028. エステルABC
屋敷の内装の仕上げもほぼほぼ終わり、残すは外構工事のみとなった頃、エステルから教団への招待状が届く。
高級そうな便箋に乗るエステルの筆跡によると、国と共同で設立予定の学校について相談があるのだという。
センリとグレイスの件で留守にすることが多かったり、エステル自身がこちらにあまり関わって欲しくなさそうだったこともあって、Aランク冒険者になってからはほとんど顔を合わせることがなかった。
その分、元気だという便りだけは耳にしていたが……。
教団本部の町に到着。
……した直後、出迎えの人間にそのまま神殿まで連れて行かれ……高い所にある部屋に通されると……すぐさまエステルがやって来た。
エステルが私室として使っている部屋なのだろうか? 応接室にしてはソファが一つしかなく、簡素な椅子と机と、空きが多い本棚があるだけだった。
窓が付いているおかげで空気や光の入りは良い。景色も良い。
いつもの聖女姿のエステルが隣に腰掛ける。
二人分の体重にソファが鳴る。
話しかけるタイミングを逃し、何となく黙ったままでいると……エステルがこちらの右手を取って、関節の位置を一つ一つ確かめるように指を触り始める。
そうして指の骨の数を一通り数え終わると、今度は指と指、腕と腕を絡めとって……抱き着くようにして腋に顔を埋めてきた。
すーっ、はーぁ、すーっ、はーぁ、という息遣いだけが聞こえてくる。
腋の湿度が上昇していく。
……何しに来たんだっけ?
「……えーっと、エステル?」
「はい」
寝ているわけではなかった。
「今日ここに呼んだのはひょっとして……ただ単に一緒に居たかったから、とか?」
「……半分正解ですっ」
にっこり答えて再び腋の匂いを楽しみ始める聖女様。
元居た教団が教団なだけに、心が参ってしまっていないか心配だったが……大丈夫そうでよかった。
しばらくエステルと関節の可動域を確認し合った後、ここに呼び出したもう半分の要件について詳しく聞く。
「学校の授業に英語を?」
「はい。本格的に導入するのは高度な研究職のみですが、子供たちにも聖典を通じて徐々に触れさせていこうと考えています」
「アラビア数字もそうですが……あんなに便利なものを民に授ける努力をしないのは、神の教えに背く行為に他なりません。リサさんも、お釣りの計算がしやすくて助かるって言ってました」
エステルもスイレンやマリーと同様に、仲間に加わってから王都に向かうまでのわずかな時間で、英語を一通り使いこなせるまでに上達していた。
わざわざこの部屋まで連れてきたのは、自分の英語がどれだけ上達したのかを、二人っきりで手取り足取り確かめて欲しかったからであるらしい。
……もう半分も結局同じことじゃないかと思いつつ、単語の綴りや文法、語彙などを復習する。
仕上げに、前世の記憶のネイティブな発音を思い出しながら英語で会話をする。
『僕に何か質問したいことはありますか?』
――刹那、今まで穏やかだったはずの空気が一気に張り詰める。
『それじゃあ……』
『イレーヌとの婚約の約束について私に何も話してくれなかったのは何故ですか? そもそも本当に彼女と結婚するつもりなんですか?』
『あー、ええっと、それは……』
『婚約者である私たち以外にも、事情があったとはいえ子供を作る行為をした女性が居ますね? もしも彼女が言い寄ってきたらあなたはどうするんですか? 結婚するんですか?』
『えーっと』
『そういえば最近センリという女の小人の実家まで挨拶に行ったそうですね? 結婚するつもりなんですか?』
『……』
『サキュバスが居るという場所にグレイシスと二人きりで行ってきたのは何か特殊な子作りをするためですか?』
……全て自分のデリカシーのなさが招いたことなので、大人しく断罪される。
『……スイレンさんはともかく、マリアンヌさんには会っていますか? ……私と会ったのは今日で二か月と九日ぶりですが』
『いや、マリーはあちこちで忙しそうにしてるみたいだから……』
ため息をついた後で、「いいですか」と一呼吸おくエステル。
『忘れないでください。……私と、マリアンヌさんと、スイレンさんは、偶然あなたと一緒に過ごすようになって、突然あなたに好きだと言われ、今も漠然とあなたと婚約しているだけなのです』
『もちろん、私たちは間違いなくあなたのことを愛していますが……何故あなたに愛されているのか、本当にあなたに愛されているのか……いつも不安で仕方がないのです』
真っすぐと吐露された気持ちに、自分の至らなさを痛感する。
『……ところで、スイレンさんは王都に住んでいるんですよね?』
『は、はい』
『ほとんど毎日のように会っているんですよね?』
『はい』
『分かりました。それじゃあ……』
『明日一日、私にも彼女と同じことをしてください』
翌朝。
宿屋のベッドの上で目覚める。
神殿には粗末なベッドしか置いてないから、というエステルの勧めだった。
「ラリー様? お目覚めになられましたか?」
聞き覚えのある声がする。
あくびで瞳を湿らせ、よく目を凝らすと……見覚えのある服を着た、ネコの耳を持つ女の子がこちらを見ていた。
「待ちきれずに来ちゃいました。……すごいですね、服が違うだけで誰も私だと分からないみたいです」
短いスカートの端をつまみ、前と後ろを確認しているエステル。
そうだった、今日は一日……。
とりあえず顔を洗い口をすすぐ。
