恋人?⑥
お盆が近づくにつれ、夏の終わりを感じるようになった。年取ったのだろうか。まだ十六歳なのに。
神山先生に言われた通り、お盆前に退院することができた。どのみち通院する必要があるから、あまり寂しさみたいな感情はない。
担任の藤村先生が寮から持ってきてくれた私服を身にまとって、久しぶりの外界に足を踏み出した。
入院していた上原中央病院から、学校の寮までは歩けない距離じゃない。ただ病み上がりでこの猛暑。日差しの中を三十分かけて歩く気にはなれなかった。
でもまぁ、松葉杖とか使う必要もなくて良かった。事故って打撲だけで済んだのは本当に奇跡だったのだ。あまり思い出したくない記憶ではあるが、それも時間が解決してくれるだろう。
「退院おめでと。真村くん」
「凪沙。なんで」
「そりゃそうだよ。一緒帰ろ」
歩くのが無理だとなれば、ここから帰宅する方法は路線バスに限られる。タクシーを使うほど俺の財布は潤っていないのが現状だ。
で、その病院前バス停で笑顔を振りまく少女。酒井凪沙である。病院内にきてくれると思っていただけに、ここでの出迎えは想定外だった。
「よかったね。本当に」
「色々と世話してくれて助かったよ」
「そんな改まって。気にしないでよ」
酒井には色々と思うことはある。
ただ入院生活を送ってみて一つ言えることは、悪い子じゃないということ。むしろ、気が利いて、思いやりがあって、すごく優しい子だった。俺が恋人だからかもしれないが、それを差し引いてもかなり出来た女の子だった。
だからこそ、俺なんかが恋人で良いのかと自問する機会も増えた。
彼女のルックスは、間違いなく夏ヶ丘高校の中でもトップクラス。ぱっちりとした目に細い首、腰。スラッと伸びた黒髪がよく似合うめちゃくちゃ可愛い子。
一方で、俺は女の子と付き合ったこともなければ、告白されたこともない。ルックスだって、よく見積もって中の上ぐらいだろう。そうでありたいという希望も込めて。
「あ、そうだ」
「ん?」
「はいこれ、スマホ」
「あれっ、俺の……?」
バス停のベンチに腰掛けた俺たちは、蝉の声を聞きながら視線を落としていた。
酒井の手には、確かに俺のスマホ。事故の時に壊れたと思っていたばかりに、今こうして出されると本当に俺のモノか疑いたくもなる。
「寮に置きっぱなしだったって藤村先生が。昨日、学校で私に渡してくれたんだ」
「そう、だったっけ」
「ねね、連絡先交換しようよ」
スマホを携帯しないとは、所持している意味が無いじゃないか。自分に呆れるが、結果的に壊さずに済んだのだから良いことにしよう。
酒井の提案に、俺は二つ返事で了承した。別に断る理由も無いし、彼女とメッセージのやり取りができるのなら、存分に楽しませて貰えばいい。
「俺って、変わってないか?」
「えっ?」
「いやほら、事故に遭う前と今。性格的な意味で」
唐突な問いかけであったが、酒井は真剣に俺の言葉を受け止めてくれた。
バス停の屋根が日陰を作ってくれている。そのおかげで、彼女の白い肌が灼かれずに済む。でもそれは、俺の視界にとってあまりにも眩しすぎた。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「どうしてだろう。ふと気になったから」
「変なのっ。変わるわけないよ」
彼女が否定したことに、安堵する自分がいた。ここで肯定されていたら、本当の自分が何なのか分からなくなっていただろう。
人格が変わっていないのなら、あまり気にする必要はない。これまで通り、学校に通って勉強して、酒井凪沙と向き合えば良い。
それにしても、バスが来ないなぁ。
「なぁ、凪沙」
「なに?」
「俺のどこが好きなの?」
驚くかと思ったが、割と真面目な顔をして俺のことを見つめてきた。そんなリアクションされると思っていなかっただけに、少し恥ずかしい。
「真村くんは?」
なるほど。迂闊すぎた。
片方だけに言わせるのは、不平等ということか。いかにもカップルらしい会話である。
そんなルールがあるなんて知るわけない。だって俺は童貞だし。女の子と付き合った経験なんて無いし。
「俺が言ったら教えてくれる?」
「うん」
「約束だぞ」
「わかってるよっ」
自分から言い出しておいて、後悔した。
「面倒見が良くて」
いま俺が。
「優しくて」
彼女にぶつけた言葉は。
「思いやりがあるところ」
本心であって、本心じゃないのだ。
酒井凪沙のことを恋愛的に好きじゃないと自覚しているからこそ、そんな罪悪感に苛まれる。胸が締め付けられる。彼女の好意を踏み躙った気がして。
でも、俺が口に出した言葉は事実である。確かに面倒見が良くて、優しくて、思いやりがある女の子である。だからこそ、上辺だけの言葉に聞こえてしまう。
「もう。分かってないなぁ」
その言葉は、少しだけ寂しそうだった。
言い訳させてもらえるなら、したい。「俺は君のことをあまり知らない」と。でも、それを彼女に言ってしまうのは、違うような気がして。ただの自己判断に過ぎないけどさ。
「真村くんの好きなところはね」
酒井凪沙という女の子のことを、もっと知りたい。この夏の空気がそう思わせるのかもしれない。でも、多分俺はここで彼女との関係を断ち切ってしまえば、後悔する。
だから俺は、もう少し乗っかることにした。
「すごく、繊細なところ」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるよー」
ほんの少しひび割れた君の唇が、妙に色っぽくて。つい見惚れてしまった夏の日。心の中を、酒井凪沙が侵食していくような。
そんな違和感とともに、夏休みの終わりが待ち遠しくもあった。
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