく可能性は高くなる。その筆頭が私。別に自慢するつもりはない。
「どうしてそんな嘘をついたの?」
「………」
彼は目を伏せる。私と視線を合わせようとしない。まるで怒られている時の犬じゃない。こんな時なのに、助けてくれたのに、少し可愛くてムカつく。
彼の顔を両手で掴んで、グイッと私の顔の前にやる。すごく間抜けな顔で驚いていた。
「変なこと、考えてない?」
「い、いやぁそんなことは……」
「自分が消えるべきとか、そんなことでしょ?」
「………さ、さぁ」
目を細めて彼を睨む。側から見れば異様な光景であるが、別にどうでもいい。今はただ、彼のことを見つめていたかった。
「――正直に言わないと、チューしないよ」
目が泳いでいる。素直なんだか、単純なんだか。でも、それが真村真嗣という人間の魅力なのだ。こんな顔をしているのに、私のことを助けてくれる優しい人。
胸が痛い。この状況で「好き?」と聞いたら、君はなんて返してくれるだろうね。私はあなたが思っているほど、素直な人間じゃない。嘘に塗れた女なのに。
それでも。
好きだなんて言われたら、ドキドキしちゃうよ。
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