同棲?⑥



 退寮の日。九月も末。ようやく涼しくなってきたような気がする。あくまで気だけ。

 荷物という荷物は、一つのキャリーバッグに収まる程度で済んだ。私服が少なくて良かったと初めて思えた。

 あとは学校のカバンに詰めるだけ詰めて、普段はしない持ち方をしてみる。重いといえば重い。それでもまだマシな方だ。学校に置き勉しておいて良かったよ。本当に。


 同部屋の奴からは餞別としてお菓子を貰った。あんまり話したことはなかったが、逆にそれが相手にとっても良かったらしい。また学校で、なんて会話をして別れた。


 入学してからずっと暮らしていたここともお別れ。やっぱり寂しさある。でも、それにしがみついていたところで何も生まれない。だから俺は、割とすぐに背を向けることに成功した。


 一人だけ民族大移動のような格好をして、バスに揺られること三十分。酒井が示した住所までやって来た。

 そこは普通の住宅街で、マンションが並ぶ。タワマンとまではいかないが、見るからに高そうな分譲マンションも見受けられる。


 どんな家に住んでいるのだろうと、期待しながらナビと照らし合わせる。目的地はすぐに分かった。


「……マンションだ。普通の」


 五階建てで、鉄筋コンクリート造だろうか。外壁は所々汚れていて、それなりの築年数を感じさせる。だが、汚い印象は受けなかった。

 酒井によれば、ここの三〇三号室らしい。時刻は十四時。この時間は家にいると言っていたが、知らない家のインターホンを押すのって結構勇気いるな。


 マンション名と部屋番号の書いてあるメッセージをもう一度確認する。うん、ここで間違いない。意を決して、オートロックのインターホンを押してみた。


「お疲れ様っ。開けるね」

「お、よかった」


 これで間違っていたらどんな顔をすればいいか。とりあえずは一安心だ。

 三階となると、階段でもいいな。でもこの荷物を抱えて上がる気にはなれない。大人しくエレベーターを呼んで乗り込んだ。


 人を運んでいる感のすごいエレベーターだな。揺れるというか、安定感を感じない。何事もなく三階に着いて、逃げるように降りる。


 三〇三号室。二度目のインターホンを押すと、ひょこっと彼女が顔を出した。


「お疲れ様。どうぞ」

「お、おう……」


 ドアを開けた瞬間、ブワッと香る良い匂い。人の家に入るのは何年振りだろう。

 これまでの人生を思い返しても、人の家の匂いは得意じゃない。独特な生活臭がどうも苦手で。

 でも、この家はすごく好みの香りだ。不思議。

 そもそも、普段から良い匂いを振りまいている酒井が住んでいるのだから、それもそうか。


「……なに?」

「いや、久々に私服姿見たから」

「見惚れてた?」

「違和感がすごかっただけ」


 「もうっ」彼女は呆れるが、心なしか嬉しそうに見える。気のせいかもしれないが。

 玄関には少ない靴が並べられていて、少し寂しい。可愛らしい服を着ているのに、靴には興味がないのだろうか。


 玄関から伸びる短めの廊下。

 右側にドアが二つ。左側に一つ。正面にもドア。その向こうはおそらくリビングだろう。


「真村くんのお部屋はここ。自由に使って良いから」

「マジか」


 一番玄関に近い部屋。誘われるがままに中を覗いてみる。


「ベッドはないから、お布団で我慢して」

「十分だよ」


 寮生活の圧迫感を知っているから、一人部屋があるだけで嬉しい。それに広さも十分だ。簡単なテーブルと棚しか置かれていない質素な部屋ではあるが、これぐらいスッキリしている方が居心地が良い。


 体に掛けていた荷物を下ろすと、解放感がすごい。

 一つ息を吐いて振り返る。酒井が部屋の入り口で待っていた。こっちだよ、と手招きしている。スルスルっとついて行く。

 廊下とリビングを仕切るドア。カチャリとノブを下げる音がよく響く。


「リビングも質素だね」

「一人だからモノが多いと掃除も面倒で」


 俺が思っていたよりも、それはそれはシンプルな空間だった。手前側に食事用だろうか? 木のテーブル。その奥には緑色のソファと透明な小さめのテーブル。そして少し大きめのテレビ。女子の一人暮らしとは思えないシンプルさ。まるで単身赴任のサラリーマンだ。


「へぇ。和室もあるんだ」

「うん。私はいつもここで寝てる」

「自分の部屋ってないのか?」

「一人だし、あんまり場所関係ないからね」


 それもそうか。自分の部屋を持っていたところで、この家自体がそうだ。一人であればそれで問題ない。

 だが、今日からはそういうわけにはいかない。俺だけ部屋があるのはなんというか、少し気が引ける。


「遠慮しないでいいからね」

「……何も言ってないけど」

「顔に書いてるよっ」


 ……こんなんで大丈夫か。俺たちの同居生活は。そうは言っても、しばらくは気を遣うだろう。そのしばらくというのは、ずっと先までかもしれない。


「今日から私の部屋はこの和室。ここで寝るから、無闇に開けないでよね?」


 恋人なのになぁ。

 なんて言ってたら笑われるだろうか。引かれたらどうしようかな。

 俺たちの関係は、本当に何なのだろう。ずっと避けてきていたが、その事実から逃れることは出来ない。俺は、知らないといけない事実から目を背けているようだ。


「そういえば、お昼食べた?」

「あ、食べてないな。バタバタしてて」

「何か作るよ。食べたいのある?」


 そんな理想的な展開に、耐えられる男は居るのだろうか。いや、居るはずがない。居てたまるかってんだ。


「裸エプロン」


 欲望の赴くままに発言すると、昼食抜きになりました。明日から気をつけよう。


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