日陰?②



 太陽の光を浴びているのに、どうしてこうも胸は晴れないのだろうか。夕焼けに染まる道を歩きながら、普段歩くことのない道を進んでいた。

 山岸と話してから、無性に酒井と話したくなった。だが、それは叶わなかった。帰りに俺が誘おうとしても彼女はそそくさと教室を出て行ってしまって。


 あんな彼女を見たのは初めてだったし、少し驚いた。まるで避けられているような。山岸と二人で話していたのが、そんなに気に食わなかったのだろうか。

 それについて釈明するつもりでもあったんだけどなぁ……。別に変なことを話したわけじゃないし、全部教えるんだけど。


(通院だる……)


 大人しくバスに乗って行けばいいものを。この胸のモヤモヤを誤魔化すために足を動かしたくなった。

 歩いても三十分程度。余裕だろうとたかを括っていたが……。九月とはいえ、まだ暑い。自身の判断を心から後悔した。

 国道沿いだから、車の行き交う音が今は心地が良い。静かすぎたら、きっと頭を抱えてしまう。無駄な考え事をしても意味がない。


 上原中央病院は総合病院だから、院内は常には沢山の人。内科だったり、整形外科だったり。病院らしくない賑わいがあるから、何とも言えない気まずさがあった。


 疲れた足に鞭打って、病院の正門をくぐる。目の前に広がる駐車場には、平日の夕方だというのに沢山の車が停まっていた。きっと混んでるんだろうなぁ。待たされたら嫌だなぁ。帰りこそバスを使おう。


 自動ドアの無機質な音。入ってくる独特の香り。息が詰まるような感覚になる。病院の匂いはあまり好きじゃない。


「すみません。今日十七時に予約してた真村ですが」

「こんにちは。神山先生なら、ちょっと今接客中で」

「そうですか」


 予約していたところで、何があるか分からないのが病院という施設。医師という仕事のことは何も分からないが、とんでもなく忙しい職業だとは理解しているつもりだった。だから、待たされることも承知の上。


 空いている場所を見つけて、腰掛ける。寮には絶対無いようなフカフカなソファ。このまま眠りに落ちてしまいそうだ。


 吹き抜けになっている一階のロビー。母親が入院している病院と構造が似ていて、錯覚を覚える。同時に、ひどい懐かしさ。最後に病院に行ったのは、確か年明けてすぐ。「あけおめ」を言うためだけに行ったら、母さんは笑っていた。


 ただ、体調が優れないのは事実。ここ二年ぐらいは入退院を繰り返していて、子どもながら「もう病気と付き合いながら生きていくしかないんだな」と思っている。


 正直あと何年生きていられるのかすら、俺は知らない。知りたくない。大きな病気なのかもしれない。でも、母さんは絶対に言わない。俺の前で弱音を吐いたこともない。親孝行なんてしていないのに、もし、母さんが死んでしまったら、俺は――――。


 ズキリ、と頭が痛む。

 咄嗟に考えるのをやめて、一つため息をついた。


(独りぼっちだなぁ)


 今年の年末年始は、母さんと一緒に過ごすのも悪くない。修学旅行や、酒井のこと。話す話題は沢山ある。

 ただ、それが許されるかどうかも分からない。病院に連絡して確認すれば、簡単に分かるだろう。でも、何故か。スマートフォンを握りしめたまま、俺の右手は動かなかった。まるでその行為を望んでいないかのように。


「……あれ?」


 ボーッとして院内を眺めていた。何も期待せず、何も考えず。でも、視界に入ったのは見覚えのある可愛い子。いつの間にかポニーテールにしてる。可愛い。


「凪沙?」


 どこから出てきたのだろう。俺よりも前にこの病院に居たのか。ロビーを素通りして入り口に向かう彼女を呼び止めるため、俺は勢いよく立ち上がった。隣に座っていたお爺さんが少し驚いた。ごめんよじいちゃん。


「凪沙!」


 そんなに大きな声を出したわけじゃない。でも彼女の肩が思い切り跳ねる。


「ま、真村くん。偶然」

「偶然って……何してたんだ? どこか悪いのか?」

「ちょ、ちょっとね。用事があって」


 病院に用事というのは、なんだ。通院とは違う何かがあって、この場所に来る。それも女子高生がだ。一体何があったのだろうか。


「その……どんな用で?」

「大したことじゃないんだよ。本当に」


 そう言って笑う彼女のことが、信じられなかった。何かを隠しているようで、あまり良い気分ではない。

 もちろん、これは彼女自身の問題だ。俺がどうこう言うつもりも無いし、無理に聞き出すつもりもない。「大したことない」と言うのなら、そうなのだろう。


 でも何故か、しなかった。


「やあ、真村君。お待たせ」

「神山先生。こんにちは」

「こんにちは。じゃあ、行こうか」


 接客が終わった神山先生は、いつも通りの笑顔で俺を迎えてくれた。彼のことを変態メガネと呼ぶ酒井も、今日はしっかりと会釈して応える。良い先生なんだけどなぁ。


「……君も一緒に来るかい?」

「えっ?」


 素っ頓狂な声を上げたのは、酒井だった。先生の提案に、心から驚いている。勝手に変なことを言い出さないで欲しいが、ただの問診だし、見られたところで問題はない。

 俺にアイコンタクトで「良いよね?」と後になって聞いてくるのはどうかと思うが。


「真村くんが良ければ」

「俺は全然良いよ」

「OK。ボーイフレンドのこと、もっと知りたいでしょ?」

「変なこと言わないでくださいよ」


 なんて言うか、酒井がこの人のことを「変態メガネ」と呼ぶ理由が少し分かった気がするな。

 でもどうして、酒井はそんなに悲しそうな顔をするのだろう。せっかく話せたのに、そんな顔はズルい。もっと笑ってほしい。


 笑っていた方が、可愛いよ。


 そう言えたら、何て返してくれるかな。



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