日陰?①
体育祭まで残り一週間を切り、その練習にも熱が入る。が、退院したばかりの俺は参加することができず、ダルそうに先生の怒鳴り声を受け入れる彼らを眺めるしか出来なかった。
加えて、夏の太陽を浴びながら汗を流す生徒たち。日陰でまだ涼しくしているのがなんか申し訳ない。見学扱いだから、この場から離れられないのがなぁ。
「あーっ。おサボり君だ」
「……なんだよ。お前もだろ」
「私は違うの。体調不良」
「俺は違うみたいな言い草だな」
「そうでしょ?」
「違げぇよ」
「冗談だよー」山岸しずくは笑う。俺の後ろの席に座るクラスメイトだ。今日も今日とてボブヘアが風に揺れている。この調子の良い奴に誰が制裁を与えてやってくれ。
俺の隣に体育座りにする彼女。体操着がピッタリと体のラインを映し出している。酒井よりも大きな胸に目が行く。なんというか、非常にそそられる。
「胸見てる」
「気のせいだ」
「えっち」
「正直者って言ってくれ」
「やっぱり見てたんじゃん」
「視界に入っただけ」
次々に出てくる言い訳。俺ってこんな下手に出てたっけ。まぁ見てないと言ったところで、またその言い訳を考える必要があるんだけどさ。どのみち、山岸が言い出したところで詰んでいたわけだ。
「でもダメだよ。しんちゃんにはあの子が居るんだから」
百パーセント言われると思っていた。
あんな盛大に連れ出せば、誰が見たってそう思う。
実際、クラスの男子からはめちゃくちゃ揶揄われた。
付き合ってんの? とか。
どこまでヤッたの? とか。
気持ちよかった? とか。
付き合ってる前提で話を進めるのは非常に面倒だった。まぁ形式上はそうだが、そうじゃない。それに、本当に興味があるのは「性行為」のことだけだろう。そういう輩には何も言っていない。実際何もしてないし。
でも、山岸からそう言われたのは今日が初めてだった。
――――あの子も言い寄るんだと思う。
図書室で言われた言葉。酒井が言うには、山岸は俺に好意を持ってくれているらしい。本当かどうかは知らない。けど、本当にそうならと思うと少し胸が跳ねる。でもこれは、恋のドキドキとは違うモノだと理解していた。
「けど意外だったなぁ」
「何がだよ」
「しんちゃんが酒井さんと、って」
「まぁ、俺も不思議だよ」
「ふーん……」
酒井にも共通して言えるが、彼女たちは俺の心を覗き込んだような。そんな気持ちになるような言い回しをする。気持ちの良いモノではない。
特に小動物的な可愛らしさがある山岸には、そういう駆け引きは似合わない。純粋に男との恋愛を楽しんでもらいたいと思うのに。
「なんで目合わせてくれないの?」
「なんで合わせないといけないんだよ」
「私の瞳に吸い込むため」
「怖いな」
そういえば、酒井とは目が合うことも多い。別に狙っているわけではないが、彼女と話す時は自然と顔も上がっていて、世界が広いように感じる。
不思議だな。日陰にいるのに、体温が上がっていく。目の前の集団の中に、恋人が居るのに。隣には違う女。それが俺自身の心を支配しようとしている。
それは裏切り行為である。
それが分かっていたから、こうも心臓が跳ねるのだ。そこで気づいた。この胸のドキドキは、酒井凪沙という存在が居るからこその。
「……しんちゃん、変わったよね」
「はぁ?」
「いま何考えてるのか、分からないよ」
それは俺もそうだ。お前だけじゃない。
記憶は残っているはずなのに、どれが本当でどれが嘘か。目が覚めてからその分別がつかなくなっていた。
記憶喪失とは何かが違う。大まかな真村真嗣としての人生は覚えている。でも、その断片的な出来事が曖昧で、自分の人生じゃないような違和感があるのも事実だ。
それがまさに、酒井の存在。俺の知る中では、彼女と恋仲になった記憶は無い。
でも。
「生きてるからいいだろ」
心の底から、そう思えた。
なぜだろう。一度死を覚悟したからか、今こうして普通に学校に通って、恋人が居て。思春期らしい会話が出来ていることに、喜びを覚えた。
「……ねぇ」
「ん」
「あの子のどこが良いの?」
それはまるで「私は嫌い」と主張しているような言い方だ。
九月に入ったというのに、吹き付ける風は温くて気持ちが悪い。グラウンドの砂を巻き上げて、それが降り掛かる。酒井の綺麗な黒髪が汚れてしまわないか心配だ。
「嫌いなのか?」
「あっ、そういうわけじゃないよ。ただ、あまり知らないだけ」
「そうか?」
「というか、私だけじゃないよ。あの子のこと知らないの」
そう言われて、確かになと。何となく、山岸が言っている言葉の意味が分かった。
酒井凪沙は、基本的に一人で居る。俺と一緒の時はよく話すが、学校に居る時は他の誰かと話している姿をあまり見ない。
すごく可愛い子なのに、どこか世間から切り離されたような浮世感というのか。それが彼女の体を包んでいる。
「しんちゃんが幸せなら良い」
「そりゃどうも」
「でも、もしあの子が遊んでいるようなら」
「分かってるって。ありがとうな」
山岸は山岸で、悪い子じゃない。彼女なりに俺のことを心配してくれているのだ。一年の頃からコイツはずっとそう。その優しさはありがたいが、酒井はそんなタイプの人間には見えない。だから、彼女が言いかけたセリフを遮った。
「楽しみだね。修学旅行」
「どうした。藪から棒に」
「ほらほら、だって北海道じゃん」
「十二月だっけ。まぁ確かにな」
記憶から消していたが、確かに高校生活の中でも大イベント、修学旅行。北海道に行くことも楽しみだが、何より盛り上がるのは班決めなのだ。
おそらく、男女三人ずつぐらいで一班になるだろう。旅行の楽しさはこの班で決まると言っても過言ではない。
「しんちゃんはあの子と一緒だよね」
「班は知らん。勝手に決めんな」
「班なんて無いようなモノだって、先輩言ってたよ?」
「俺は真面目だから。しっかりルールは守るよ」
まぁ、まだ三ヶ月先だし。正直、適当に考えていた。
練習の終わりを知らせるチャイムが、学校全体に響き渡る。
「しんちゃんまたね」
「すぐ再会できるぞ」
「あはは。確かにっ」
何故か今。
無性に、酒井と話したい。
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