衝突?


 放課後の屋上は誰も居なかった。かえって都合が良い。夕焼けに染まっているけれど、全然ロマンティックなんかじゃない。

 風が強い。黒髪が靡く。結んでくればよかったと軽く後悔した。そんなところに、彼女はやって来た。冷静な顔をしている。


「こうやって話すの、初めてかもね。酒井さん」

「そうね。来ないかもって思ったけど」


 山岸しずく。彼に好意を持った彼女らしく、言葉には棘があった。私の思い込みかもしれないけれど、なんとなく、普段見る彼女とは違った雰囲気を醸し出していた。

 別にどうでもいい存在であることには違いない。だけど、私は山岸を呼び出した。それには明確な理由があったから。


「――彼に何を言ったの」


 今日、私たちは病院で相談する。彼は先に病院へ向かわせた。

 私は見てしまったのだ。昼休み。山岸と彼が話しているところを。

 別にそれだけで呼び出したりはしない。異性と話すなと言うほど心は狭くないつもり。

 その後の彼がおかしかったのだ。ふらふらで屋上を出て行った後、教室に戻ってきた彼は顔色が悪くて。だから察した。彼女が何かを言ったのだと。


「別に何も? 普通に話しただけだし」

「彼があんなになっているのに、よくそんなことが言えるね」

「さあ。酒井さんに関係ある?」

「むしろあなたには関係ないんじゃないの? 山岸さん」


 風が強いせいで、つい声が大きくなる。相手に声が届かないのはムカつくから。昼休みの心地良さは無くなっていて、冷たい空気に包まれた屋上。でも、寒くは無かった。不思議と。


「なに? 近づかないでなんて言うつもり?」

「そんなことはしない。ただ、彼のことを考えて発言してほしいだけ」

「……へぇ」


 山岸はニタッと笑った。不気味な顔。普段は見せない顔を見せてきたと思って、思わず身構えた。


「ソレをあんたが言う権利、あるの?」

「あるに決まってるでしょ。私は彼の――」

「恋人だから? でも、本当にそうなのかな」


 唇に手を当てて、あざとく考えた顔をする。でも私の本能が言った。コイツは分かっていてそんな顔をするんだと。だから身構えるのをやめない。私の伸びた黒髪。彼が時々褒めてくれる。綺麗だなって。


 あの表情を思い出すだけで、私は――。


「二人、本当に付き合ってるの?」

「は……?」

「しんちゃん、入院する前は彼女なんて居ないって言ってたし。退院してきて急にそんなことある?」


 彼女の指摘もごもっともだ。

 私たちの関係はそんな深いものでも、浅いものでもない。すごく中途半端。


「あるから今があるんだよ。あなた、入院中の彼を見たことあるの?」

「週一で会いに行ってたけど」

「そう。私は毎日会ってたよ。だから」


 張り合ったつもりは無かったけれど、結果的にそうなってしまった。別にいい。実際そうだし。

 時々彼の口から山岸のことを聞いていたから、お見舞いの件は知っていた。だけどその時は好意があるとか考える余裕も無かったし、考えるつもりもなかった。

 学校に彼が戻ってきて、自然と彼女の態度に目がいった。私から見てもあからさまな好意。ソレをほったらかしにしていた彼も彼だ。


「……あなたは知らない。彼がどんなに苦しんでいたか」

「……」

「今だってそう。必死に生きようとしてる。なのに、あんな顔をさせるのは、本当にやめてほしい」


 私が危惧しているのは、彼があらぬ形で現実を知ってしまうこと。いつか向き合うタイミングが来るだろうから。それまでは、何事もなく、平穏に彼に過ごして欲しいから。

 こんなの私のわがままだってことぐらい分かってる。彼に言わせれば、なんでお前が決めるんだって思うはず。


 でも、そうしたくなるんだ。

 今の彼を見ていると、危なっかしくて、いつ自分の命を捨てるか分からないぐらいに。


「自分勝手ね。あんた」

「……分かってる」

「分かってる? ふざけないで!」


 山岸の語気が強くなった。思い切り私に対する嫌悪感が伝わってくる。彼女からすればそうだろう。私の方が理解しているなんて言い出してもおかしくない。

 でも、私は一緒に住んでいるから。普段の彼をこれでもかと見つめてきた。だから分かる。今の彼に自己判断させるのは無理な話だと――。


「好きでもないくせに、彼を振り回すのはやめてよ!!」


 思考が乱れた。痛んだ。

 全身に広がっていく。血の流れに乗って、嘘の事実が毒に変わっていく。

 好きでもないくせに――。あぁ、こんな簡単に核心を突かれるなんてなぁ。面と向かってこんなことを言われたら、何も言えなくなるのが目に見えていたのに。


「なんで……そんなこと」

「誤魔化さないで。私、分かるよ。一応同じ女だし。今のあんたからは、恋している感じがしない」

「それこそあなたの主観じゃない!」

「ええそうよ。でも、私は確信してる。あなたはしんちゃんのことをなんとも思ってない」


 山岸は止まらなかった。きっとこれまで我慢していたのだろう。吐き出てくる私への不満が多いこと多いこと。

 でも、彼女の言う通りだった。私は――彼に恋をしているわけじゃない。ただ助けたくて。彼のことを。そして、自分の心を。そのために彼に嘘をついた。


「ほんと、私、あんたのことが嫌い」


 何も知らないくせに、と言えなかった。

 頭に浮かぶ彼の顔が、切なくて、胸が痛い。恋をしていないからといって、彼の手を握ってはいけないのだろうか。彼に同情しちゃダメなのだろうか。私は――誰も好きになってはいけないのだろうか。


「――いい加減にしろ」


 情けなくも潤んだ瞳でも、それはよく分かった。その声。聞き慣れた声。心の底から安堵する声。


 まただ。キスしたあの日のように。

 いつも優しい、私の恋人は。

 こうして颯爽とやってくる。


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