いっしょ、恋人

同棲?①



 昨日のことを思いながら、クルクルとペンを回す。ペン回しをしている時は、何も考えていない時だとよく言う。確かに、時折パタリと机に落ちるその乾いた音すら気にならない。


 が、何も考えていないわけじゃない。どう考えれば良いのか分からないのだ。

 仕方がない。この授業を使って少し考えてみるか。ごめんよ藤村先生。今は古典よりも現代っ子ならではの悩みと直面しないといけないんだ。


『一緒に暮らす?』

『うん。私の家で』

『どういうこと?』

『だから、一緒に生活するの』

『んんー??』


 昨日の会話を思い出す。一日中ずっと考えていたが、やはり意味が分からない。何故、一緒に暮らす必要がある。互いに住む場所に困っているわけでもなかろう。


『ほらその……恋人だし』


 いやそれはもう夫婦になりかけの恋人だ。俺たちと意味を同じに捉えちゃダメだろうに。

 それに、あまりにも順序をすっ飛ばしすぎだ。俺たちは恋人と銘打ってから約二ヶ月。恋人らしいことは何もしていない。二ヶ月も経っているのに。水着姿すら見せてくれなかったのにっ!


 それを同棲と呼ぶのなら、聞こえは良い。だがこの状況。一緒に暮らすのはあまりにもリスクが大きすぎる。

 その、いやらしい話。事故が起きそうで怖い。あんな甘い匂いを毎日振り撒かれる身にもなってほしい。押し倒しでもしたら、酒井とどんな風に接すれば良いのか。いや恋人同士だし問題無いんだろうけど、そんな単純な話じゃないのが腹立たしい。


『いや流石に無理あるって。凪沙にだって家族が』


 百歩譲って同棲するとしよう。でも、彼女の家族と一緒に住むのは、勘弁だ。いくらなんでも、俺の精神的負担がデカすぎる。気を遣いすぎて気疲れする未来しか見えない。


 考えるだけで気が滅入る。が、あの場面では最高の逃げ言葉に違いなかった。俺に限らず、誰だって嫌だろう。相手の家族の中に潜り込むようなマネは。


『私、一人暮らしなの』

『えっ』

『部屋なら全然空いてるし、いつでも』


 ふざけんなと思った。同居しろよ。

 これが純粋な付き合いであれば、最高なセリフに違いない。一人暮らしの恋人だなんて、もう色々とやりたい放題じゃないか。


 こういう時って、女の方がグイグイ来るモノなのだろうか。無理矢理持ち帰ろうとする男のような強引さを、昨日の酒井には感じた。


 それにしても、酒井が一人暮らしだとは知らなかった。俺と同じように地元から出てきたのだろうか。

 うーん。考えれば考えるほど訳わかんねぇな。俺はどうすれば良い。神様が本当に居るのなら、俺の進むべき道を指し示してはくれないだろうか。


『い、いやでもさ。俺たち高校生だし。その、家事とか俺出来ないし』

『私ある程度出来るから大丈夫。一人増えるぐらいどうってことないよ』


 このハイスペックめ! 

 せめて家ではだらしなくしろよ!


 はぁー……ふぅー……。

 うん。混乱した頭を落ち着けるように深呼吸する。うん。やっぱりそうだな。そうだ。

 正直、同棲は流石に無理がある。第一、高校生カップルが二人暮らしをするなんて、学校にバレたらどうするつもりだ。生憎俺は責任取れないぞ。経済力も皆無だし。


『学校になら相談してみようよ。ウチ私立だし、案外、上手くいくかも』

『んなわけねぇだろ。公立も私立も関係無いって。完全に不純異性交遊にしか思われない』


 教育の場で、カップルが同棲というのは中々に酷い。俺が教師なら大反対だ。

 それでもし、万が一にでも彼女を妊娠なんてさせてみろ。俺たちは学校に居られなくなる。身を粉にして社会に出ないといけないな。

 いや、そうなる可能性は現時点ではゼロだ。だが一緒に暮らしていくウチに情が湧くなんてのは目に見えている。何が起こるか分からないのが、俺は嫌だった。


『それの何が悪いんだろうね』

『高校も教育機関だからなぁ。最悪、退学しろって言われるかもよ』

『私はそれでも良いかな』

『俺は御免だぞ』

『酷いなぁ』

『どっちがだよ』


 大学のことは考えていないが、高校まで進ませてもらったからには、何がなんでも卒業するつもりだ。だから、酒井のように投げ捨てるわけにはいかない。


『でもさ。真村くんの場合は特殊じゃん?』

『なにが?』

『私の家に来れば、寮代は掛からないよ』


 ……ぬ。

 この辺りから、少し風向きが変わってきたような気がした。それを真っ向から否定するだけの材料が無かったのだ。


『お父さんに迷惑かけないで済むんじゃないかなぁ?』

『そ、それは……まぁ』

『私の家、マンションだけど家賃タダだよ?』


 人間、タダという言葉には弱い。

 出費を無くして住めるというのは、現代社会において奇跡だ。雨風しのげて、布団の中で眠れる。タダで。あぁ、なんと甘い響きなのだろう。


『ま、まぁ追々考えよ。すぐ結論出さなくても』


 そう言うしか出来なかった。そして今も、結論は出ないまま。こんなこと、すぐ結論なんて出るわけないって。急いでも良いことないぞ、絶対に。


「――――なーにしてんだ?」

「えっ?」


 意識が浮き上がってくる。場面は教室。右前には、担任で古文担当の藤村勝己ふじむらかつみ先生。四十歳だが、中々に若く見える。


「入院ボケが抜けないか?」

「幸せについて考えてました」

「そうか。俺の授業を真面目に聞いてくれるのが幸せってヤツじゃないか?」

「……すみません」


 クスクスと笑い声が聞こえる。怒られて笑いが取れるのなら、そんな幸せなことはない。

 相談するのならこの人になるのかぁ。相談するだけでブチギレられそうだよ。藤村先生、頭固い人だって有名だし。


 まぁ、良いだろう。急いで考える必要なんてない。もう少しゆっくり、適当に考えよう。


 そう思った自分を、数時間後呪うことになる。



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