水回りがあるちょっといい部屋を借りてよかった。
そして寝間着のまま、エステルのところまで戻り……。
「……ラリー様? あ……ちょっと、……やっ……あんっ」
宿屋を出たのは、お昼を過ぎてからになった。
「……スイレンさん、朝から元気すぎるでしょう」
スイレンとの毎朝の日課を再現した後、次は昼からの日常をなぞることに。
本来なら早朝のうちに……何ならこちらがまだ寝ている間に朝の日課を勝手にこなした後、午前中は材料の買い出しや顧客との打ち合わせ、出張修理などをして時間が過ぎる。 そしてお昼からは、何もなければそのまま町をぶらぶらと……要するに普通にデートをしている。
ということで、今日はエステルの希望で服や装飾品の店を見て回る。
やはり普段着ているローブが暑いのか、生地が薄く、露出が多い服を好んで試着しているようだった。
改めてエステルの身体を観察してみる。
……今まで分厚いローブによって守られてきた白い肌と、ネコの亜人らしい筋肉質でしなやかな肢体がとても生々しく見える。
マリーやグレイスは分かりやすくスタイルが良いが、脂肪が薄く身体の作りがひと目で分かるエステルもまた、少女ではなく女性であるということを強く意識させられる。
一度荷物を置くために神殿に戻る。
「これからどうしましょうか? また出かけますか? それとも今買った服を着てみましょうか?」
「そうだね……その前に、浄化の魔法を使える?」
「はい、大丈夫です」
二人の身体が清潔になる。
「そうしたら……ちょっとそこのソファに座ってくれる?」
言われるがままにするエステル。
「それじゃあ脚を開いて……いいから、……で、僕の両手を持って……」
顔をエステルに近づける。
「ちょっと、ラリー様まさか……そこはきたな……んんっ……」
すぐに布が濡れ始め、ぴったりと貼り付き、向こう側の形が露わになる。
「出て……しまいますからっ……あああ……ああっ!……あぁぁぁあ!」
後片付けの時間の方が長くかかった。
「あの人性欲強すぎるでしょう……ラリー様が留守の間、一人にしても大丈夫なんですか?」
「それが一緒に居るとだんだん発情しちゃうんだって。『ああ、ラリーが隣に居る……! ああっ!』みたいな感じで」
「それでよく生活できてますね……」
時刻は夕方。
さすがにいきなりが過ぎたのか、ちょっと不機嫌になってしまったエステル。
「気持ち良くなかった?」
「……気持ちは、良かったですけど……違うものが出ちゃいそうでした」
「スイレンも毎回出てるから大丈夫だって」
「だから出ていませんって!」
ますますエステルの頬が膨れてしまう前に……渡すタイミングがなかった指輪を取り出す。
「それは?」
「エステルとはどうしても会う間隔が長くなっちゃうから。一番に渡しておこうと思って」
こちらの世界でも、婚約の際に男性が貴金属類を相手の女性に贈る慣習がある。そしてもちろん彼女もそれを知っている。
「中々納得できるものが見つからなくて……大きさは大丈夫?」
「はい……」
うっとりとした様子で左手の薬指を見つめているエステル。
「ありがとうございます……大切にします、ね」
両手を胸の前で握り、もじもじと膝と膝を擦り合わせながら口を開く。
「あの、スイレンさんと同じことは、もういいので……」
「代わりに……旦那様から、たくさん子種を注いで頂ける言葉を……私に教えてください」
三日後。
結局英語やエステルとのことだけでなく、教会の人間とも色々と意見を交わして過ごして出発の時。
「ラリー様、これを」
エステルから指輪を受け取る。
「確かラリー様は、お酒を召し上がって発動するスキルをお持ちでしたよね?」
「うん。正確には酔って発動、だけど」
「ところで……お酒で酔っている状態というのは、実は魔法で回復可能であることをご存知でしたか?」
「えっ、本当?」
「リサさんの一件までは私がお傍に居ましたし、最近はそれほど危険なことをしていらっしゃらないようですから大丈夫だとは思いますが……そのスキルは、発動中に状態異常を解除する魔法をかけられてしまうと、結果的にスキルも一緒に解けてしまいます」
……今まで知らないところでもエステルに守られていたのか。
「その指輪は一度だけ、着けている者を対象とした魔法を無効にすることができます」
「勝手に発動するものですから、普段から身に着けてさえいれば大丈夫です」
「逆に自分で発動させると、現在冒されている状態異常から回復することができます」
「一度使うと指輪に込められた魔力が切れてしまうので、そのときは私の所まで補充に来てくださいね」
そう言いながら、左手薬指に取り着けられる指輪。
――刹那、溶けるように消えて無くなったかと思うと……手の甲に刺青のような模様が浮かび上がる。
「……一度着けると私以外には外せませんから、無くす心配もないので安心ですねっ」
うん、まぁ……うん。
「ああ、普段は邪魔にならないよう、ただの紋様として存在しています」
「指輪がいつ使われたのかも分かるようになっていますし、魂に刻み付けていますので居場所も常に把握できますから……これからも安心して、スキルをお使いになってくださいね」
……念願の『任意でスキルを解除できるヤツ』が手に入ったし、よかったじゃないか。うん。
そう自分に言い聞かせながら、教団を後にする。
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