同棲?⑦


 とにかく落ち着かない。こんな土曜日は久しぶりだ。

 リビングでテレビを付けていても、大して面白くない番組の再放送だけ。手持ち無沙汰を誤魔化すように視線をやっていたが、つまらないモノを長時間見る苦痛は思いの外でかい。


 でも、良い匂いがこの空間を包んでいる。台所に立つ酒井の手料理だ。

 手伝おうとしたが、今日はいいと断られた。俺の歓迎会をするとのこと。そのくせ、昼飯は用意してくれなかったが。

 流石に一日何も食べていないと、動くのも億劫になってくる。食べ盛りである男子高校生には少々厳しすぎる罰ではありませんかね、酒井さん。


「ご飯、出来たよ。お茶注いでくれる?」

「ありがとう。それぐらいはいくらでも」


 二人で丁度いいぐらいのテーブル。

 その中央には、丁寧に盛り付けられたサラダボウル。向かい合うように置かれた味噌汁と白ご飯。そして、メインディッシュであるデミグラスハンバーグ。


「おぉ……」


 感嘆な声を上げた。無理もない。思っていた以上に完成度が高く、忖度なしに美味そうだ。というか匂いでわかる。間違いなく美味いと。

 すっかり意識は彼女の手料理に。つまらないテレビを消して、冷蔵庫から麦茶を取り出す。

 二つのコップにソレを注ぎ、向かい合うように置く。手を洗い終わった酒井が椅子に腰掛けたのを見て、俺も続く。


「それじゃあ……食べよ」

「う、うん。いただきます」

「どうぞっ」


 ここ最近で一番丁寧に手を合わせて、そう言った。寮の食事とはまた違う。この家庭感。どこか懐かしくて、切なくて。

 啜った味噌汁は、好みの塩気具合で食欲を高めるには十分すぎる。

 本来ならサラダからいくべきだろうが、何せ今日初めての食事。大きめのハンバーグに切れ込みを入れて、そのまま口に運ぶ。


「美味っ……」


 無意識に漏れたその言葉。だからこその本心だった。


「ふふっ。良かった」


 その安堵した表情。裸エプロンなんて言って怒らせたのを後悔するぐらい綺麗で。

 白飯をかき込むと、これがまた美味い。頬が緩んでしまって仕方がない。でも、今だけはそれで良いと思った。それが、彼女へのお礼でもあるのだから。


「料理、めっちゃ上手いんだな。凪沙って」

「そんなことないよ」


 彼女は謙遜するが、それこそ「そんなことはない」。これで上手くないと言えば、大抵の人間は料理下手だ。

 だが、そこで謙遜するのが酒井凪沙という人間でもある。彼女のことを百パーセント理解したわけではない。だが、あの頃より少しは分かってきたと自負はしている。


「……嬉しいな」


 「なにが?」聞き返すと、彼女は笑いながら言う。


「こうやって誰かに食べてもらったの、初めてなんだ」

「そう……なんだ」

「いつも自分のために作ってただけだから」

「自炊するだけ凄いよ。俺には無理だ」

「あはは。慣れたらどうってことないよ」


 少しだけ。ほんの少しだけだった。

 やっぱり俺は、彼女のことを知らない。ほんの少し知った気になっただけで、根本的な問題からは目を背けたまま。


「……一人は長いのか?」


 味噌汁を一気に流し込んで、思い切って問いかけてみた。遅かれ早かれ、聞くつもりだった疑問。あえて噛み砕かず、直球で。

 酒井は右手に持っていたピンク色の箸を皿に置いてみせた。それが一つの意思表示であることぐらい、簡単に分かる。


「高校に入ってからはずっと一人。中学時代もそれに近かったけど」

「ご両親、家を空けることが多かったのか?」

「うん。共働きでさ。家族の時間なんて全然無くて」


 ある程度想定はしていたが、面と向かってそう言われるとやはり体は強張る。この神経を暖めるような匂いには合わない話。

 それでも、聞かなきゃいけない。それが一つの役目でもある。とにかく酒井凪沙のことを知って、この胸のつっかえが取れるのなら、それで。


「だから、こんなに嬉しいご飯は久しぶりなんだ」


 そう言う彼女は、やっぱり綺麗で。微笑みの中に隠された悲しみすら、この湯気に飲み込まれてしまいそうに。

 これ以上、酒井の中に踏み入れるべきではないと察した。本能だ。きっとこの先、もっと機会はあると言い聞かせて。

 気がつけば、ハンバーグは無くなっていた。それに合わせて白米も。そんな俺を見て、酒井は優しく笑った。


「真面目な話をしてたのに、真村くんずっと食べてばっかり」

「あ、いや、これは……」

「ふふっ。相当お腹空いてたんだね。でも、やっぱり嬉しい」


 目の前にいるこの子と、これから暮らす。きっとそれは、今の関係を崩すことになるのだろうと。よく分からない感情。根拠なんて無い。直感と言えばそれまでだ。

 でも、人間取り繕うにも限界がある。ある程度気を抜く場面だって必要になるはずだ。その機会を、彼女は手放したと言っても過言では無い。

 彼女が、俺のことを恋人だという理由。それが暴かれる機会が増えるだけなのに。酒井は俺をこの家に招き入れた。


 いずれにしても、今日から新たな生活が始まる。彼女が何を思って、何を言い出すのか。少しずつ、少しずつ聞ければ良い。

 それが例え、良い結末でないにしろ。



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