031. スイレンお母さん

 最初に妊娠したのはスイレンだった。

 人間と亜人の間には子供が産まれにくい。

 が、王都で暮らすようになってから毎日のようにしていたというのと、体格差故におしべとめしべがベッドの中で毎回出合い頭だったので……まぁそういうことなのだろう。


 人と小人との純血同士の子だったが、スイレンのお腹を突き破るほど大きくなることもなく、至って普通な小人の赤ちゃんが生まれてきた。

 女の子だった。

 名前はスイレンから一部を取って、スイセイと名付けた。


 この赤ちゃん、ただでさえ赤ちゃんということに加えて、小人の赤ちゃんなので……そうれはもうとても小さい。

 その上、前世を含め自分にとっては初めての我が子だったので……とにかく可愛かった。


 本当にとにかく小さくて可愛かったので、身の回りのことには特に気を使った。

 スイセイの口に入れるもの手に触れるものはもちろん、衣類やシーツの衛生管理、部屋の温湿度、家を出入りする人間の体調の確認など、前世と今世の勝手の違いもあって苦労が尽きなかった。

 自分だけの身体ではないことを実感するのは、『ラリー』に転生した時以来これで二度目だろうか。


 これだけ小さいと、カラスくらいなら掴んで飛んでいけるんじゃないかということに気が付き、外出の際には空を警戒するようになった。

 一度、上ばかり見ていてスイセイを抱えたまま転びそうになってからは、屋敷の外では我が子をスイレンに取り上げられるようになってしまったが。



 子供の世話をし始めるようになってから、スイレンの性格がかなり変わった。


 生まれて初めて自分よりも小さい、守り育てる対象ができたことで母性が爆発したのだろう。

 出会った頃の憎まれ口は何処へやら。良い意味でも悪い意味でも、我が子のことを第一に考えるようになった。

 子供の自我が芽生え始めるまではそれでもいいのかもしれないが、「だってスイセイちゃんが……」の一言で全てを肯定されるのはちょっとよろしくない。自分がブレーキ役になる未来が確定した。

 ……それでもまぁ、結局最後の最後には、自分もこっそり甘やかしてしまうのだが。


 多分、スイレンも同じように母親に甘やかされて育ったのだろう。

 そしてその結果が、あの憎まれ口だと。何ならその母親も母親から……。

 甘やかしすぎず厳しすぎず、普通に育てればいいのだろうが……それじゃあ『普通』の定義とは? 自身への肯定感が憎まれ口として出ているだけなら、そこまで気にしなくてもいいのでは? うーん難しい。


 スイセイが三歳になり、抑えていた工作欲が高まってきたところで、スイレンが仕事に復帰するようになった。

 スイレンが工房に居る時を狙って度々スイセイを町まで連れて行っていたが、そんなときは毎回「おかあさん! おかあさん! おとうさんとおかあさん!」とはしゃぐので、スイセイの手をつないで離せなかった。

 ……自分も会いに行くだけでキャッキャと言われてみたいものだ。


 前世の知識で不労所得を得られるようにしていたので、家事の時間にはそれほど困らなかった。

 が、いかんせん屋敷の広さが広さなので、応援のメイドとしてセンリが来てくれることになった。

 住み込みのセンリだけでなく、マリーやエステルもスイセイの顔をよく見に来てくれたので、自分が家を空けるときでも防犯にはそれほど心配することはなかった。

 エステルが家に来る度に、サーリー教の英才教育をスイセイに施そうとしていたのはちょっと心配だったが。






 そうして年月が過ぎてゆき、グレイスとの間に長男と世継ぎが生まれ、エステルが双子の女の子を授かり、マリーが元気な男の子を産み、託児所と化した我が家でスイセイも立派に子供たちの面倒を見るようになり……。


 そんな日々が続いたとある日の夜。センリに起こされる。

 聞くと、スイセイが何かを叫びながらベッドの上で苦しそうにしているらしい。


 急いでスイセイの部屋に行く。

 先にスイレンが来ていた。


 確認するまでもなく『いたい! 痛い!』と悶えているスイセイ。


 センリに医者を呼んでくるよう指示し、自分はスキルで教団まで飛びエステルを連れてくる。


 スイレンの声掛けで大分落ち着いたのか、スイセイの呼吸も安定して会話ができるくらいにはなっていた。


 一応、医者とエステルに診察してもらい、その日は一晩スイセイに付き添うことになった。

 最初は不安そうにしていたスイセイだったが、手を握っているとやがて静かな寝息を立て始めた。


 後日、改めて医者に診てもらったが、身体には特に異常は見つからなかった。


 悪い夢にうなされていただけなんだろうか?


 一年ほど前から恥ずかしがって一人で寝ていたスイセイだったが……しばらくは三人で川の字になって寝ることにしよう。



 原因不明の悪夢がよっぽど怖かったのか、あの夜以来スイセイの様子が少し変わったように見えた。

 遠慮がちになったというか、よそよそしくなったというか……。



 それからさらに数日後。

 夕食後にスイレンとリビングで寛いていると、スイセイがもじもじと何かを言いたそうにやって来た。


「……お父さん、お母さん。お話があります」

「どうしたの?」

「そんなところに立ってないで、こっちにおいでスイセイ」


 自分とスイレンの間に座るよう手招きする。


 それでも部屋の真ん中に立ったまま、動かないスイセイ。


「……実は、私は、……何日か前から、私だけど、私じゃないんです」

「何日か前……一緒に手をつないで寝た時?」

「はい」


 話を合わせる。


 まだ何か具合が悪いことがあるのだろうか?


「私が小さい頃のことも……お母さんのことも、お父さんのことも、センリさんのことも、全部覚えています。けど……違うんです」


「何が違うの?」


 落ち着いた声で聞き返すスイレン。


「私は……私の名前は……」


「私の名前は、『松本翠』です」











 ――ああ、



 どうやら神様は、自分を簡単に死なせてくれるつもりはないらしい。

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