逢引?①



 久々に通った学校は、とにかく疲労感の溜まるモノだった。そもそも夏休みなのに補習っていうのが矛盾以外の何者でもない。

 昼前に終わるとはいえ、それでこの疲れ具合を考えると二学期が恐ろしい。


「疲れた顔してる。大丈夫?」

「大丈夫。行こうか」


 クラスメイトたちはを歓迎してくれた。手荒くなんかなくて、心の底から心配してくれていた。酒井に限らず、その気持ちは素直に嬉しい。


 今日で、夏休み補習は終わり。

 明日、明後日が最後の週末になる。月曜から、二学期が幕を開ける。少し憂鬱だけど、不思議と心が躍った。


「みんな嬉しそうだったね」

「そうかな。でも久々に会えて嬉しかったよ」

「人気者は良いねぇ」

「凪沙だってそうだろ」

「私は全然だよぉ」


 正門前で待ち合わせた俺たちは、並んでコンクリートの歩道を歩き始める。

 同じクラスなのに、どうしてここで待ち合わせたかと言えば、他の誰にも言っていないから……らしい。ある意味単純な理由だが、俺たちにとってそれは違う意味を持っていた。


 当事者である俺だって知らないのだ。他のクラスメイトが知っていた方が怖い。いや、知っていれば恋人である事実を認めることは容易い。それが出来ないのだから、酒井凪沙のことがまた分からなくなる。


「二学期入ったら楽しくなりそうだね」

「どうして?」

「真村くんが、こうして隣に居るから」


 そんなことを気軽に言わないで欲しい。なんて返せばいいのか困るから。

 嬉しくないと言えば嘘になる。手放しでは喜べないが。

 綺麗な彼女の横顔。こうして隣を歩いていると、まるで夢物語の主人公になった気分だ。これが夢なら、ずっと醒めないでもらいたい。


「君が恋人で、良かったと思う」


 自分でも何を言ってるのか、よく分からない。思ってもいないことを口走ると、後悔すると決まってるのに。

 頭では酒井凪沙のことを疑っている。それなのに、こんなことを言ってしまうのは、俺の中で彼女の存在価値が変わりつつあるということだろう。そうさせてしまうだけの不思議な魅力が、彼女にはあった。


「変なの」


 酒井は俺と顔を合わせようとしなかった。少し寂しそうなその声に、俺はただ自身の想いを馳せることしか出来ない。

 彼女は、俺が核心に触れるようなコトを言うと、こうして誤魔化す。キスの件もしかり、恋人の件もしかり。好きなところを聞いてしまったあの日。答えてくれたのはある意味奇跡だったようだ。


 夏休みが終わるというのに、相変わらず暑い日が続く。少し歩いただけなのに、夏服の下に来たシャツがべっとりと体に張り付く。こんな可愛い子の隣を歩くのに、汗っかきなのは気が引けた。


「暑いねぇ」


 手をパタパタさせる酒井の首元には汗が浮かんでいる。でも、彼女の周りは甘い香りに包まれていて。同じ人間なのだろうかと疑いたくなるほど。

 石鹸の匂いが鼻を抜けて、頭が痺れる。甘くて尊い痺れ。クセになるような。


「どこか行きたいところある?」

「プールか海」

「もう閉まってますよーだ」


 クラスメイトの水着姿というのは、気になるのが男の性だ。こんな美女であればなおさら。胸は大きくなくても、そんなのは関係ない。


「真村くんってさ」


 パタンっ、とコンクリートと靴底が擦れる音。まるで急ブレーキを掛けたような。隣に彼女は居なくて、振り返る。

 今日、初めて目が合った気がする。心の中を覗かれるような視線。でもそれは、すごく綺麗で見惚れてしまうほど。


「なに?」


 数秒待っても何も言わないから、我慢できずに問いかけた。ジッと目を合わせているだけのこの五秒間は、苦しくて熱い。


「今日、初めて目が合ったね」


 溢れる白い歯。それは微笑みの証拠。

 咄嗟に返したくなった言葉も、彼女の雰囲気に飲まれてしまっていた。


「……で、何さ」

「あ、恥ずかしがってる」

「うるせー」


 俺と彼女は、本当に恋人同士だったのかもしれない。そう誤解してしまうほど、自然に会話できている。カップルらしく、思春期らしく。


「怒んないでよー」


 照れ隠しで一人歩みを進めると、小走りで追いかけてくる彼女。きっと俺たちは今、恋人としてこの世界に溶け込んでいるのだろう。

 俺は、本当に何者なのだろうか。酒井凪沙という存在が、こうして恋人になっている世界線だというのか。


 パラレルワールド?

 転生?


 そのどれも違う。ここは、俺が暮らしていた世界で間違いない。触れる空気、匂う風、浮かぶ空。そのどれもが、肌に合っている。


「駅前のカフェでゆっくりしようよ」


 いつの間にか、彼女は俺の前を歩いていた。一人で考え事をしていたせいか、たった一分前の出来事がすごく昔のことのように感じられる。

 認めたくはない。彼女の好意を踏み躙るから。そうやって目を背けてきたが、自分の気持ちにを吐き続けるのはやはり気持ちが悪かった。


 君とチューしたい、なんて言っておきながら。


「酒井」


 彼女は立ち止まった。でも、振り返らない。

 俺が怒っていると思ったのだろうか。それは正解ではないが、不正解でもない。


「懐かしいね。その呼び方」


 君はいったい、何を考えているんだ?



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