030. 異世界で見た音楽の原風景

 父親が吹奏楽でホルンを吹いていたので、自分も幼い頃から音楽に関心を持つ環境はあった。

 和室の襖を開くと、質素な木の椅子に腰かけている父が、消音機を付けた控えめな音で、端っこの音楽を奏でている光景を今でも鮮明に覚えている。


 自分の音楽鑑賞の姿勢と言えるものが決まったのは、とある音楽ゲームに出会った時だった。

 楽器という枠に囚われない、ありとあらゆる『音』を次々と演奏していくそのゲームは、曲には音の数だけ旋律があること、そしてそれらを聞き分ける楽しさを教えてくれた。



 この世界に転生するまでの約一年は、とあるクリエイターが作る音楽を特によく聴いていた。

 感情的な旋律を何度も繰り返す、幻想的なその音色を聴いているその瞬間だけは、自分の目の前にある現実を忘れられるような気がした。トランス状態というやつだろうか。

 

 昔、父にも一度だけ同じものを聴かせたことがあったが「ブレスのタイミングがない」と言われ、曲の再生を止められてしまった。

 人が演奏していない音楽は好きではないらしい。

 まぁこれは元々そういうものだし、それは仕方がない。



 そして現在。

 別にこの世界の現実が嫌になったわけではないが、この異世界でも、前世で耳にした音楽を楽しむことはできないだろうか。


 この世界にはCDもサブスクも動画サイトも存在しない。ついでに頭の中にある曲を譜面に起こせる知識もない。

 仮に譜面に起こせたとして、王族の力を行使し、芸術文化の発展という名目で音楽家を囲って演奏させることもできるだろうが……曲を聴く度に城に行くか、彼らを家まで呼びつけるというのは流石にめんどくさい。

 パソコンの発明を待つにしても、この世界の科学技術の発展度合いを見るに、最短でも人としてあと五、六回転生するだけの時間が必要になると思われる。


 電子機器を使わず、自分一人で曲が作れて、しかも再生して聴くことができる、そんな都合の良いものが……オルゴールか!


 早速スイレンに相談する。

 オルゴールといっても、曲を刻むのは円の筒ではなく紙や布のテープで、ピンはあくまでテープから音の有無を信号として読み取るだけのものであり、演奏には実際の楽器を使って……というものを説明する。

 全てを説明し終わった後、スイレンから一言。


 「――できる」


 この瞬間ほど、目の前の小さな彼女を頼もしいと感じたことはなかった。



 まず最初に音の入力装置、テープにあいた穴を読み取る機械を作ってもらう。

 先に仕様を決めることで、確実に難航するであろう譜面作りを少しでも早く始めるためだった。

 スイレンと二人であーでもないこーでもないと検討した結果、楽器一つにつき入力装置を一つ、それを合計十個作ることにした。


 数か月後。

 とりあえず完成した一つ目を眺める。

 ピンの数がそのまま音階の数になるので、四オクターブ四十八音で作ってもらったが……スイレンの両腕で「これくらい!」ができる幅になんとか収まった。

 装置にびっしりと並んで生えているピンの細かさから、スイレンの加工精度の高さが見て取れる。


 次に、テープから読み取った信号を楽器に伝える出力装置と、それに合わせて加工した楽器を一つのセットにして作っていく。

 楽器の演奏に必要な指や唇は革で再現し、吹き込む息は装置の動力でもある空気圧をそのまま利用する。

 しかし弦を弓で弾くタイプの楽器はどうするのだろうかと、作業を続けるスイレンを眺めていると……音の数だけ弦と弓を用意するという力業で解決していた。

 確かに必要なのはその楽器の音色であって、人が演奏するための形を保っている必要はない。エンジニア的な考え方というかなんというか。


 装置の製造は王都にあるスイレンの工房で行われていたが、完成した物から順次、自分の屋敷まで送られることになった。

 出来上がった装置を演奏形態に組み立てると、一つのセットだけでも中々の大きさになり、実際に使うときにはそれらを十も並べることになるので……フル装備での演奏は天気が良い日の中庭ですることに決まった。

 そして中庭に近い部屋二つがまるまるそれらの保管部屋になった。



 最初に再現する曲を悩みに悩んだ結果、使用する楽器の数が比較的少なく、演奏時間も短い、収穫祭をイメージした曲に決めた。

 商会とのコネで取り寄せたピアノのような楽器とにらめっこしながら、パートごとにテープに穴をあけていく。


 とりあえず曲一回分のループが完成したので、実際の装置で演奏してみる。

 元の曲を頭の中で再生しながら、色々と明らかになる不具合を一つ一つ解消していく。……キーが違う、テンポが違う、楽器が違う。複製したテープを繋いでループをもう一回分増やすなどの一層地味な作業が続く。

