おはよう、恋人

告白?①



 僕の恋人は、客観的に見て恐ろしく美人だ。彼女が何と言おうと、この事実は歪むことがない。否定する人間が居るのなら、ソイツは目が腐っている。

 あの夜のことを思い出すだけで、正直非常に胸が痛い。下半身が痛い。よく我慢したなと自分でも思っている。これも全部思春期のせいだ。


 月明かりの下で、心を覗き込むように、甘い瞳をぶつけてきた彼女。どう見える?――なんて聞いてくるから、そりゃあとっても綺麗だよと。言葉を包み隠さず言うなれば、襲う五秒前状態であった。


「……すげぇよ」


 思わず漏れた小さな小さなソレは、自身への賛美。とは言っても、もう一つの人格に対してだ。あんな美人と一つ屋根の下で暮らしているくせに、キスの一つもしていないらしい。あの日の酒井の反応を見れば、何となく分かる。

 明らかに、あの夜は僕のことを待っていた。帰宅して、風呂に入って、どこか浮き足だった態度は分かりやすくて。その時はもう一つの人格が相手をしていたが、何故かその記憶が僕の頭にもこびりついていた。何かが変わりそうな時期に入ったのだろうか。あまり良い気分では無かった。


 現に、こうして意識が上がってくる。その頻度は明らかに増えて、そして時間も長くなってきた。普通に考えればそうだ。だって僕が本来の人格で、時間の積み重ねが違う。この体に染み込んでいるのは、僕の方なのだから。

 だからと言って、それを歓迎するかと言われれば話は変わってくる。正直、僕はこのまま深い海の底に沈んでしまいたいのが本音だ。本来なら、もうこうして学校に通うことすら無かったのだから――。


「――俺と付き合ってみない?」


 背中越しに聞こえてくるのは、少し低い男の声。そして、その声は黒髪ポニーテールの少女に向けられていた。

 誰もいない階段の踊り場。少しでも横に動けば、二人の空間に割って入ることが出来る。放課後の学校。それも修学旅行を一週間後に控えた今この時間に告白する勇気は流石と言ってやろう。


「ごめんなさい」


 周りが静かだからその声がよく響くこと響くこと。まさに一蹴である。

 実際のところ、それもそうだ。だって彼女は、僕の恋人なのだから。つまりこの男は、彼女の恋人が見守っているとは知らず人の女に告白してみせたのだ。なんともまぁ、イカれた奴である。


 ……と言っても、僕が気がついた時にはこの場に立ち尽くしていたんだけど。つまり、もう一つの人格が彼女たちのことを尾けたのか、偶然こんな場面に遭遇してしまったのか。どちらにせよ、肝心なところで人格を沈めるとは身勝手な奴である。

 彼女の答えが聞きたくなくて、逃げたのかもしれないな。わざわざこの場に残ったまま。僕が言えた口ではないが、卑怯で女々しい。


 ま、告白自体は酒井がフッておしまい――とはならない様子だった。


「なんで?」

「その……先輩のことよく知らないですし」

「良いじゃん別に。これから知っていけば」

「そういうわけじゃなくて……」


 先輩ということは、三年か。受験前に何やってんだコイツは。比較的真面目な学校だと思っていたが、こんな奴が居たなんて。馬鹿らしくなる。発言する内容もまさしく馬鹿だ。


「……すみません。失礼します」


 そんなヤツにも、彼女は丁寧に頭を下げているのだろう。それもそうだ。僕なんかの側に居てくれるような優しい人、というか、お人好し。適当に相手して、その場を誤魔化せばいいのにと、声を大にして言いたい。


「ちょっと待ってよ。なら連絡先だけでもさ」

「えっ、ちょ、ちょっと……!」


 二人の声色が変わった。男はより低く、脅すような声。彼女は、怯えたようなか弱い声。

 体が強張る。途端に全身の血流が良くなったように、体温が上がっていく。ここで今、出ていくべきか否か。そう考える前に、体が動いていた。


「あの。嫌がってますよ」

「は?」


 案の定、校則ギリギリまで髪を伸ばした男が酒井の手首を掴んで逃がすまいと躍起になっていた。告白というよりは、行き過ぎたナンパだ。見ているだけで反吐が出る。

 僕が声を掛けると、二人は揃ったように僕の方を見る。酒井は驚いていたが、その瞳はいつもより潤っていた。怖かったのだろうか。

 そんな姿を見たら、フツフツと湧き出る嫌悪。彼女に好意を抱いているつもりは無かったけれど、恩があるのも事実。思わず拳を握りしめていた。


「なに? ヒーロー気取り?」

「でしたら、そちらは悪役気取りですか?」

「は? なめてんの?」

「僕の恋人に手を出す人に言われたくないですね」


 そう言って、無理矢理男の手を振り払った。語気を強めていたコイツも、恋人というフレーズを聞いて少したじろいでいた。ある意味単純で、扱いやすいタイプの先輩である。


「彼氏持ちかよ……うぜ」


 本当に単純な奴で良かった。普通に考えて、こんな美少女の彼氏が僕みたいなパッとしない奴なわけがない。偏見かもしれないが、僕みたいな人間だからこそ分かるなのだ。


「行こう」

「う、うん」


 酒井の右手首を掴んだまま、静かな学校の廊下を歩く。彼女の手はこんなにも細くて弱々しい。それを結構な力で握っていたアイツが憎たらしいくすらある。

 とりあえず、僕に課せられたミッションはクリアしたと思う。あとはもう一人の人格が浮き出てくるのを待つだけであるが、心の中に波が起きない。なんとなく、出てくる気配が無い。


 全く、本当に身勝手な奴だ。



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