同棲?⑨



「随分とお疲れのようで」

「掃除ってこんなキツかったっけ……」

「慣れると大したことないよ。真村くんってズボラ?」

「この姿見れば分かるでしょ」

「ふふっ。確かに」


 自分でも驚くほど、昨日はよく眠れた。

 寮で暮らし始めた頃は中々寝付けなかったのに、不思議なこともある。

 普段の休日ならダラダラと過ごしていただろう日曜日。まだ九時過ぎだと言うのに、とてつもない疲労感に襲われていた。


 風呂から、トイレから、自分の部屋まで。一通りの掃除を終えたからである。

 これを酒井は毎日一人でやっていたと言うのだから驚きだ。俺なら間違いなく一週間に一度するかしないか。


「早起きは三文の徳って言うじゃん」

「まだ九時だもんな。時間はたっぷりある」

「うん。ゆっくりして出掛けよ」


 彼女が淹れてくれたコーヒーを啜りながら、一息つく。言う通り、片付けるべきことを終えた朝のコーヒーは格別である。


「宿題やったか?」

「うん。一応ね」

「…………ほう」

「ダメだよ」

「何も言ってないだろ」

「分かるよ。もうっ」


 奥の手をひらめいたというのに。

 勘のいい奴だ。全く。

 コーヒーを啜り、舌の上に広がる苦味に溺れてみる。この中途半端な恥ずかしさを誤魔化すにはまだ甘い。


 向かい合っている酒井も、俺と同じようにコーヒーに口付ける。スウェット姿から外出用の私服に様変わりするだけで、妙に絵になる。


「なに?」

「いや。なんか変な感じ」


 テーブルにコップを置きながら、彼女は少しだけ目を細める。俺の言葉の意味が分からなかったらしい。それを返答と受け取って、話を続けることにした。


「全然リラックス出来ててさ。慣れるまでもっと時間かかると思ってたのに」


 正直な話、慣れることすら無いだろうと思っていた。それぐらい自分の置かれている状況が異質だと分かっているつもり。ずっと体に力を入れて生活することぐらい我慢する気だった。


 蓋を開けたらそれがどうだ。

 まるで実家に居るような感覚すら覚えている。たった一日だけだが、その時点でコレだ。嬉しい誤算と言うべきか。それとも、ソレ以外の何かと捉えるべきか。


「ふふっ。良かった」


 よく似合うポニーテールが少し揺れる。溢れる白い歯も、この家の空気と同化していて。

 とても居心地が良い。寮生活で相部屋だった時と比べても、今が数段上。もちろん、自分だけの部屋があることも大きいが。


「実は私も。違和感ないんだ」


 違和感が無い、と言う。

 「ほぅ」とだけ返事をして様子を伺う。特に言葉は期待できない。あるのはコーヒーを啜る音だけ。どこか寂しく鳴く。


 リラックスしているのは事実だ。

 ……だが、やはり。

 拭えないこの


 この感情に名前を付けるとするなら、何としよう。そう思ってしまうぐらいには自分でも理解出来ていないのである。


「……時々そんな顔する」

「へっ?」

「怖い顔。思い詰めたような」


 コーヒーを啜っていた酒井は、いつの間にか俺の顔を見て寂しそうな顔をする。

 完全に気を抜いていたせいか、露骨に顔に出ていたらしい。間抜けな返事とともに、頬へ手をやって筋肉をほぐしてみる。


 時々、と彼女は言った。

 これまでにも見てきたらしい。それだけ彼女にはバレているということか。


「別に怒ってるとかじゃないから」

「……うん。分かってる」


 酒井はそう言うと、ちょうどコーヒーを飲み終えたらしく。一人、コップをキッチンへ持って行った。

 その後ろ姿は、より小さく見える。残り少なくなったソレを一気に飲み干し、俺も続くようにキッチンへ足を伸ばす。


「洗っとくよ」

「ううん。私がやるから」

「これぐらいやらせて」

「いいってば!」


 どうやら、何かに苛ついているのは彼女の方らしい。こんなことで声を荒げない酒井が、今は違う。自分でソレに気付いたのか、申し訳なさそうに俺から顔を背けた。


「あ……ご、ごめん……」

「ん。任せたよ」


 声を荒げてしまったことに対する謝罪だろうか。

 まぁ、ここで問い詰める気にはなれなかった。素直に引き下がって、キッチンを後にする。

 リビングに置き忘れたスマートフォンに触れると、神山先生からメッセージが届いていた。つい二分前だ。


『共同生活は順調かな?』


 ほんの三十秒前までは、まさにそうだったのに。一瞬で妙な気まずさに包まれてしまった。

 別にどっちが悪いとかではない。いずれにしても、衝突はすると思う。彼女だって不満を抱えて生きているのは間違いないし。この間まで赤の他人だった男と一緒に暮らすとなれば、なおさらだ。


 だから、悲観することはない。

 したところで、何も生まれないから。


『前途多難ですよ』


 そうは言っても。やはりこれだろう。

 いろんな意味を込めて、文字を紡いだ。


 ここまで冷静でいられるのも、この家の雰囲気に馴染んでいるからだと信じて。


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