恋人?④



 入院生活にも慣れてきたせいか、色々と考える余裕が出てきた。

 夏休みということもあるが、曜日感覚がおかしくなっているボケた頭を、朝の情報番組で洗い流す。普段は学校に居る時間帯だから、これを見るのはすごく新鮮だった。


 相変わらず、酒井は俺に会いに来てくれる。来るたび、笑顔を振りまいて心が暖かくなる。大してタイプじゃない女子アナも、毎日見ていれば可愛く見えてくるモノ。ソレと一緒にするのはどうかと思ったが、感覚的にはそういう感じだ。


 昼。病院の庭。暑くて蕩けてしまいそうになるが、病院の中はどんよりとした空気があってあまり得意じゃなかった。

 ベンチに腰掛けていると、突如として視界が奪われる。さっきまで空の頂にあった太陽は消え、暗闇に覆われる。


「だーれだ」


 恋人してるなぁ、と自分でも思う。

 俺の視界を奪ったその小さな手は、震えている。緊張するならやらなくてもいいのに、というのは野暮だろう。


「愛しの凪沙ちゃんかな」

「せいかーい。えへへ。上手くできたかな?」


 「手が震えてたよ」と喉まで出かかったが、寸前のところで飲み込んだ。人間の本心を隠すのは非常に難しいモノだと実感する。


「ねね、退院したらどこか遊び行こうよ」

「まずはチューしたい」

「もう、そればっかりじゃん」

「いいじゃん、恋人なんだし」

「それは……そう、だけど」


 遠回しに「したくない」と言っているようなモノだ。これを言うたびに、俺たちの関係がいかに可笑しいのかがよく分かる。

 考える余裕ができたと言ったが、考えごとの八割は酒井凪沙のこと。


 会いに来てくれるのは嬉しいが、嘘に乗り続けるのがこんなにキツいものだとは思わなかった。正直に言えば、猫を被っているような感覚。無論、それは彼女もそうかもしれない。


「なぁ怒らないで聞いて欲しいんだけど」

「なに?」

「俺たちって付き合ってどれぐらいになるっけ」


 割と突っ込んだ問いかけだった。

 下手をすれば、この関係が崩れてしまうような質問。だから一応「怒らないで」とは前置きしたが。

 でも、彼女の反応は俺が想像していたよりもだいぶ柔らかかった。


「まだ一ヶ月も経ってないよ」

「そっか。最低だな俺」

「お、落ち込まないで! 事故のショックで曖昧になってるのかもしれないし……」


 そう言われたら、何が事実で何が嘘か分からない。もしかしたら、記憶障害のせいで本当に恋人だったことを忘れているだけかもしれない。

 百パーセントそれは無いと否定出来るだけの材料を持っていなかった。


「ね、ねぇ真村くん」

「ん」

「親御さんのこと、だけど」


 最近の考え事。八割が酒井のことで、残りの二割は親のことだ。

 彼女の問いかけに、少し力が込められているような気がした。だから、やっぱり他の人とは違うのだろう。俺の親は。


「会いに来るわけないよ。二人とも」

「そっか」

「ま、学費と寮費は払ってくれてるから真面目に学校には通うよ。これからも」

「うん」


 俺の親は、俗に言う毒親である。とは言っても、毒なのは父親だけだ。俺がまだ幼かった頃に離婚しているから、話した記憶もないし、あったとしても思い出す必要もない。そいつの金で学校に通えてるのは、正直かなり複雑な気持ちだ。

 それから母親は女で一つで俺を育ててくれた。寝る間を惜しんで働いてくれた。それがたたって、ここ数年は体調が悪い。俺が学校の寮に入っているから、母の地元にある病院に入院している。俺としても、一人暮らしで倒れられるより安心だ。


「辛い時は、泣いていいから」


 「えっ?」思わず酒井の顔を見た。

 俺の隣に腰掛けている彼女。ポニーテールがよく似合う。綺麗な黒髪。綺麗な匂い。俺はここ最近、君に見惚れてばかりだ。


「一人で抱え込まないでね」


 直感。

 この子は、俺が知らない何かを知っている。そう思った。すなわち、俺の記憶が曖昧になっているということか。

 主治医がしつこく記憶障害の件を話したことも、納得がいく。

 仮にそうだとしても、知ろうとは思わなかった。今の状況で、一番望むのは早く日常生活に戻ること。とにかく今は、色々と詰め込まれすぎている。早くこの頭を休ませたい。


「退院したら、プールに行こうか」

「泳ぐの好きなんだ?」

「目の保養に」

「……ふーん」


 あまり大きくない胸を見ながら、つい口走る。額には汗が吹き出している。早く涼しいところに行きたかったが、どうやら彼女はそれを許さないらしい。


「退院してすぐはダメだよ。体を休めないと」

「個別に見せてくれても」

「なにを」

「水着」

「へんたい」

「素直って言って欲しい」


 早く退院したいなぁ。



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