同棲?④
神山先生に相談してから、妙に胸が軽い。胸が軽くなったら、不思議と体も軽くなった気がする。
あのまま溜め込まず、吐き出したのは正解だったようだ。先生も言っていたが、俺らはまだ子ども。素直に大人を頼っても良いんだ。
夏ヶ丘高校の学生寮は、男子棟と女子棟に分かれている。俺のように地元から離れている生徒も居るが、大半は部活動のために遠方から進学してきた生徒。同部屋の奴もそうだが、あんまり口数の多いタイプじゃない。二年目だが、基本的に喋らないのが当たり前になってしまっていた。
夜の九時。飯も風呂も済ませ、あとは自室で自由な時間。学校の管轄であることもあって、羽目を外すことは出来ないし、極力自室で勉強しろと言われている。
高校生なんて、遊ぶ生き物だ。そんなルールを守る生徒の方が珍しい。
九月。自室のベランダ。昼間はあんなに暑いのに、夜は秋の顔を覗かせる。気まぐれだな、世界というのは。だがその気まぐれさに、人は振り回されながら生きていく。まん丸の月が笑っているような気がした。
普段ここに立つことは滅多にない。俺も去年母さんに電話した以来だな。だが、今日の相手は違う。今、俺を振り回しているあの子だ。
独特の呼び出し音。無料通話アプリってこんな感じだったっけ。なんかショボいというか、まぁ無料だしな。
「―――も、もしもしっ?」
「なんで疑問形なんだよ」
「だ、だって急に電話なんか……」
割とすぐ出てくれた。いつもより声がか弱い気もするが、電話だからだろうか。声の後ろからカシャカシャと音が聞こえる。衣擦れの音か?
「今、大丈夫? 少し話があってさ」
「う、うん。大丈夫」
「家?」
「そうだよ。真村くんは寮?」
「そそ」
電話越しで聞く彼女の声は、どこか新鮮だった。そういえば、初めてだな。酒井と電話するの。少しドキドキする。星が眩しいな。
「……今何してた?」
「いま? えっと……ご飯食べて後片付けしてたとこ。これからお風呂」
「ふーん」
「……変なこと考えてる?」
「なんでそうなる」
「だってほら、その……」
一緒に住むようになってからのこと、考えているのだろうか。
はい、考えています。バリバリ妄想してます。いくら大人ぶっても、俺はまだ子ども。思春期全開フルアクセル。風呂上がりの彼女を見て、色々と我慢できる自信が無い。
あぁ、なんで神山先生も勧めたのかなぁ。
なんで俺もその気になってんだろうなぁ。
馬鹿みたいだなぁ……。
「真村くん?」
「え、あ、あぁ悪い」
何か言ったのだろうか。変に考えてしまって全く聞いていなかった。自分から電話しておいて、これは恥ずかしい。
「……ごめんねっ」
「えっ?」
唐突な謝罪。いきなりどうしたと聞く前に、彼女が言葉を紡いでいく。
「私、真村くんのこと困らせてばっかりだね。全然、その、恋人らしく出来てなくて。ごめんね」
何を謝ることがある。あれだけ側に居てくれて、恋人らしく出来ていないなんて。そんなわけあるもんか。君は、君が思っているよりずっと素晴らしい子なんだ。
「別に困ってないし、楽しませてもらってるよ」
「……ありがと。気を遣ってくれて」
「違う」
「今日だって私―――」
「一緒に暮らそう」
星が降ってくるような気がした。
あまりにも綺麗な夜空は、俺に似合わない。隣に恋人が居たのなら、この質素なベランダも映えたモノになるのだろうか。
すぅ、と呼吸する音。彼女の小さな肺が膨らんで、やがて吐いて。鼓動が電話越しに聞こえて来るような夜の静寂だ。
恋人よ、何を言う。
俺のこの発言に対して、君は何を想う。心の中を見せてくれとは言わない。ただ、君の想いに浸ってみたい。綺麗な夜空と、星の下で。そんなワガママ。
「……プロポーズみたい」
「なんだよそれ……」
気が抜けた。ため息とともに。膨らんでいた浮き輪が一気にしょぼくれる感じだ。
なんだよプロポーズって。今度は同棲すっ飛ばして入籍か? 俺、十八歳なってないから無理だな。
「……どうして急に?」
「あー。まぁ、気分的に」
「明日になって「やっぱりやめた」とか無い?」
「どうかな」
「ひどい。サイテー。いじわる」
「その三段活用やめてくれ」
快活で、明るくて、ハキハキと。そんな酒井凪沙じゃない。
すごくお淑やかで、声が落ち着いていて、甘くて。俺に心を許してくれているような、優越感がすごくて。このままずっと、電話していたくなる。
スマートフォンが熱を帯びていても、さっきのコーヒーカップと比べたらどうってことない。この熱さは、きっと彼女の想いだろう。そうであって欲しいなんて思うのは、ワガママだろうか。
「俺と、凪沙は似てるってさ」
「変態メガネが言ってたの?」
「うん。神山先生な」
彼に勧められたということは、言わなくて良い。確かにそれは事実だが、こうして電話したのは俺の意志でもある。そして、一緒に暮らす覚悟みたいなものも。
「藤村先生にまた言わないとだね」
「ま、なんとかなる。多分」
「多分?」
「この世界に絶対なんて無いよ」
「ふふっ。変なのっ」
なんとなく、上手くいく気がする。
神山先生のお墨付きというのがデカい。第一、却下されなかったことを考えると、理由は他にあるのかもしれない。
それは俺なのか、酒井なのか。はたまた、その両方か。今の俺に、それを知る術はない。
「ねぇ」
「なに?」
「今、何見てる?」
そう言われて、つい顔を上げる。目の前に広がるのは、住宅街。でも、顔を上げたらそこに広がるのは。
「月が綺麗だ」
恋人は照れ臭そうにして、笑った。
「意味分かってる?」と聞く君に、脈打って胸が痛い。
あぁ、夜風が冷たい。悲しみの蓋が、外れてしまいそうだ。咄嗟に、言葉を紡ぐ。
「そういえば、人は一人じゃ生きていけないって、誰かが言ってたな」
人と、悲しみを共有するのは難しい。でも、幸せなら共有出来る気がした。
特に、君となら。
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