 そうして譜面を書き始めてから約一年後、やっと一曲分の譜面が完成する。



 それからさらに一年後。

 途中でスイレンの妊娠と出産というハプニングがありつつも、とうとう最後の出力装置が我が家に到着し、演奏装置がついにパーフェクト完全体となった。


 早速全ての装置を中庭まで引っ張り出して演奏させてみる。

 作物の収穫を祝う、明るくテンポの良い曲が、演奏装置の完成を祝福するのにぴったりだった。


 しばらくして、つるつるになったテープが楽器の演奏を止める。


 ……うん。

 全ての装置が仕様通りに動いている、という感じだ。

 後はそれぞれの楽器の音量バランスと、装置の作動音を抑えるために当て布やグリスを挿して、動力源のポンプもうるさいのでなるべく自分から離して……ということくらいだろうか。


 長く時間がかかったが、ひとまず目標を達成することができた。



 しかしまだ一曲目である。


 この曲だけでも約一年。

 聴きたい曲はまだ百以上残っている。

 ……まずは一年ほど時間を使って、優先順位を付けるところから始めるべきだろうか。



 子供のイヤイヤ期に振り回されながら、テープに穴をあけ続けて早五年。

 曲の再現自体は記憶を頼るより他なかったが、それらをテープにしていく作業の速度は徐々に上がっていき、現在七曲目の穴をあけている。


 今日は娘の相手をセンリがしてくれるというので、久々に朝から音楽を聴こうと保管部屋に向かっていると……スイレンに声をかけられる。


「おはようラリー。何してるの?」

「おはよう。久しぶりに曲を聴こうかなと思って」

「あー昨日ポンプが壊れてるのを見つけちゃって、今直してるところなんだよね」

「ポンプって動力の?」

「うん。明日には使えるようになると思うから……ごめんね」

「いやいや、こちらこそ直してくれてありがとう。そういうことなら仕方がない」


 休日の出鼻を挫かれてしまった。


 気持ちを切り替えて……せっかく丸一日まとまった時間があるので、こういうときでないと会ってゆっくり話すのが難しいマリーのもとへ行くことに。

 最近は城のキッチンに居るはずだが――不在だった。


 それならグレイスに会っていこう。

 城には居ないようなので、だったら王宮の方に居るはず。

 早速向かってみると――不在だった。


 そこまでするつもりはなかったが……期待半分意地半分でエステルまで会いに行く。

 スキルを発動させ教団本部まで早足を延ばすと――やっぱり不在だった。

 ある意味期待通りだったと言うべきなのだろうか。


 今日のような状況を表す言葉を思い出しながら、日が暮れ始める前に帰路につく。



 自宅に到着。

 スキルを解くと「おかえりー」と出迎えてくれる娘、スイセイ。それとメイド姿のセンリ。


 そして――何故か四人揃っている妻たち。


 どういうことなのか聞こうとするも、とにかく中庭まで連行される。


 目的の場所に着くと、そこには椅子が一つと――四台の楽器が用意されていた。

 楽器は演奏装置に付いていたものではなく、人が演奏するための純粋な姿であるものから、複数の楽器が合体したよく分からないものまで、一緒に並んで置かれている。


 どうやら自分をビックリさせるために、今まで内緒で練習してきたらしい。

 これから生演奏を聞かせてくれるそうだ。


 特等席に座り、スイセイを膝に乗せる。



 ――演奏が始まる。


 曲目は、自分が三番目に再現した、三人では演奏できないトリオのアンサンブル。ちなみに四人でも手が足りないはず。

 どうするのか見ていると……エステルが三人分になるようだった。両の手足を使ってそれぞれ別の楽器を演奏している。


 正確なリズムを刻むエステルのパーカッション。伸びやかなマリーの金管。

 元々楽器の心得があったのだろう、余裕がありそうなグレイスの弦に、この中では一番簡単なパートのはずなのに、一番余裕がないように見えるスイレンの鍵盤。

 そして三人の音に厚みを加えるエステルのベースに、曲の終わりと始まりを締めるエステルのピアノ。


 視線で合図を送り、身体を揺らしてタイミングをとる。


 思いのままに共鳴し合う、親しい人たち。


 サビに入る度スイレンに注目が集まるのは、終始見ていて微笑ましかった。



 ――パチパチパチ


 スイセイの拍手で演奏が終わったことに気が付く。



 心の琴線に触れる、かつてと今の感情が、全てを呼び起こし、忘れさせていく――。



「――ラリー、楽しかった?」


 溢れ出てくるものを止めることができず、ただただ頷いて返事をするだけで精一杯だった。

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