同棲?⑧
風呂上がりの酒井は、それはそれは艶かしい雰囲気を纏っていた。桜色のスウェット姿で、濡れた髪から香るその甘い匂い。血液を燃やす特殊な薬でも入ってるのかと疑いたくなるぐらいに、体温が上がったような感覚。
時間は二十二時を過ぎていて、寝るには少し早いぐらい。だが、普段とは違う一日を過ごしたせいか、いつもより眠気は強い。かと言って、眠る気にはなれなかった。
ドライヤーの音が静かなリビングに響く。
スマートフォンをイジるしか無い俺にとって、それは不協和音にすらならない。彼女が戻ってきたら、大人しく部屋に篭ろうと考えていた。
数分後、髪を乾かし終えた酒井が戻ってきた。俺にやる視線は、どこか気を遣ったモノだった。
「明日は何かする?」
「どこか出掛けようか。せっかくだし」
「うんっ」
酒井はテレビを付けて俺の隣に腰掛けた。
画面に映るソレは決して面白そうとは思えない恋愛ドラマ。
「これ、私好きなんだ」
「へぇ」
「面白いの?」なんて聞かなくて良かった。
明日は二人で遊びに出掛ける。風呂上がりのまったりとした時間にそんなことを言い合うのだ。ある意味、どこにでもいる同棲カップル。幸せ者なのだ。
でもそれを素直に受け取れないのが、俺と酒井凪沙の関係。夕飯の時、少しだけ踏み込んだだけで、それ以上は正直怖い。だから今はこのままで良い。
「あ、ごめんね。見たい番組あった?」
「ううん。最近テレビ見てないからさ」
「そっか」
動画サイト、というよりスマートフォンが普及してからは、テレビ番組なんて見る機会は無い。あるとしても、テレビで動画を見るぐらいだ。
真っ直ぐと画面に視線をやる酒井をよそに、俺はそのままスマホに目線を落とす。
不思議と心地良かった。「寝る」と言って自室に籠ることだって出来るのに。不思議と、彼女の隣にいることで心が落ち着いた。
普段よりも甘い匂い。石鹸とシャンプーが綺麗に混ざった格別の香り。無防備に振り撒かないで欲しい。嗅いでしまうこっちの身にもなって欲しいよ。
「明日、どこ行こうか」
「……どうしようかね」
ドラマに集中していたんじゃないのか。
少し返答が遅れたせいで、酒井はクイッと俺の顔を見る。話が進んでるぞ、と言うのは野暮な気がした。
「とりあえず喫茶店以外」
「あはは。それは言えてる」
酒井は笑う。
俺の言葉の意味が分かったらしい。
思い返してみても、二人で遊びに行ったと言えば本当に喫茶店ぐらい。高校生のデートにしては少し落ち着き過ぎている気もする。
別に嫌いでは無い。むしろ好きな部類に入るが、さすがに違う場所が良いだろう。
「凪沙って休みの日何してるの?」
「うーん。なんだろ」
家を見た限り、テレビゲームを置いているわけでもない。男から見ても、かなり質素な家だ。女の子らしい飾り付けなんてものは無い。本当にシンプルな部屋。
そうなると、この子は普段何をしているのだろうか。俺の問いかけは、至って自然な流れになった。狙ったわけではないが。
「料理とか?」
「毎日自炊するけど。でもずっとするわけじゃないよ」
「それもそうか」
「……でも掃除とかしてたら、なんだかんだで一日終わっちゃうな」
そう言われて、もう一度部屋を見渡す。
確かに、すごく綺麗な状態だ。フローリングも、テーブルも。毎日しっかり掃除しているのが目に見えて分かる。
俺だったら、まず間違いなく後回しにするだろう。一人だし、気にする男の方が珍しい。それに、一人で掃除するにも広めの家だ。かなり手間で面倒だろうに。
「……明日から俺もやるから」
「えっ? いいよそんな」
「いやいや。その……恋人なんだし」
「う……うん」
どうしてそこで狼狽えるのかは分からない。が、ここでそれを問い詰めるつもりは無い。
「俺もする。凪沙ばかりに負担はさせないよ」
「でも……」
「協力しようよ。そうしないと先生に怒られるよ。俺たち二人が」
学校から認められているとは言え、異例中の異例だ。毎月報告書を提出することになっている。報告書と言っても、生活リズムや家事状況などをまとめるだけのレポート。しっかり分担し、協力しているかどうかを見るためらしい。
これで酒井一人に負担が集中していては、学校で何を言われるか分からない。それは俺としても心外だ。無論、虚偽報告するつもりも無い。
「すごいよ。凪沙は」
「えっ?」
「ずっと一人でさ。料理も、掃除も。ちゃんとやってて。凄い」
この子は俺なんかより、よっぽど大人で。
ずっと先を歩いているような気がした。一人暮らししている社会人よりも、しっかりした毎日を送っているのではないか。
「そんな急に……変なのっ」
酒井は立ち上がって、キッチンの方に消えていった。生憎ここからでは顔が見えない。照れているのだろうか。それならそれで可愛いのに。
付けっぱなしのドラマは、中盤ぐらいの駆け引きが行われているよう。彼女はどこまで見たのか分からないが、少なくとも途中からでは話の流れを理解できない。
「……ねぇ真村くん」
キッチンから戻ってきた酒井は、俺の前に立つ。テレビが隠れて見えないが、別に気にしない。
「明日は映画でもどう?」
「いいね。家のこと片付けてから」
「うん。二人で、ね」
「おう」
明日からの日常が、少しだけ楽しみだ。
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